第6話 獣の顔
会合は、赤坂のホテルだった。
格式のある建物だ。
エントランスに車が並ぶ。
スーツの男たちが、互いに頭を下げながら吸い込まれていく。
財界人。
官僚。
政治家の秘書。
鋼二は、その流れに混じっていた。
偽の招待状は、冴子が用意した。
スーツはリサイクルショップで買った、それなりのものだ。
髪を整え、眼鏡をかける。
顔を変えるのに、金はいらない。
雰囲気を変えればいい。
受付を抜ける。
名前を告げる。
通った。
会場は、三階の大宴会場だった。
シャンデリアが光る。
テーブルに白いクロス。
ウェイターが静かに動き回る。
二百人はいる。
鋼二はグラスを手に取り、壁際に立つ。
飲まない。
目だけ動かす。
九条誠一郎。
冴子から渡された情報は、特徴が二つだけだった。
六十代。
右手に、古い火傷の痕。
それだけだ。
写真はない。
探す。
財界人は、固まる習性がある。
だが、九条は違うはずだ。
あの男は——群れない。
視線を動かす。
テーブルの間。
柱の陰。
出口の近く。
いた。
窓際に、一人で立っている男がいた。
六十代。
背が高い。
グレーのスーツが、体に吸い付いている。
グラスを持っているが、やはり飲んでいない。
ただ、室内を——見ている。
鋼二と同じように。
右手が見えない。
だが、立ち姿に迷いがない。
この場の全員を、値踏みしている目だ。
あれだ。
確信した。
鋼二は、動かない。
今は、まだ見るだけだ。
九条の視線が、ゆっくりと室内を流れる。
テーブル。
人の群れ。
ウェイター。
壁際。
鋼二のところで——
止まった。
一秒。
二秒。
九条は、視線を外した。
何事もなかったように、また室内を見渡す。
鋼二は、グラスを口に運ぶふりをした。
心拍は、変わらない。
それだけを確認する。
気づかれたか。
分からない。
だが——あの一秒は、長かった。
三十分後。
鋼二はトイレに立った。
廊下に出る。
人気がない。
洗面台の前に立ち、鏡を見る。
その鏡の中に、九条が映った。
隣に立つ。
水を出す。
手を洗う。
右手の甲に、確かに——古い火傷の痕があった。
誰もいない。
水音だけがある。
先に口を開いたのは、九条だった。
「いい度胸だ」
感情のない声。
電話の声と、同じだった。
鋼二は鏡越しに男を見る。
「お前が電話してきた」
「ええ」
九条は手を拭きながら、静かに続ける。
「まさか十日で動くとは思わなかった」
「買い被りだ」
「いや」
九条が、初めて鋼二を正面から見た。
皺の刻まれた顔。
だが、目だけが——若い。
獣のように、静かで、深い目だ。
「正確な評価だ、北条鋼二」
名前を呼ばれる。
それだけで、空気が変わった。
「殺しに来たわけではないだろう」
「今はまだ」
「そうだ」
九条は、わずかに口角を上げた。
笑顔とは呼べない。
だが、確かに——何かが動いた。
「今はまだ、な」
鏡の中で、二人の目が合う。
鋼二は言う。
「与田を切った理由を聞きたい」
「役目が終わったからだ」
「俺を生かした理由は」
一拍。
「次の役目があるからだ」
血が、下がる感覚がある。
「……俺を使うつもりか」
「使う、とは違う」
九条がタオルを置く。
出口に向かいながら、背中で言う。
「共に動く、と言いたい」
足が止まる。
振り返らない。
だが、声だけが残る。
「あなたが本当に"外側"を知りたいなら——」
ドアに手をかける。
「まず、生き残ることだ」
ドアが開く。
廊下の光が差し込む。
九条の背中が、人の流れに溶けていく。
鋼二は、しばらく動かなかった。
鏡を見る。
自分の顔がある。
敵か。
味方か。
それとも——
「どちらでもない、か」
水音が、静かに続いている。
答えは、まだない。
だが一つだけ、はっきりしたことがある。
九条誠一郎は——
思っていたより、ずっと深いところにいる。
鋼二はコートを正し、廊下に出た。
エレベーターのボタンを押す。
扉が開く。
中に乗り込みながら、小さく言う。
「面白くなってきた」
扉が閉まる。




