第5話 王手
紙に書かれた名前は、五文字だった。
九条誠一郎
肩書きは——
内閣情報調査室 首席顧問
雨の中、鋼二は歩き続けた。
内閣情報調査室。
通称、内調。
表向きは、政府の情報収集機関だ。
だが、その内側に何があるか——現場の人間なら誰でも知っている。
法の外で動く、手足がある。
予算の出どころは曖昧で、指揮系統は不透明で、失敗しても誰も責任を取らない。
そういう組織だ。
だが、九条誠一郎の名前は——聞いたことがなかった。
それが、逆に重い。
この世界で、名前を知られていない人間は二種類だ。
何もしていないか。
それとも——消している側か。
鋼二は、路地の軒先で足を止めた。
雨宿りのふりをして、背後を確認する。
尾行はない。
今のところ。
携帯を取り出し、九条の名前を検索する。
出てくるのは、十年前の論文が一本だけだ。
安全保障政策に関する、学術的な文章。
写真はない。
「顔も出していないか」
消している、で確定だ。
では、どう近づく。
正面から行けば、四人目の轍を踏む。
泳がせれば、向こうに気づかれる。
必要なのは——接触できる人間だ。
九条の周囲にいて、かつ九条を恐れていない人間。
一人、思い当たる顔があった。
霞ヶ関から少し外れた、古いビルの一室。
表札には「行政書士 桐島事務所」とある。
だが、行政書士の仕事をしているところを、鋼二は一度も見たことがない。
ドアをノックする。
三回。
間を置いて、二回。
沈黙。
やがて、鍵が外れる音がした。
「……死んだと思ってた」
ドアを開けたのは、五十がらみの女だった。
白髪交じりのショートヘア。
眼鏡の奥の目が、値踏みするように鋼二を見る。
桐島冴子。
元・外務省の情報担当。
今は——何者でもない。
「生きてる」
「見れば分かる。入りなさい」
部屋の中は、書類と地図と空き缶で埋まっていた。
窓には厚いカーテン。
壁には、びっしりと書き込まれたホワイトボード。
冴子はコーヒーを二つ用意し、向かいに座った。
「何をしでかした」
「砂漠で一人撃った」
「与田の件ね」
鋼二は、少し目を細めた。
「知ってるか」
「噂は来てた。内調が絡んでいるって」
「九条誠一郎」
冴子の手が、止まった。
カップを持ったまま、動かない。
三秒。
四秒。
「……どこでその名前を」
「調べた」
「誰から聞いた」
「自分で辿り着いた」




