第3話 地下
新幹線を降りたのは、新大阪だった。
理由はない。
終点まで乗っていただけだ。
ホームは人で溢れていた。
出張帰りのサラリーマン。
キャリーケースを引く家族。
誰もが、どこかへ急いでいる。
鋼二は、その流れの中で一人だけ止まっていた。
煙草に火をつける。
肺が軋む。
それでも吸う。
煙を吐きながら、もう一度あの電話を反芻する。
——我々は、常に一歩外にいる。
「我々」。
複数だ。
組織がある。
与田を動かし、自分を試し、生かしておいた。
それだけの規模と判断力を持つ何かが、砂漠の夜の外側にいた。
煙草を床に押し付ける。
動く。
まず、手持ちのカードを確認する必要がある。
梅田の外れに、古いビジネスホテルがある。
フロントは無愛想で、余計なことを聞かない。
現金を出せば、それ以上は何も言わない。
そういう店を、鋼二はいくつか知っていた。
偽名でチェックインする。
部屋は狭い。
窓は駐車場に面している。
それでいい。
荷物を床に置き、コートを脱いだところで、脇腹に鈍い痛みが走った。
シャツをめくる。
擦過傷。
浅い。
だが、じくじくと滲んでいる。
議員宿舎を出た後のことだ。
路地に入ったところで、暗がりから何かが来た。
ナイフだったかもしれない。
避けたのか、それとも間に合わなかったのか、自分でも判断がつかなかった。
とにかく走った。
追ってくる気配は、途中で消えた。
——試しているのか。それとも、始末しようとしたのか。
洗面台に向かう。
水で傷を流す。
鏡の中に、自分の顔がある。
やつれている。
だが、眼だけは生きていた。
「まだ終わっていない」
鏡に向かって言う。
確認のように。
言い聞かせるように。
携帯を取り出す。
登録していない番号を、記憶から引き出す。
コールが三回鳴った。
「……久しぶりだな」
くぐもった声。
「魚屋。頼みがある」
「仕事の話か」
「情報だ。砂漠の取引に関与していた人間を洗ってほしい。与田の外側にいた可能性がある者を」
沈黙。
電話の向こうで、何かが動く気配がした。
「……どこまで本気だ」
「全部だ」
また沈黙。
今度は長い。
「三日くれ」
それだけ言って、切れた。
鋼二は携帯を置く。
動けるのは、それだけだった。
あとは待つしかない。
三日間、部屋を出なかった。
パンをかじり、シャワーを浴びた。
写真のデータを、何度も見た。
夜の砂漠。
武装勢力のリーダー。
日本側の人間。
握手。
与田の、いない場所。
そして——画角の端。
暗がりの輪郭。
ぼやけている。
何度拡大しても、顔は判別できない。
だが確かに、そこにいた。
カメラを向けているわけでも、距離を詰めているわけでもない。
ただ全体を、静かに把握していた。
演劇で言えば、舞台袖から台本を持って見ている者。
役者でも観客でもない。
「……いつから俺を見ていた」
誰にでもなく、呟く。
答えは返ってこない。
雨が窓を叩く音だけが、部屋に満ちていた。
傷は、少しずつ塞がってきていた。
体は戻る。
問題は、その先だ。
四日目の朝。
携帯が鳴った。
「喫茶サンライズ。十四時」
それだけ言って、魚屋は切った。




