Far memory (遠い記憶)
英美里は、髪を後ろで纏めて、ヘルメットの中に入れる。
作業服のズボンのすそをエンジニアブーツの中に入れる。
アイパッドの電源を入れるとタスクを確認した。
今日はベースの内の配管の検査だ。
地元の業者が入るので、事前の打ち合わせだ。
ハイエースと2トンのユニック付きのトラックが既に駐車場に止まっていた。
ヘルメットを被った、業者の責任者らしい男が、ハイエースの横から、英美里たちのほうに向かって歩いてきた。
「おはようございます。本日はよろしくお願いします」
と男は、頭を下げた。
「おはようございます。こちらこそよろしくお願いします」
と英美里たちも頭を下げた。
英美里が男に近づくと、お互いに あっと小さな声を上げた。
「バイクの」
と男が言うと
「あの時は、お世話になりました」
と英美里は、再び頭を下げた。
まっ小さな町だ、どこかで会うかもしれないと思っていたが、まさか職場で合うとは思ってもいなかった。
英美里の同僚も、男の職場の人たちも不思議そうにしていたが、英美里も男も仕事が先なので、打ち合わせを続けて、仕事に入った。
昼休みに入って、英美里たちはベースの事務所に戻ったが、すぐに食事を済ませて英美里だけは駐車場に引き返した。
どうしても、男にお礼をしたかったのだ。
男は、ハイエースの横で、煙草をふかしていた。
「この前は、本当に助かりました」
と英美里は言って、男に缶コーヒーを差し出した。
「不思議なもんだ。また会えるとはね」
と男は缶コーヒーを受け取ると、車内の灰皿に煙草をねじ込んだ。
「パンク修理はどうだった」
と男は、缶コーヒーのタブを起こしながら英美里に尋ねた。
「はい、リムにゴムは漏れてなかったんで、チューブの交換だけで済みました。」
と英美里も男の横に並んで、コーラーのプルタブを上げた。
一瞬、男の目が懐かしそうに、コーラーの缶を見つめていた。
「確かに、チューブレスと違ってチューブだけ変えれば、タイヤは交換しなくて済むからね。」
と男は笑った。
英美里は、男がつけている通行証の名前を見た
"川端 秋生"
と書かれていた。
何故だろう、ずいぶんと昔から知っていたように名前だ。
「技官に女性とは珍しいね。どおりで、バイクもいじれるわけだ。大学出かい」
と川端が訪ねると、英美里は頷いた。
「それゃ、大変だな。技術師狙いかい」
と川端は驚いた顔で英美里を見た。
技術師は、国家資格の最高峰だ。
「だから、現場経験が必要だから、こんなに若い子がヘルメットかぶってるんて゜すよ」
と英美里は笑って見せた。
川端も微笑んだ。
川端たちの仕事は、溶接部分の検査と、バルブの試験検査の仕事だった。
川端たちの仕事ぶりは、地場とはいえ、きちんとしたもので、英美里も大変勉強になっていた。
聞けば、川端たちの会社は、全国のプラントにも出かけており、経験は豊富だった。
英美里は、川端たちに交じりながら、いろんなことを学んでいった。
いつしか、川端や他の作業員とも仲良くなっていた。
現場のメンテも工期を短縮してできたので、みんなでお疲れ様会をやろうということで、英美里たちの何人かと、川端達と居酒屋で飲むことになった。
「カンパーイ」
という声とともに、みんなでビールを一気飲みしていた。
こういう技術や作業員は、体育会系のノリが多い。
多分に漏れずに、ピールのジョッキが次々と運ばれてくる。
紅一点とでもいうのだろうか、英美里の傍にはドーナツ型の砦が築かれて、いろいろと冷やかされていた。もっとも、作業員は川端を除いて、すべて既婚者なので、変な心配はない。
ただ、若い子としゃべる機会がないので、ウキウキしているようだった。
英美里も負けていずに、体質なのかいくら飲んでも顔色一つ変えずに、ジョッキを空けていた。
さすがの男連中も、英美里の飲みっぷりに驚いていた。
川端は、独り隅のほうでにこやかな顔で、座っていた。
英美里は気になって、取り巻きの男たちをいなして、川端の横に座った。
「飲んでます」
とジョッキを上げて尋ねる英美里に
「いや、俺は飲めないんで」
と川端はロンググラスのウーロン茶を英美里に見せた
「体質的に飲めないとか」
英美里がすまなさそうに尋ねると
「いや、そうじゃなくて、やめたんだ」
と苦笑しながら川端はいった。
「病気とかですか」
と遠慮がちに英美里は尋ねてみた。
「いいや、そうじゃなくて。もう飲まなくてもいいと思ったから、やめた」
と川端はいって、ウーロン茶のグラスを口に運んだ。
「英美里さんは、酒に強いね」
と先ほどからの飲みっぷりをみていたのか、川端が不思議そうにいった。
「はい、いくら飲んでも酔いません。大学のころは、女友達を飲ませてどうかしようという輩からわたしが、友達を守ってましたから」
と得意そうに英美里はいった。
「あっ 班長が女としゃべっている」
と作業員の一人が声を上げた
「班長、だめですよ自分の娘みたいな子を口説いたら、いくら独身だからと言って、それは犯罪です」
とからかった。
「うっさいぞ、酔っ払いが、俺は口説いてなんかしないぞ」
と反論したら、一同みんな笑い転げていた。
楽しい飲み会も、お開きとなり英美里は店を出た。
暫く店の前で、屯っていたが、それぞれの馴染みの店に行くようだった。
英美里の前に川端が立っていた。
「明日も仕事だろ、もう帰れよ」
といって、英美里の手にお札を握らせた。
返そうとしたら、川端はそそくさとその場を立ちさっていった。
「また、縁があったら一緒に仕事をしような」
と去り際に行ってくれた。
懐かして、とても懐かしい気持ちでいっぱいになった。
どう言葉にあらわしていいか、わからないが、逢いたくて逢いたくてたまらなかった人に逢ったような気がして胸の中がいっぱいになった。
思わず、川端の後を追いかけようかとも思った。
"リーン"
と鈴音がどこからともなく聞こえてきた。
"この音は知っている"
英美里は、確信した。
いつも見る、夢の中で聞いた音だ。
心がとても落ち着く音だ。
聞いていると、母親の子供をあやす声に聞こえる。
英美里は携帯を取り出した。
そして、そのストラップについている、鈴を鳴らした。
"同じだ"
と感じた。
再び、鈴を鳴らすと、どこからかカラメルの香ばしい香りが漂ってきて、ふとあたりを見回すと
交番の前で座り込んでいる、野球帽を被った少年とアイスキャンディを食べている少女が見えた




