第七話 はじめての手繋ぎは、安全確保のためだから
シリアス回のはじまりです。
「護衛のみんなは朝まで起きない?」
「ぐっすり眠っているのを確認してきました、ご安心くださいジュリエット様」
「彼らには明日、旧運河沿いの名物のお肉をいっぱいご馳走しよう……」
(それで私のわがままを許してください!)
ムストもネヴァも自然崇拝の国なので、今は月の女神様に祈って(謝って)おく。
緊張しながら宿を出ると、体がブルッと震えた。
旧運河周辺の気温は夜になると下がるので、少し肌寒い。
私とマーサは持ってきた服の中でなるべく装飾の少ない、動きやすい格好をしてきたつもりだけど、変じゃないかなと少し不安になる。
だって……
宿の裏口で待っていたのは、月光に照らされた継嗣殿下。軍服の襟元にあるリンドウの刺繍はムストの国花で、花の部分をぐるっと縁取る金糸とロミオの輝く金髪が、月の淡い銀の光に包まれているようだ。
(うぅっ、いつもかっこいい……)
今が夜でよかった。頬の赤みが隠せるから。
そんなことを思いながら近づいていくと、ロミオとベンが周囲を素早く見回して話しかけてくる。
「姫君。時間どおりだ」
「……はい」
声が、自分の耳にだけ上ずって聞こえる。マーサが肩にマントをかけてくれる。
その手が震えているのは、肌寒いからだけじゃないことはわかっている。
巻き込んで申し訳ない気持ち、ごめんマーサ。
昼間に来た旧運河に着き、ゴンドラの底板を外すと、周囲の闇より暗い穴の中に階段が見える。どこまで続いているかわからないのがちょっと……いや、だいぶ怖い。
でも行くって決めた!
私の脳内が忙しく動いている間に、ベンがランプを掲げ先に降りていく。
「殿下、姫君、侍女殿、降ります。順番は忘れないでください。俺、殿下、姫君、マーサ殿。灯は前後だけ。距離は1m以上を保ってください。アラームが鳴ったら、全員終わりですよ」
昼間に決めたルールだ。ネヴァとムストが近づきすぎないための距離の工夫。ベンが先頭、マーサが最後尾。あいだにロミオと私。前後の灯だけを頼りに、間隔を空ける。
足元が悪い。石は湿って、手すりは錆びていて、土壁は指が滑る。
ランプの光は前後にしか届かない。真ん中の暗がりで、次の段が見えなくなる。
「姫君、手を。ここは危ないから」
前を歩くロミオが、少しぎこちない仕草で手を差し出す。
お父様とでさえ手を繋いだ記憶がない私が狼狽えるのは、あたりまえよね?
自分で言うのもなんだけど、世界屈指の禁止事項をもつ(たぶん)、超絶箱入り娘なのよ?
────触れ合うのはだめ。でも、階段から落ちたらもっとだめ
指先が触れた瞬間、うなじの唸りが遠のく。警告のアラームも鳴らない。
わかっていたはずなのにドキドキする。
そう、これは検閲官に見つからないかと心配だった気持ちのドキドキ。
そして、乙女の恥じらいなのよ……
脳内で必死になって言ういいわけは、誰に対してのものなのか。
彼の手のひらは、思ったより大きくて、少しゴツゴツしていて、自分と全然違ってて。やっぱり熱くて、しっとりと汗ばんでいた。
(……手、汗? どっちの?)
自分の鼓動がうるさくて、階段の軋みと区別がつかない。薄暗い中で何が起こるかわからない恐怖と同時に、なにか別のものが同じ場所でぶつかっている感じがする。手汗をかいて、嫌われちゃわないかしら?
今すぐ手汗をかかない体質にしてほしいと、ジュリエットは今宵2度目の祈りを月の女神様に捧げるのだった。
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同じ頃、ロミオも激しく葛藤していた。
(やばい……手汗が)
落ち着きたくて、先を歩くベンの茶色い頭をじっと見つめる。襟足、ちょっと寝癖がついてるぞ?よかった、ベンの髪型はロミオに今一番必要な「冷静さ」に一役買ってくれている。
ただ、繋いでいない方の自分の手が、何度か空を掴むのが見えた。それか、襟元の刺繍に触れてみたり、軍服の裾を引っ張ってみたり。
落ち着き、頼りがいのある年上の男(自称)として、これはどうなのか。
静まり返った空間の中で、妙に自分の行動を意識してしまう。
……錆びていてもいい、手すりをつかもう。
そう、これはネヴァ国継嗣であり、成人したばかりの女性への安全上の配慮なのだ。
手すりも手も。しっかり握るのは下心のはずがない。
前を行くベンの気配がわずかにピリついた。この男は一流の武人なので、よくない何かを察知したのだろう。
浮ついた意識を切り替えると、暗がりのどこかから視線を感じる。
見られているが、襲いかかってくる様子はない。
ベンは明かりを持つ反対側の手を剣の柄にかけて威圧を放つ。
特に仕掛けてくる気配がないため、錆びた空気の奥に向け、息を殺しながら進む。
階段が終わると、鉄の匂いがどっと押し寄せた。油と、湯気と、古い布。
発電機が、どこかで低く唸っている。
灯は少ないのに、人の気配は想定より多い。
通路の両脇に、布で仕切った区画がズラッと並んでいる。子どもを叱る低い声、壁に沿って並ぶ大きな袋。
ここは何だ?人が住んでいる?
「地下」の存在など、これまで一度も教わってこなかった。ジュリエットに視線を向けると、彼女も驚きに大きな瞳を瞬かせていた。
明らかに「地下」には生活がある。
息を飲む音が、自分の喉から漏れた。ベンが警戒レベルを最大に引き上げる。
マーサがジュリエットの背中にそっと手を寄せる。
気づけば、たくさんの人が立っている。布の陰から出てきた者、通路の角から出てきた者。年齢はバラバラで、こちらの様子をうかがっている。
武器らしいものは見えないが、囲まれている。剥き出しの敵意をビシビシ感じる中、白髪混じりの髪はボサボサで、無精髭が生えている男が一歩前に出た。
「ようこそ地下へ」
少ししゃがれた低めの声でロミオたちへ呼びかけてきた。
どうやらリーダー格のようだ。灰色の目がロミオたちを値踏みするように睨め付ける。
「動くなよ!そこの茶髪、そう威嚇するな。あと金髪と黒髪の娘。どう見てもいいとこの坊ちゃん嬢ちゃんだ。その軍服、検閲じゃねえよな。偶然と好奇心の結果か?」
年齢不詳の男の視線が、ジュリエットの黒髪と幅広の白い髪の房、紫の瞳に止まる。総領主家の色。ネヴァの継嗣だと、大人ならわかる色だ。
次に、ロミオの金髪碧眼と、軍服のリンドウへ視線が移る。
「おいおいマジかよ……両方、継嗣か。冗談じゃねえ」
ロミオが、背筋を伸ばす。継嗣としての圧倒的オーラを放ちながら男に言った。
「私たちは、敵対するつもりで来たのではない。ここへ続く入口を見つけてしまった以上、見ぬふりはできなかった。あなた方は——」
「説明する『義務』はねえよ。あるのは、俺たちが生きのびるか、これから死ぬのかの話だ」
男は吐き捨てるように言って、少し躊躇し、言葉を選び直す。
「ロレンスだ。ここではそう呼ばれてる。お前らを殺すより、見極めたい連中がいる。……俺もその一人だ」
周囲にいる視線が一斉に鋭くなり、囲みが狭まる。
男───ロレンスはそれを視線で制しながら続けた。
「ここへ続く入口のことを誰かに言ったか?もし言っていたら、ここは終わる。俺たちはすぐに出なきゃならねぇ」
「行く当てはあるのか?」
「この人数で潜める場所が、ほいほいどこにでもあるわけねぇだろが。でも黙って狩られるくらいなら、活路を見出す」
「もし誰にも話していないと言ったら?」
ロレンスは口の端をニヤリとあげ、少し愉快そうな表情で平然と言った。
「交渉だ」
手汗が気になる思春期の二人。




