第六話 がんじがめらの愛から、抜け出す一歩
今回、いつもの「ジュリ→ロミ」ターンが2往復あります。
あれから、十日が過ぎた。
平和調印式の余韻は、ネヴァの街からもう消えていた。
残っているのは、ジュリエットの痛い失敗の記憶と、消えた音の不可思議な感触と、いとこの婚約という事実だけ。
眠れない夜が続く。うなじの奥の低い唸りは、以前と同じはずなのに、一度真の静寂を知ったせいか煩わしく感じる。いっそ、耳を塞いでしまいたい。このうるさい音が消えるなら、消す方法があるならそれを知りたいと思った。
ロミオは何か知っているのだろうか?会って、確かめたい。
父が作った「禁止リスト」を破る行為だとわかっていた。
ジュリエットはロミオに会えない。彼に会うのは年に一度の平和調印式だけと決まっている。
唯一の例外は「仮装祭」
表向きはお祭りの日だが、実は刻印のメンテナンス日なので、検知とアラームがオフになる。どちらの国のルールも守らなくていいため、老若男女が無礼講で楽しめるお楽しみの日だ。
ただ、仮装祭はまだ先の話し。どうにか作戦を考えて、ロミオと会う機会を作りたかった。
彼について何か話すと、お父様は決まっていい顔をしないから、普通に頼んでも会わせてもらえないはず。そもそもネヴァ国民とムスト国民には「接近禁止」の共通ルールがある。これを破れば即座にアラームが鳴り、検閲局に狩られる。刻印が検知する半径1m以内に入ったらアウトなのだ。
ネヴァは禁止の国。父である総領主ロムルスは、国民を守るためあらゆる危険から遠ざける道を選んだ。
当然、娘であるジュリエットへの禁止リストは、これでもかと分厚い。
ルール国が分かれて少し経ったころ、視察に出かけていたネヴァ国総領主婦人であるお母様が、事故に巻き込まれて儚くなった。当時のお父様の嘆き悲しむ姿を今でも覚えている。 その時ジュリエットはまだ六歳で、お母様にもう二度と会えないことがわかり悲しかったが、お父様があまりに辛そうで、寂しいとか悲しいとか言ってはいけないと思っていた。
それからだ。お父様からジュリエットへの行動制限や禁止項目が増え始めたのは。
今でさえたくさんあるのに、毎年新しいルールが追加されている。
ジュリエットのために増える、とお父様は言う。それが父としての愛の形だと。
「お前まで失うわけにはいかない」
────私はお父様の愛にがんじがらめだ。
そっと総領主の書斎へ足を運ぶ。閲覧用の置き型通信機を起動し、ジュリエットのためだけの禁止リストが載ったフォルダを開く。長いリストの一番上から
一、成人まで継嗣一人で公務をすること
一、成人後の公務も同様のこと
(追記:分国歴十二年稜月一日制定、静月七日より施行)
一、ムスト国民と接近すること、触れ合うこと
一、国境を越えること
一、ムスト(敵対国)の継嗣と私的に通信すること
とある。もちろんリストはまだまだ続く。
これらの禁止事項を破らねば、私は真実にたどり着けない。
(結局、成人かどうかにかかわらず、私はお父様と一緒じゃないと公務できないってことよね。しかもムストをはっきり敵対国って書いてるし……)
「このリストを守れる人間がいるなんて、驚きだわ」
ここにいるけど……ジュリエットは眉間のしわを伸ばしながら自虐的につぶやく。何か、正面からお父様を説得できる方法はないのだろうか。
ふと、小さく書かれた但し書きが目に留まる。
「緩衝地帯における視察および公式行事の参加は、国の要請に基づき規則の適用外とする」
その一行は他の文字に比べて極端に小さく、斜め読みしていたら確実に読み飛ばしていた。平和調印式は両国の接触禁止が難しいので、このような一文が設けられているのだろう。つまり、必要性があれば緩衝地帯の視察は単独公務も例外的に認められると読める(読もうと思えば)
これを利用しない手はない。
翌日、ジュリエットは「緩衝地帯の現状を継嗣として把握しておきたいと思います。この前の式典での失敗を取り戻させてほしい」と申し出た。
お父様に一番効く『泣き顔風うる目仕立て』は、統計的にみてもおねだり成功率が高い。
「いやでも、しかし……」「う……ん」「私も総領主として同行しよう」だの何だの言っていたが、継嗣として経験を積むこと、一人で公務をこなす姿をアピールすることが重要であると何とか説き伏せた。
お父様は寝てるんじゃないかと疑うくらい、長い長い葛藤と沈黙のあと、苦虫を噛み潰したような顔でようやく頷いた。護衛を最低5人は連れていくことを条件に。
10日間の引きこもりも功を奏した。娘の精神的復活を手助けする必要性を感じてくれたのだろう。
禁止されていないことには、意外と弱い。
あとは放送局も利用する。
私が緩衝地帯の視察に行くことを早めにニュースとして流させるのだ。
これは賭け。
彼が私の意図に気づくかどうか。
+++
ムストの自分の執務室で、私は突破口を探していた。どうやって極秘ファイルにアクセスするか。
最終的には、文官をこちらに取り込んで、パスコードを聞き出すしかないが。
「殿下、放送!」
ベンが流れっぱなしだった朝のニュースに、注意を向けるよう促してくる。
「これは……」
ネヴァの継嗣が成人後初の単独公務として、緩衝地帯の視察を花守の月十三日に行うと伝えていた。
急いで執務机に座りペンをとる。
「殿下、極秘ファイルの件はまだ——」
「あと回しだ」
「姫君に会ったら何かわかりますか?」
「わからない。でもこれはジュリエットからの明確なメッセージだ。年上のいとことして、まぼろし姫の公務をできる限り支えてやらなければならない。義務っぽいだろ?」
「何ですか、それ」
「いいだろ……私の行動原理は義務なんだから」
「義務のお面をかぶせないと、自分を納得させられないのも難儀ですねぇ」
ベンは呆れた顔をするけど、見ないふりをする。
有能な側近は、すぐに作成し送信した『緩衝地帯の旧運河視察 継嗣公務申請書』の根回しのため、執務室を出て行った。きっとネヴァの継嗣の視察日時と同日同時刻に緩衝地帯にいられるようにしてくれるはずだ。両国の境界管理の参考にするといえば、議会も何も言えないだろう。
いまだに、なぜ手合わせをした時にうなじの音が消えたのか、わからない。
わからないまま進むのは嫌いだ。彼女に会ったからといって、謎が解けるとは限らない。
でも、このチャンスを逃す気はない。
+++
水の涸れた旧運河は、かつての繁栄を完全に失っていた。
ここは以前、ルール国の主要な交易路として商業活動が活発だった場所だ。それが今では岸壁が崩れ、底には乾いた泥と、白い石が転がっている。かつて水が流れていた痕跡だけが、線のように残っているだけだった。ふと見ると、朽ちたゴンドラが一艘、傾いて止まっていた。オールは見当たらない。
ジュリエットはマーサと護衛たちとともに、この旧運河に来ていた。水が枯れるということはどういうことなのか。長期の干ばつや水環境の悪化でもないのに、この運河は涸れたのだ。
水を失う国は長くないのではないか?
分国してからわずか数カ月で干上がったこの運河。 いまだに原因は不明とされている。
突然、護衛たちがジュリエット達の前に立ちふさがる。彼ら越しに見えたのは金の髪に碧い瞳。
黒に近い濃紺の軍服に、ムストの国花であるリンドウが襟に刺繍されている。
ロミオが、対岸からゆっくりと降りてくる。ベン以外の護衛はいないようだ。
「ごきげんよう、ムストの継嗣殿下。……あなたも旧運河の視察ですか?」
「ネヴァ国の継嗣の姫君にご挨拶申し上げる。両国の境界管理の参考にしたくてね」
「それはとても重要な議題です。よかったらその件について少し意見交換しませんか?」
すかさず護衛たちが「姫君!!」と継嗣の思いつきを止めに入る。
彼らからすれば、敵対国の継嗣との接近は、ジュリエットを守るうえで最重要禁止事項だ。
「1m以内には近づかないわ。それならいいでしょう?」
ジュリエットはうるさく鳴る自分の心臓を何とかなだめ、なるべく平静を装って護衛たちに笑顔を向けた。
「継嗣の姫君の言うとおりだ。私たちは決してアラームが鳴るような騒ぎを起こさないと誓うよ。1m以内に近づかなければ、違反にはならない、そうだろう?」
ロミオが笑顔で、それでいて圧のある声色で続けた。
「しかし、我々はっ」
職務に忠実な護衛たちは、一歩も引く気配がない。だけどここまで来て、何もせずに帰るわけにはいかないのだ。
(またアレをやるしかない……)
「お願い……継嗣としてしっかり公務をするために、彼からアドバイスをもらいたいの。もう失敗したくない……」
護衛たちに向け、必殺『泣き顔風うる目仕立て、うっすら涙ver.』を繰り出した。
護衛たちが胸を押さえ、口々に「うゔっ」と言って退いてくれる。
(やはり、成功率が高いわ……)
マーサが護衛たちに氷の視線を向ける中、ジュリエットはロミオに向き直って微笑んだ。
彼に『泣き顔風うる目仕立て』を見られてしまった。どう思われたか気になるけど、この場合仕方ないのよ。
「では姫君、そこのゴンドラに座って話すのはどうだろうか」
ロミオは言うなり、マントを肩から外し、船の座席部分に敷いた。
「それでは継嗣殿下のマントが汚れてしまいますっ」
ジュリエットは焦って断ろうとするが、それよりも早くロミオはゴンドラの端に座ってしまった。
「この後はもう宿に下がるだけなので問題ありません。姫君のきれいな衣装が汚れる方がずっと問題だ。どうか気にせず腰を下ろしてほしい」
ロミオはそう言って、口元を少し緩める。固辞し続けるのも失礼と思い直し、ジュリエットも座ろうとした瞬間、バランスを崩してしまう。
「きゃっ」
転ぶ!!と思った瞬間、力強い腕がジュリエットを支えた。アラームは鳴っていない。
助けてくれたのは、ネヴァの者でなければおかしい。だけどジュリエットの顔にかかる髪の色は金色。
心配そうにのぞき込む瞳の色は碧。光が差し込む深い海の色。
触れ合ってはいけなかった。アラームは鳴らなければならない、それなのに——
その時、唖然とするジュリエットの護衛たちの後ろへ素早く回ったベンが、彼らを手刀で昏倒させていく。
「殿下、ご決断を」
「姫君、彼らに見られてしまった。私たち二人が違反者になるわけにはいかない。ここに記憶障害を引き起こす薬がある。彼らに使うよ、いいね?」
「あの者たちの体に悪影響は……」
「大丈夫だ、数時間の記憶の混濁がある以外、体に問題はなく後遺症も残らない」
「そうですか、それなら……」
護衛たちには悪いが、先ほど見たことは忘れてもらおう。
ベンとマーサが対応している間に、私たちはゴンドラに座り直して話をすることにした。二人は今、ひざを突き合わせる距離に座っている。でも、アラームは鳴らないし、うなじの奥の唸りも聞こえない。さっき、ロミオとの距離が近づくにつれて音が弱くなった気がしていたが、気のせいではなかった。
やはり、私たちが近づいても、触れ合っても「違反者」の警告が出ないことが確定した。
───それがなぜなのかは、まだわからないけれど……
ふと、船底に違和感を抱く。そこを凝視しているとロミオも何かに気づいた。
「ベンっ」
ロミオはベンを呼び寄せる。ジュリエットの護衛たちはまだ気を失っている。
ベンが接近してアラームが鳴っては困るので、ジュリエットはマーサの手を借りてゴンドラを一旦降りる。ロミオとベンが手早くゴンドラの底板を外すと、扉が現れた。二人がその扉を開き、中を覗き込む。
階段が続いているようだが、暗くて先の方はよく見えない。
「ちょっと準備しないと、探索は無理ですね」
「そうだな。だが見てしまった以上、見ぬふりはできない」
「そういうと思いましたヨ……」
どうやら設備を整えに一度街に戻り、夜にもう一度ここを訪れるつもりのようだ。
「姫君、私たちの間で違反の警告が出ないことは今回のことではっきりとわかったが、まだ謎は多い。どうだろう、うちのベンと姫君の侍女殿を介して、今後も情報交換を行っていくというのは」
願ってもない申し出に、即座に頷きマーサを見た。
仕方ありませんね……という諦めの顔であるものの、マーサは了承してくれた。
ベンには拒否権がないらしい。
「あの……継嗣殿下、わたしも夜ここに来ちゃだめですか?」
その場にいた全員がギョッと目を見開き、一斉に首を横にブンブン振る。
「危険だから却下だ」
「姫君、無茶はいけません。無茶ぶりはどこかの殿下だけで十分です!」
「ありえません、ダメです!!!!!!!」
最後の圧が強い……
それでも諦めきれず、粘ってみる。禁止の国の継嗣、初めての反抗期。
「はぁ、貴女がここまで強情だとは思わなかったよ」
ロミオにそう言われて、顔が青ざめる。
やっぱり、足手まといにしかならない私なんかが、わがままを言ってはいけなかったんだ。
さっきまでの勢いが一気になくなり、地面に水滴がポタリと落ちる。
(泣きたくなんか、ないのに)
涙が零れ落ちて、止まってくれない。
これに慌てたのはロミオとベン。
殿下のせいですよ!とベンにどつかれ、ロミオの手がせわしなく動き回る。
「すまない!強情といったのは悪い意味ではなく……その、姫君を危険な目に合わせたくなくて……であって、その……」
二人は白旗を挙げた。
「危険だと判断したらすぐ撤退する」
夜、私たちが泊まる宿にロミオとベンが迎えに来てくれることで話がまとまった。
可哀そうな護衛たちには、睡眠薬入りのお茶がふるまわれることになるだろう。
「うちの護衛たち、薬漬けになるけど大丈夫かしら?」
本日二度目のお薬を身内から盛られる護衛たちを心配し、心の中で何度も謝罪しながら、ジュリエットは人生で初めて自分の意見を押し通してみたのだった。
ちなみに、ジュリエットは小さなこども並みに、ペアレンタルコントロール(閲覧サイトも厳しく制限)されています。
ただ、強かな面もあり、なかなかのおねだり上手です。
〜泣き顔うる目三段活用〜
『泣き顔風うる目仕立て』『泣き顔風うる目仕立て、うっすら涙ver.』『泣き顔風うる目仕立て、一雫の涙ver.』




