第六十六話 正しいだけで届かないなら、届く場所で叫ぶ
水道局の三階は、廊下の照明が半分落ちていた。ジュリエットとパックと一緒にハロルド氏のもとを訪れていた。キューは体調不良で留守番。ドーラとオギーが家で一緒にいる。
階段を上がるまで、窓口にはそこそこ人がいたのに、三階に上がった途端、足音が自分たちのものだけになる。突き当たりの、一番奥の扉。「技術顧問室」と小さな表示が出ていた。ノックすると、すぐに返事があった。
「どうぞ」
扉を開けると、ハロルド氏が立ち上がるところだった。白髪をきっちりと撫でつけた痩せた姿は、説明会のときと変わらない。ただ、壇上で見たときよりずっと、目に力があった。
「お待ちしておりました。ようこそ、いらしてくださいました」
部屋は「技術顧問室」というイメージとは、およそかけ離れていた。狭く、古びた印象の質素な部屋。机と椅子と、古い通信端末が一台あるだけだ。壁際の棚には、古い水道管を輪切りにしたものが並んでいる。特徴的だったのは、その断面の内側に赤茶色のこぶのようなものが盛り上がって、穴が半分ほどふさがっているものがあることだ。ジュリエットが、それをじっと見ている。
「これは……」
「この国の地下を通る水道管で、交換時期がきたものを説明用に保管しております」
ハロルド氏は、私たちに椅子をすすめながら言った。
「説明会の件でお越しになられた。そうですよね?他国の方とお見受けしますが、なぜこの国の水道事業に興味がおありなのでしょうか?」
私たちの真意がどこにあるのかを見定める目。私は、自国をより良くするためにより良い施策を求め、学んでいることを説明した。そして、放送で聞いたエリュシオンの水道事業の進め方に危機感を抱いたことも正直に伝えた。
ハロルド氏は大きく一つ頷き、
「率直にお答えくださり、ありがとうございます。私も腹を割ってお話ししようと思います」
と、決意を秘めた目で言った。
「実は先日、誰も来ない部屋と申しましたが、昨日は珍しくお客様がありました」
「お客様、ですか?」
「説明会に参加していたハーン議員です。お一人でいらっしゃいました。ずっと私と話したかったそうで」
ハロルド氏の口元が、わずかにゆるんだ。
「彼は、力になってくれます」
説明会の最後、最前列から私たちの顔を順に見て深く頷いた議員の姿を思い出す。
「ハロルド殿。私たちは、この国の水道事業の実際の姿と今後の展望について知りたい。説明会では、聞けなかったことを」
「それでは、お見せしたほうが早いでしょう」
机の上の古い通信端末の画面に、細い線が網の目のように広がる地図が映る。説明会で見たものと同じ、山から街へ水を運ぶ水道管の地図だ。ところどころに小さな丸があって、緑色に光っている。
「緑の丸が、弁でございます。開け閉めで、水の行き先を決められます」
ハロルド氏は、その中のひとつに指を当てた。画面の端に「閉」という表示が出る。古い端末だが、タッチパネル式のようだ。ハロルド氏が、緑のマークをもう一度押す。画面の真ん中に、赤い文字が浮かんだ。
『権限がありません』
「……二年前までは、ここから弁の開け閉めが操作できました。どこの水を止めるか、どの水門を開くかを、水道局で管理できていたのです」
「二年前まで。今は?」
「現在、この国の弁の開け閉めの権限は委託先の企業が持っています。もしも今夜、この国の水を止めると企業が決めれば、いくら蛇口をひねっても水は出ません。この国は、そこまで来てます」
「やべぇな」
パックが怒りとともに言葉を吐き出す。
「説明会では最後まで申し上げられませんでしたが、水道料金は、この数年上がり続けております。料金を跳ね上げられても、払うしかなくなります。水を止めると脅されれば、国はどんな要求ものむしかなくなるでしょう」
誰に水を渡し、誰に渡さないか。
それを決めるのが、国ではなく一つの会社になる。背筋が冷たくなった。
ジュリエットの手が、私の服の袖をぎゅっと握る。
その時、扉が乱暴に叩かれた。
「すみません、技術顧問室っていうのは、ここで合ってますか?」
扉の外から声がかかり、ハロルド氏が扉を開けた。中に入ってきたのは、日焼けした初老の男だった。手には通信機を握りしめている。
「窓口で、沢の水のことを相談したら、二階に行けと言われて。二階で話したら、三階の奥に技術顧問室があるから、そっちで聞いてくれと」
「そうでしたか、こちらへ……」
ハロルド氏が、困ったように眉を下げた。たらいまわしの末に、陳情を受けるのはこの部屋なのだろう。椅子に座り、はじめて男は私たちに気がついた。
「先客がいたのか。すまん、出直して……」
「いえ、お構いなくどうぞ。私たちも、水の話を聞きに来た者です。差し支えなければ、同席しても?」
「ああ。構わない。多くの人に聞いてもらいたいからな」
男はそう言うと、陳情内容を語りだした。
「レテ高地の沢のほうで、先祖代々暮らしてる者です。家の裏に湧き水があって、その辺の家はみんな共同でその水を使っていたんですよ。それが先週、通知が来ました。沢の水を汲むには、事前の申請と許可がいるって。沢の上流の土地を買った会社の決まりだそうです」
そう言って向けられた通信機の画面には、丁寧な言葉で書かれた通知文が映っていた。
「水源保全へのご協力のお願い」から始まり、申請方法と利用量の上限。これを超える場合には使用料を支払うことと、違反した場合の対応について。文末には、三つの水滴を重ねた丸いマークと「ウェルスプリング」の文字。
「うちの沢ですよ。うちの裏の、先祖代々使ってきた。それなのに、突然許可が必要になって、使いすぎたら使用料を払えって、こんな要求のめるわけがない!!」
「胸中、お察しいたします。ただ……」
ハロルド氏が言い淀む。合法的な土地の売買と水の使用料について、通知を見る限り覆すのが難しそうだった。それがわかっているからだろう。
「上流の土地を売った家のことはよく知ってます。土地が高く売れたって喜んで、おかげで孫を街の学校にやれる、新しい車が買えるって。それを聞いて、隣近所も土地を売るって話をし始めて。俺だけが、土地を売るのは危険だ、やめろって言い続けるもんだから、あいつはおかしいって言われ始めて、近所で浮いてました」
「おっちゃんは、何一つ間違ってねぇよ!そいつらが考えなしなんだ!」
「実は、同じ通知がレテ高地の大部分の家に届いて、今朝から大騒ぎです。与党の議員さんにも陳情に行きました。でも、検討します、の一言で。それで藁にも縋る思いで、今日ここへ来たんです」
男は、そこで言葉を切ってうつむいた。ハロルド氏の顔が苦痛に歪む。
確か、二十七日の採決で水源地の管理と保全の一括委託が決まると説明会で話していた。時間は残されていない。しかも、すでに水源地の買収は始まっていたのだ。
この国の謀略は、完成の手前まで来ている。
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ここでできる手立てが何もないとわかると、男は帰っていった。
私は念のため、連絡先を交換しておいた。何か追加情報があれば教えてほしいと。
男はため息をつきつつ、了承してくれた。
「ハロルド殿。二十七日の採決を止める手立ては、本当にないのだろうか」
「ハーン議員は戦ってくださいます。ですが、議案の採択は数の勝負です。もう、本決まりと言って良いでしょう。彼一人では、どうにも」
分かっていた。説明会でハーン議員が肩を落とした姿を私は見ている。
そして、他国の者である私たちには、もっと手立てがない。
ムストの議会で、私は正しいことを言った。言ったうえで、潰された。
あのときの議場の冷たい空気を今でも覚えている。
正しいことを、正しい場所で言うだけでは届かない。
「国民、みんな大事なものを見てねぇもんな」
パックが、ぽつりと言った。
「説明会、六人しかいなかったし。あのおっちゃんの話だって、誰も聞かずにこのざまだ」
百席の会場に、六人。
誰も見ていないうちに、全てが決まってしまう。
────なら、見せればいいのでは?
この国の人が、目を向けずにはいられない場所で。
「ロミオ?」
ジュリエットが、私の顔をのぞき込んだ。
「……ジュリエット。この国で今、一番人の目が集まるものは何だろうか」
「野球、二十七日の優勝決定戦だと思うわ」
「おんなじ日か!」
「それが、あの企業の、国のやり方です」
ハロルド氏が、エンリッチ氏とのこれまでの会話を含め、大事な採択をするときは、スポーツの重要な試合とぶつけ、国民の関心をそらすという決まり事を教えてくれた。
「きったね~な~」
「パンとサーカス。スポーツへの熱狂を隠れ蓑にしているのね」
「そうだな。だが、逆に優勝決定戦の配信をうまく利用して、議場の生中継をして真実を知らせるというのはどうだろうか?」
「野球の配信を乗っ取るのか?」
「言葉を選ばずに言うなら、そうだ」
野球の配信には多くの注目が集まる。そこの配信で、真実を訴えれば多くの人に嫌でも届くのではないだろうか?
「多くの人が野球じゃないとわかったとたん、他の配信に移るのではないかしら?」
「ならば、野球よりも刺激的で、目を向けずにはいられない仕掛けを施せばいい」
私がそう言うと、パックが悪い顔をして、
「その話、乗った!」
と言った。
「協力者がいる。不可欠なのはハーン議員だ。ハロルド殿にもぜひ協力してほしい」
「まだ話が見えませんが、何をすればよろしいので?」
「ハーン議員に、私たちのことを伝えてもらえないだろうか。話したいことがあると。その時、できれば貴殿にも同席してもらいたい」
「承知いたしました。必ず、お伝えします」
ハロルド氏は、深く頭を下げた。再び顔を上げたとき、その目はさっきまでとは打って変わり、戦う決意を宿した目をしていた。私たちは水道局を後にし、借家へ向かった。二十七日まであまり時間がない。やることはたくさんある。
だが、まずは……
「ミラ殿と連絡を取らなければ」
「配信を活用するなら、お願いしたいわね」
「どーやんの?」
「連絡先を聞かなかった。失態だ……」
「私、配信の公式サイトから連絡してみるわ!」
ジュリエットが連絡係を請け負ってくれた。
「たぶん、協力してくれると思う」
「なんだか、自信ありげだな?」
パックの問いかけに、ジュリエットが微笑む。
「推しの力を使うのよ!」
「推しの力……?」
「そう、どうやら水の話と野球の話はつながっているみたいだもの。なら、動いてくれると思うわ!」
私にはさっぱり話の筋が理解できなかったので、パックをチラッと見た。
パックもお手上げのポーズをしていた。
でも、ジュリエットが自信満々に言うのだ。
私は信じて任せる、一択だ。




