第六十五話 完全包囲一歩手前の、気づきの糸口
一夜明け、熱はすっかり下がっていた。体も軽い。
よし、と小さくこぶしを握る。昨日は一日、部屋から出してもらえなかった。
ロミオが朝昼晩と食事を運んできて、そのたびに私の額に手を当てる。食事のときだけじゃない。お茶を持ってきたとき、毛布を直しにきたとき、「何か足りないものはないか」と聞きにきたとき。数えてみたら、六回だった。
いいえ、違うわね。オギーが話に来た時も測ってたから、七回だわ。
「ロミオ、そんなに測っても、熱は急に上がったりしないわ」
「急に上がる場合もある。油断は禁物だ」
大真面目な顔でそう言って、お休みの挨拶をして部屋を出て行った。八回目。
横になっているしかなかった昨日、私は通信機でミラさんの公式サイトを開いていた。ロミオが様子を見にくるたびに、慌てて画面を伏せたのは内緒だ。ミラさんの、あのブレスレットのことが、どうしても頭から離れなかったから。
公式サイトには、過去の配信のアーカイブや今後の配信予定などが書かれているトップページとは別に、ブログ記事もあった。過去記事は、思っていたよりずっと昔までさかのぼれた。試合の感想、選手の寸評、その年のリーグ優勝の予想など。本当に、野球のことしか書いていない。そして、ある日の記事でさかのぼる指が止まった。
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【取材メモ】訓練生の練習試合
配信で紹介する選手のインタビューをお願いしたくて、球場の隅の練習試合へ。目当ての選手には結局話を聞けなかった。そのかわり、目に入ったのが背番号99。凡打でも一塁まで全力で走り抜けて、次の回はベンチ前に転がったボールを誰より先に拾いに行く。客席は私を入れても十人もいない。それでも彼は、誰も見ていないみたいに全力だった。名前はまだ知らない。野球が好きな理由を、思い出した日。
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「これは、やっぱり……」
ミラさん、訓練生の頃のオギーを見ていたんだ!
ちょっと、胸がドキドキする。熱が上がったせいでは、断じてないわ。
一番新しい記事も開いてみる。第一戦、あの試合だ。
更新は一行で止まっている。
『今日は書けません』
誰も見ていないと思って全力で走っていた頃のオギーを、ちゃんと見ていた人がいた。
それが恋なのか、ただ野球が好きなだけだったのかは、私にはわからない。
わからないことを、私の口から勝手に言っていいはずがない。
でも、いつかミラさん本人の口から、オギーにその気持ちが届いたらいいなと思った。
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今朝は、ロミオが朝の素振りをしている隙に、階段を降りる。
洗面所で顔を洗って居間へ行くと、台所からドーラが何かを炒める音が聞こえてきた。窓際では、オギーがパックと並んで座っている。昨日の素振りで赤くなった手のひらには、ドーラの手当てで白い布がぐるぐると巻かれていて、なんだか分厚い手袋みたいだった。
「おぉ~、姫さんもう良くなったか?」
「姫ちゃん、おはよ。熱、下がった?」
「おはよう、パック、オギー。もう平気よ。オギーの手のほうが心配だわ」
「これ?ドーラさんが大げさなんスよ。ほら、指、ちゃんと曲がるし」
ぐ、ぱ、と指を曲げてみせるけど、布が分厚すぎて、ほとんど曲がっていない。
パックが横で「全然、曲がってねぇよ」と笑った。
「キューは?」
「ん~、今日は頭痛がひどいみたいで。起きるの禁止にしてきた」
「そう、心配だわ」
最近、かなり調子が良くない。薬はちゃんと飲んでるみたいだけど、やっぱり調子に波がある。キューの治療法も早く見つけないとダメだわ。
そうしているうちに、ロミオが鍛錬を終えて部屋に入ってきた。軽く汗を流してくると言ってお風呂場へ行き、あっという間に戻ってきた。早い!
髪をタオルでガシガシと拭いている姿もかっこいい。濡れた髪がいつものサラサラヘアーと違って見えて、ドキドキしちゃう。ポーっとロミオを見つめていると、
「ジュリエット、顔が赤い。まだ熱があるのではないか?」
と、おでこを近づけてくる。やめて、特に今はやめて。
必死にもう治ったとアピールし、何とか納得してもらう。
「そうか。それなら、今日はハロルド氏のところへ一緒に行けるだろうか?」
「え?」
「病み上がりに無茶は良くないが、話を聞きに行きたいかと思って」
「うん、聞きに行きたい。昨日しっかり休んだから、もう大丈夫!一緒に連れて行って」
「体調が悪くなったら、すぐに帰る。約束できるなら」
「約束する!」
うれしい!ロミオは私の学びたい、成長したいという気持ちをすごく理解してくれている。
こうしてちゃんと機会を作ってくれるもの。昨日の朝の落ち込みが、あっという間にどこかへ飛んでいく。
その時、ロミオの通信機に短い着信を告げる音がした。
ロミオが通信機を手に取り、メールを読み込むと急に表情が変わった。
何か、重大な知らせでも入ったのかしら?
「ロミオ?」
ロミオが顔を上げた。さっきまでのやわらかい目とは全然違う、継嗣としてふるまっていた時の顔をしていた。
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「テオからのメールだ」
「テオって、確か、スポイルの?」
ジュリエットとパックが近づいてきたので、メールの内容を見せる。
オギーは少し離れたところで様子をうかがっていた。
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From : テオ
To : ロミオ
日付 : 芽月・十九日
件名 : タケナンテの件
ロミオ、ジュリエット、元気でやってるか。
あれから俺たちは、タケナンテの経歴を洗ってた。あの男は「ネクスト・ステュワーズ塾」っていう国際的な経済塾の出身だ。うたい文句は「明日の世界を担う若き指導者の会」。各国の若い政治家や経営者を集めて育ててるところらしい。タケナンテは、そこから活動資金も受け取ってるようだ。まだ裏は取れていない。
塾の印を送っておく。どこかで見かけたら教えてくれ。
テオ
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メールの最後に、小さな画像が添付されていた。丸の中に、しずくのような形が三つ、少しずつ重なり合っている。画像を開いた瞬間、どこかで見たと思った。どこでだったか?
思い出すより先に、ジュリエットが声を上げる。
「説明会でもらったお土産の水だわ。飲み終わったあと、きれいだからと台所の棚に置いておいた、あのボトルにあった絵と同じよ!」
すぐにパックが台所にボトルを取りに行く。ボトルには庭で摘んだ鮮やかな黄金色の花が一輪挿してあった。
居間の大きなテーブルの上に置いて、画像と並べてみる。
ボトルには、三つの水滴を重ねた丸いマークと、「ウェルスプリング」の文字。
一方、塾の印は水滴の形がボトルに比べ少しだけ細く、三つの重なり方の角度が微妙に違う。まったく同じではない。けれど、偶然と言い切るには、似すぎていた。
水の説明会でハロルド氏のマイクを奪い取った、あの担当者の笑顔が頭をよぎる。
急ぎ、通信機で『ウェルスプリング社』について調べる。多国籍企業のようだが、エリュシオン担当者の名前と経歴を載せていた。
『水の未来をお守りします』という言葉の下に、説明会で見たエンリッチ氏の顔写真と略歴。その中に、テオからのメールにあったタケナンテ氏と同じ塾の名前があった。
「……つながった」
思わず声が出ていた。ジュリエットとパックも頷く。
スポイルでベーシック・インカム(BI)を推し進めていた男と、この国の水道事業をすべて管理下に置こうとしている会社の担当者が、同じ場所で学んでいたという事実。
国が違う。制度も違う。それなのに、根が同じところにある気がしてならない。
その根がどこにつながっているのか。まだ、私には見えない。
「あの、なんかありました?」
オギーが恐る恐る近寄ってくる。私はスポイルのことも含め、メールの内容を伝えた。オギーは、布でぐるぐる巻きの手で、ボトルをそっと持ち上げた。
「このボトル、野球の一番デカいスポンサーの会社ッスよ。球場の液晶で試合中ひっきりなしにこのボトルのCMやってましたもん」
水道事業の一括管理をもくろむ外資系企業が、国技の一番のスポンサー。
なんだか、嫌な予感がする。
緊迫した空気を断ち切るように、ドーラの声が台所から響く。
「ご飯だよ~。みんなおいで。パック、キューはどうする?」
「あ~、ちょっと聞いてくるわ」
パックが二階へ駆けあがって行く。
とりあえず、ハロルド氏の話を聞きにいかなければならない。
この国の闇は、さらに深いのかもしれない。




