第六十三話 つらい真実の先へは、決意と覚悟で進める
玄関の扉をそっと開けると、居間の明かりがひとつだけ点いていた。
ソファで膝に毛布をかけていたドーラが、顔を上げる。
「おかえり。遅かったね」
安心したように、私たちを迎え入れてくれる。
「ドーラ殿。明日の朝ご飯のあと、みんなに話したいことがある」
「その顔じゃ、楽しい話じゃなさそうだね。わかったよ。もう遅いから、お風呂であったまって早く寝な」
「ジュリエット、先に風呂に入ると良い」
「いいの?」
「俺ら、レディファーストってやつ、できる男だから」
「パック、そんな言葉を知っていたのか」
「俺様、地頭はいいんだぜ」
ロミオとパックのやり取りに笑いつつ、お言葉に甘えて先にお風呂に入らせてもらう。しっかり温まらないと、風邪引いちゃう。
よーく温まって髪を乾かし、ベッドに潜り込む。ドーラはもう寝息を立てていた。
遅くまで起きて、私たちを待っててくれたものね。
気遣いに感謝しながら、目を閉じた。
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目が覚めると、喉がイガイガしていた。
「あー」と小さく声を出してみると、少しかすれている。昨夜、体が冷えたせいかも。くしゃみが出そうになって、慌てて鼻の下を押さえる。今日はロミオの話を、ちゃんと聞いていたい。みんなに気づかれないうちに治ってしまえばいい。
着替えて台所に入ると、もう湯気が上がっていた。
「おはよう、ドーラさん」
「おはよ……姫ちゃん、声!」
鍋をかき混ぜていた手を止めて、ドーラがこちらへ来る。ぺたりと、額に手のひらが当てられた。
「ほら、ちょっと熱い。風邪引いたかい?」
一瞬でばれてしまった。
「ジュリエット、熱があるのか」
後ろから入ってきたロミオが、顔色を変えた。
「今日は寝ていた方がいい」
「いやよ。みんなと話をしたいの」
「しかし」
「ダメだよ、今日は安静。ご飯を食べたら横になんな」
「ドーラさん、でも!」
「無理しちゃダメだって、旅で学んだろ?」
そう言われて、何も言えなくなった。
私って、成長しないな。自分の都合だけで物事を考えてしまう。
「はい、ごめんなさい......」
ロミオが頭をポンポンしてくれる。台所のテーブルへ一緒に向かい、席に着く。
こどもっぽいわがままを言った自覚があるから、恥ずかしい。
「ジュリエット、大丈夫だ。話し合った内容はすべて伝えるし、ジュリエットの気持ちも、しっかりと伝えるから」
「......わかったわ、ロミオ。お願いね」
「任せてほしい」
ロミオが励ますように話してくれる。私にできることは、しっかり食べて、休んで、一刻も早く治すこと。集団行動なんだから、みんなに迷惑をかけない!
反省しながら意気込んでいると、パックたちも台所へ入ってきた。
「姫さん、熱出たのか?」
「昨日、寒かったもんな。頑張りすぎたから、今日は休みな!」
「姫ちゃん、大丈夫ですか?」
みんな、優しい。
「迷惑かけてごめんね」
申し訳なくて、そう話すと
「迷惑なんて、一つもかけていない」
「そーだよ、たまにゃ熱だって出るさ」
「熱だけで迷惑とかいうなら、俺なんて......」
キューが変な落ち込み方をしそうになって、あわてて訂正した。
「体調を崩すのはお互いさまだものね。わたし、もう落ち込むのやめるわ!」
少し変な言い方になっちゃって焦っていると、キューが額をコツンと軽く小突いた。
「気ぃ、使いすぎ」
「えへへ」
やっぱり、ばれた。
私、ひょっとしてわかりやすいのかもしれない。
そんなことを考えている横で、
「デンデン、顔、怖いよ」
「デンちゃん、男の嫉妬は見苦しいスよ」
という会話がされていたことなんて、ちっとも気づかなかった。
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「嫉妬?」
訳が分からないという顔をしていたのだろうか、ドーラとオギーは顔を見合わせて、肩をすくめた。
「なんだか、急にモヤァと胸のあたりが苦しくなったので、私も風邪を引いたのかと思ったのだが」
「オギー、兄ちゃんの出番だよ。弟にしっかりと教えてやんな」
「えぇぇ、荷が重いッス」
「つべこべ言うんじゃないよっ」
「うへぇぇぇ」
「オギー殿、私が困らせているのだろうか?」
「デンちゃん......何でもない、大丈夫だよ。後で話そう、ね?」
「よくわからないが、わかった」
とりあえず、全員食卓についた。湯気の立つ器が並んでいく。
ラルム玉ねぎを、飴色になるまでじっくり炒めて煮こんだスープだった。黄金色のスープの上にパンが浮かべてあって、たっぷりのチーズがトロリととけている。
横には、新鮮なグリーンサラダとオムレツ。
パックが目を輝かせた。
「朝から豪華じゃねぇ?」
「体を整えるご飯だよ。あんたたち、昨夜冷えて帰ってきたろ」
ドーラはそう言いながら、ジュリエットの顔をのぞきこんだ。
「姫ちゃん、熱があるなら、別に卵雑炊作るかい?」
「ううん、これがいいわ。ネヴァでは、朝はいつもパンだったの」
ジュリエットは、チーズの下の、スープを吸ってやわらかくなったパンをすくい、ふうふうと冷ましてから口に運んだ。ひと口食べるたびに、ほう、と小さく息をつく。熱で潤んでいた目元が、少しやわらいだ。
「パン、もう少し浸して食べたいな」
ドーラは笑って、焼いたパンを一切れ、ジュリエットの器へ添えた。
ふと見ると、キューのスープもなみなみとよそわれていた。
整えなきゃいけない人に、大サービスの朝ごはんだ。
キューは最近あまり調子が良くないみたいで、ひどい耳鳴りが続いている。今朝も、こめかみを押さえながら、二階から降りてきた。心配だ。
ドーラも、いや、みんな同じ気持ちだろう。今のところ、エリュシオンの水の話は、キューの治療に関係ないものばかりだ。治療についても何か情報がつかめないだろうか。早く楽にしてやりたくて、気持ちがはやる。
食事が終わり、居間へ移動する。ジュリエットは後ろ髪をひかれつつ、二階へ上がっていった。安静にして、早く回復してほしい。キューは無理していないと言い張り、話に加わることになった。
水の話はともかく、ノーマンの話はオギーにとって、つらいものになるだろう。だが、真実を聞くかどうかを、本人に確認もせずに私たちが決めてよいことではないと思う。だから、まずはオギーが判断できる情報を提供する。
「話は二つある。最初に、昨日の水道事業説明会の話をしたい」
会場は空席ばかりで、来ていたのは私たちのほかに六人だけだったこと。外資の会社の担当者は、良い話しかしなかったこと。参加者の中に議員がいて、良い質問をしていたが、担当者の答えを企業側が遮って、当たり障りのない答えしか話さなかったことなどを、説明した。
「スポイルも、最初は『しかたない』から始まったんだよ」
その場にいる全員が、ドーラを見た。私はオギーに、ドーラがスポイル国出身であることを耳打ちした。
「給付が減ったときも、物の値段が上がったときも、みんな、しかたないって言ってた。あたしも言ってたよ。気づいたら、炊き出しに並ぶ人のほうが多くなってた」
「俺はさ、元ルール国のネヴァってところの出身なんだけど」
キューが、オギーにもわかるように話を付け加える。
「ルールがどんなにきつくても、ルールをやめさせようじゃなくて、しかたないって言うんだ。国の決めたことだからって」
キューの顔が歪む。ルールから逃れて地下へ降りて、私とジュリエットに巻き込まれたせいで検閲につかまり、再刻印された。今も苦しんでいるキューに、どう詫びたらよいのかわからない。
キューに寄り添い、慰めているパックが私の顔を見て、首を何度か横に振る。パックの視線を追いかけると、私は自分の両こぶしをきつく握りしめすぎていたようだ。私は少し肩の力を抜いて、言った。
「正しさとは、立つ位置関係によって変わる。重要なのは、ルールが必要かどうか、国民を幸せにすることにつながるかどうかだと考えている」
「俺もそー思うわ」
パックが相槌を打つ。その中で、オギーがぽつりと言った。
「俺、水道代って気にしたことなかった」
「え、請求とか見ないのかい?」
ドーラが聞き返すと、オギーは少し考えてから答えた。
「恥ずかしながら、全部、球団まかせで」
「人に自分の生活を委ねるって、怖いことだけどな」
「これからは、しっかりやります!」
キューのツッコミに、オギーが姿勢を正して、宣言した。オギーの、こういう素直で実直なところがとても好ましいと思う。
「水道事業について、もう少し詳しく話を聞きたいと思っている。今日明日中にも、訪ねるつもりだ」
そう言ってから、テーブルの上で両手を組んだ。オギーがどんな決断をしたとしても支持する。その思いで話を始める。
「もう一つ、話がある。オギー殿、あなたに関わることだ」
オギーの肩が、ぴくりと動いた。
「昨日、説明会のあと、私たちは野球カフェで第二戦を見た」
オギーには「外で食べてくる」としか言っていなかった。市場でキュー達が会った男のこと、その男が言っていた内容を確かめたくて、待ち伏せするための行動だったことをはじめに伝えた。そのうえで、黙っていたことを詫びた。オギーは何とも言えないような顔をしていた。
「試合のあと、球場の裏口で男が出てくるのを待ち、話すことができた。男の名は、ノーマンという。球場で、制御盤を操作する仕事をしている」
「制御盤?」
聞きなれない言葉に、私とパック以外の面々はいぶかしげに眉を顰める。
「それを説明する前に、聞いてほしい。この先の話は、聞けば命にかかわるような危険に巻き込まれる可能性があるかもしれない。ノーマンも、秘密を洩らせば立場を失うだけでは済まないリスクを冒して、私たちに話してくれた。パックとジュリエット、私はそれを承知で話をきいた。みんなにも聞いてほしいと思っている」
「うちの子のことだよ。聞くに決まってるだろ」
ドーラが、迷いなく言った。キューが頷き、オギーは黙ったまま、テーブルの木目を見つめていた。
「特に、オギーにとってつらい内容ばかりになると思う。聞かないという選択肢があっていい。今は聞きたくないでもいいんだ。オギーの気持ちを尊重したい」
話しながら、私は、自分が養子だと知った日のことを思い出していた。父の怒鳴り声の中で、投げつけられるように真実を聞かされた。どれほどつらくても、知らないままでいるより、知ってよかったと今は思う。それでも、知る知らないやタイミングを決めるのは、オギー本人だ。
私たちは決断を待った。しばらく考え込んだオギーがおもむろに顔を上げ、覚悟を決めた目で言った。
「全部、話してほしいです。つらくても、聞かなきゃ俺は先に進めない」
「わかった」
私も覚悟を決め、まず制御盤について説明した。試合で使う球には全部仕掛けが入っていて、打った球がどこへ飛ぶか、球が捕れるか捕れないかを、制御盤で操作できる。
「マジかよ......」
「そんなことって」
ドーラは勢いよくオギーの方を振り向く。オギーは顔面蒼白になって、言葉も出ないようだった。
その次に、ノーマンについて話した。訓練生だった頃のある夜、オギーが球場裏のベンチで、作業着の男にイルカのキーホルダーを貸したこと。その男がノーマンで、それからずっとオギーを見てきた、最初のファンだと言ったこと。
「あの時の......」
ノーマンの顔はおぼろげだが、イルカを渡したことは覚えていたらしい。
そこからオギーの表情は見る見る険しくなって、かすれた声で聞いてきた。
「俺が一軍に上がれたのも、試合で活躍できたのも、全部操作されてたからってことッスよね?」
「違う!!」
私は明確に否定した。操作が入るのは『スター候補』だけであること、一軍に上がってしばらくは、補正なしの本物の実力だったことをノーマンから聞いたと話した。操作が入ったのは、実力が認められ、人気が出てからだと伝えると、オギーは震えながら、
「全部ニセモノじゃなくて、よかった......」
と言った。
どんな気持ちでオギーがそういったかを思うと、胸が張り裂けそうになる。真摯に野球に向き合い、人生をかけて努力し続けた人に対し、許されない裏切り行為だ。
ドーラは泣いていた。パックとキューも目の周りが赤くなっている。
だが、まだ伝えなきゃいけないことが残っている。
この国のスポーツ産業の真の姿を。




