第五十五話 同じ日の、温かな居間と砕けそうな心
玄関の外で、車の止まる音がした。
窓の隙間から覗くと、パックが荷物を抱えて飛び出してくる。続いてドーラが、米袋を赤ちゃんでも抱くみたいに両腕で包んで出てくる。最後に、キューがゆっくりと出てきた。
「ただいまー!」
パックの声と同時に、玄関の扉が開いた。居間のソファに座っていたオギーが、そろそろと玄関へ出ていく。私とロミオも、後ろから続いた。
「おかえりなさい」
出迎えると、パックが大荷物をオギーにドサっと渡し、キューの方を振り返った。
「キュー、早く横になりなよ!」
「ん……」
────顔色が悪い。
出かける前から万全ではなかったけれど、顔に血の気がない。
パックを止められる自信はないけど、やっぱり私が買い物に行けばよかったわ。
心配してハラハラしていると、キューがおでこをコツンと叩いてきた。
「だいじょーぶだから」
力なく笑って、そのままパックと一緒に二階へ上がって行った。
ロミオはオギーに渡されたたくさんの買い物袋を半分持ちながら、
「やっぱり、無理はさせられないな」
と言った。
ドーラが素早く抱えていた米を置き、お茶を入れている。星凪草茶、ここにも持ってきてたのね!さすがだわ。
「ドーラさん、私が持っていくわ」
「ありがとね、姫ちゃん。頼むよ」
渡されたお茶を慎重に二階へ運ぶ。少しでも体が楽になればいいと願いを込めながら、部屋の扉をノックした。パックがドアを開けてくれて、ベッドに横になっているキューを見る。やはり青白い顔をしている。
「キュー、これ、星凪草茶よ。前に頭がスッキリするって言ってたでしょう?」
「おぉ、サンキュー。これ効くんだよなぁ」
ドーラが絶妙な温度で入れてくれたお茶をゆっくりと飲む。パックがキューの背中を支えて、心配そうに見つめていた。ゆっくりと飲み干したのを見て、部屋を出る。パックが少しキューについてると言って残った。
階段を降りていくと、ロミオがすぐに駆け寄ってきた。
「キューの具合は?」
「お茶をゆっくり飲んで、少し眠るって」
「そうか。パックがついているなら大丈夫だな」
ドーラが私たちにもお茶を入れてくれたので、パックの分をロミオが持っていき、私たちは先にいただくことにした。
エリュシオンには、国内外から毎日たくさんの新鮮な食料品が集まる巨大な市場がある。今日ドーラたちはそこへ出かけた。実を言うと、ちょっと興味があったのは内緒。
「キューには無理させちまったね。母ちゃん失格だよ」
「ドーラさんのせいじゃないわ」
「パックを見事に抑えてくれたのはありがたかったけど、なにせ人が多くてね。たぶん、無理したんだよ」
ドーラがものすごく落ち込んでいる。ロミオが二階から降りてきたので、話題を変えましょう。
「滞在中、また買い出しに行くこともあるでしょう?その時は、ロミオと私が行くわ。ドーラさんとお買い物したいの」
ロミオもドーラの表情から察したのか、
「パックとキューよりたくさん荷物を持てるし、買い食いもしない。適任だと思うが」
と加勢してくれた。
オギーは少ししょんぼりして、
「俺もたくさん荷物を持てるんですが、今は逆に迷惑をかけちゃいそうで。置いてもらって飯食わせてもらってるから、何かしたかったんですけど」
と項垂れた。
ドーラはしょぼんとしている人を見て、黙っていられる性格ではない。
さっそくオギーを励まし始めた。
「何言ってるんだい!前にも言ったろ?息子が連れてきた客人をもてなすのは当たり前なの!!」
「息子って、パックさんのことですか?」
いけない!オギーの頭に疑問符がわきあがってるわ。
ロミオに視線を向けると、彼は頷いて説明を始めた。
「ドーラ殿、混乱するからちゃんと説明した方がいい。さっき、オギー殿に私たちが元ルール国から逃げてきて、スポイル国でドーラ殿に出会った話をしたばかりなんだ」
「そうかい、話したんだね。あたしとこの子達との出会いは、パックの無銭飲食がきっかけでね」
「無銭飲食で仲良くなれるもんなんですか?」
「それは、正常な感覚だな」
「あの出会いで、今こうして一緒に旅をしてるなんて不思議よね!」
それからドーラは、これまでの彼女の人生や、私たちと一緒に旅に出ると決めた自分の気持ちなどを包み隠さず話した。
オギーは真剣に聞きながら、何か決意を秘めた目で話し始めた。
「さっき、デンデンさんに」
「ちょっと待ってくれ!」
「あ、ハイ」
「デンデンさんとは、ひょっとして私のことだろうか?」
「違うんですか?」
私とドーラは思わず吹き出してしまった。
デンデンさん、デンデンさんって!!!
「私の名前はロミオ・ムストだ。殿下でもデンデンでもない。これは元々パックが悪いのだが」
「デンデンさん!!いーじゃないか」
ドーラが爆笑しながら、冷やかし始める。ロミオは、いや問題ありまくりだろうと、ブツブツ言っている。
「じゃあ、デンさんでどースか?」
デンさん???
もう、笑わせないで、お腹痛い。
私たちが笑い続けるからロミオはちょっと拗ねたように、
「そもそも気になっていたのだが、オギー殿は何歳なのだろうか?」
と聞いた。そういえば、誰もオギーの年齢を知らないわね。
興味津々で見ていると、あっさりとオギーが答えた。
「二十五ッス」
「二十五ぉ?」
ドーラの声が裏返る。
「一番上じゃないの!」
「そうなんですか?」
年上だと思っていたけれど、けっこう上で驚いた。
「私とパックとキューが十七歳、ジュリエットが十六歳だ」
「え?デンさん、思ったよりわか……」
ロミオがオギーをじろりと睨んだ。そんな顔もするのね。
「じゃあ、デンちゃんで」
「デンから離れてもらえないだろうか」
「でも追われてるかもしれないんスよね?本名じゃない方がいいんじゃないスか?」
そもそも、私とロミオはお互いを本名で呼んでいるのだけれど。
ロミオもそう反論していた。でも、おもしろがったドーラに正式決定されてしまった。
「決まりだね」
「デンちゃん」
ドーラとオギーの間に一気に連帯感が生まれる。
その様子を見ていたロミオは深いため息をついて、受け入れた。
大丈夫よ!ロミオ。
私だけは本名で呼ぶし、恋人同士だけが呼べるみたいでロマンチックだからいいことにしましょう?
そう言ってもロミオのご機嫌は直らなかった。
いいじゃないの、ねぇ?
【ノーマンside】
カランっ。琥珀色の液体が少なくなったグラスで、溶けかけの氷が縁にあたった。
酔いたいのに酔えない。
狭い部屋の古ぼけたソファに座り、窓から入る街灯でグラスの縁が光るのを見ていた。
「もう限界なんだ……」
声に出してみて、そのかすれ具合に驚く。
生活のため、生きるために心を殺してやってきた。そのはずだった。
でも、自分が背負った罪は重い。その重さに押しつぶされそうだった。
俺は今日の昼間、たまたま歩いていた市場でなぜあんなことを口走ってしまったのか。守秘義務違反で当局に拘束されてもおかしくないようなことを、なぜ……
一週間前の優勝決定戦・第一戦。
思い出したくもないあの場面を、大画面で繰り返し繰り返し、スロー映像が流れていた。
「あれは、オーギュストのミスじゃない」
街の連中の笑い声を聞いているうちに、気がついたら、口が勝手に動いていた。
何年も、一言も漏らさずに来たのに。
ふと、腕を掴んできた若い男の顔を思い出す。真剣な目で俺を追いかけてきた。
他の連中と反応が違った。野次るのでも、笑うのでもなく、オーギュストを案じる顔だった。
あの男は、何者だ?
まさかオーギュストのファンなのか。自分と同じように。
それとも、何か知っているんじゃ。
そこまで考えて、首を振った。
あれは国家機密だ。知っているはずがない。
エリュシオンの国技である野球は、完全なる八百長試合で、裏で巨額の金が動く、金の卵を産むガチョウだ。ボールに仕込まれたマイクロチップは、毎試合、俺の制御盤でシナリオ通りに動く。結果ははじめから決まっているんだ。
俺の仕事は選手たちや国民を裏切り、一部の既得権益におもねるクソみたいな詐欺行為だ。高額の報酬と引き換えに、一生口外しない契約を結んでいる。
家族は持たなかった。秘密が漏れるリスクは少ない方がいい。
報酬にも、ほとんど手をつけていない。汚れた金で暮らしを良くする気には、どうしてもなれなかった。
誰をスターに仕立て上げ、誰をいつ切るのか。それを決めるのは、ずっと上の、国のお偉いさんたちだ。俺は届いた指示のとおりに、盤を動かすだけ。
オーギュストは切られた。いわゆる賞味期限切れ。二日後の試合では新たなスターが誕生すると決められている。腐敗して真っ黒なこの国で、薄汚れた罪の片棒を担ぎ続ける。
腐っている。わかっている。わかっていて、続けてきた。
答えが出ない。酒が回るほど頭が冴えて、混乱が増す。
グラスをサイドテーブルに置いて、額を押さえる。目の奥が熱い。
もう限界だ。
謎の男=ノーマンです。




