第五十四話 救われた人は、今度は誰かの居場所になる
涙の止まったオギーの前で、ロミオがすっと背筋を伸ばした。
私たちのことも、オギーにちゃんと伝えるつもりなんだと思う。
「……ドーラ以外はみな、元々ルール国と呼ばれていた国にいたが、居場所を失い追われるように国を出た者たちなんだ。国にとって都合の悪い存在というのが、適切だと思う」
「追われている、ですか?」
「そうなの。もしかしたら、国では私たちを悪者にしている可能性がゼロじゃないけれど、何も間違ったことはしていないわ」
ロミオに恋をして、継嗣という立場でありながら国を出たのが罪だという人がいるかもしれない。でも、私はお父様の言う通りにあの男と結婚する未来を受け入れられなかった、絶対に。ロミオに話したことはないけれど、自害していたかもしれない。触れられる前に。
「私たちがいた国はスポイルのさらに向こうにある。もとは一つだったが、二つに分かれた。私とジュリエットはそれぞれの国の継嗣だった」
「けいし?」
「ああ、国の跡取りだと思ってくれてかまわない」
「そうなんスか、跡取り。偉い人だったってことですよね?」
「偉い訳じゃないわ。でも国を継ぐ立場と言われていた。少なくともロミオは」
私は名ばかりの継嗣だったのは間違いない。お父様は私に国を任せる気なんてなかったのだから。ロミオは切なげに瞳をゆらし、ゆっくり私の肩を抱き寄せた。
「ジュリエットは継嗣として立派に努めていた」
「努力はしてたけれど、だからといってふさわしいかは別だもの」
「そんなことは」
「いいの、ロミオ。これは私の問題なの。それより先に話を進めましょう?」
ロミオはまだ何か言いたそうな顔をしていたが、オギーへの説明を優先することにしたようだ。肩から手を外し、あらためてオギーに向き直り、話を続ける。
「私がいたムストは義務で、ジュリエットがいたネヴァは禁止で人を縛る。そして違反した者を狩るんだ。国が腐っていることに気づき、正そうとした。でも結果として私は何もできなかった。跡取りと呼ばれていたのに、力がなかったのだ」
ロミオの声が、少し硬くなる。それから、決意を込めた目で言った。
「私たちは非力のままでいたくはない。だから今はいろいろな国を回って、良い政治を学んでいる。いつか国に戻って、それを活かすために。国が本来ある姿を取り戻せるように。そのために旅をしている」
私は強く頷いた。
「私たちがいた国は、人を幸せにしなかった。でもそれを変える力を持たなかった自分が情けないし、悔しいの。だから、学ぶわ。そして国を変えるために自分自身を成長させていきたいの。そのための旅よ」
オギーはロミオと私の顔を交互に見つめながら、しばし逡巡して、口を開いた。
「すみません。政治とか国のこと、俺は全然分かんなくて。野球しかしてこなかったから学がないっていうか。でも」
さっきまでとは全然違う、うまく言えないけれど目に力が入ったような顔でオギーは言った。
「何もできなくて悔しい、っていうのは分かります。俺も、そうだったんで。契約も、解雇も、全部、知らないうちに決まってて。……でも、お二人は、そこで終わりにしなかった」
「正直、私一人だったら、どうなっていたかわからないの。でもロミオがいて、パックとキューが助けてくれて。そしてドーラさんと出会って。諦めないで前に進むことができていると思う」
オギーの声が、少し小さくなった。
「俺は、これから何をしたらいいのか、全然分からなくて」
「オギー殿……」
「今も、野球のことを考えると、つらいです。……でも、お二人みたいに、いつか前に進めたらいいな、と思います」
「今はまだ、考えなくて良い。私も国にいた時、とてもつらいことがあった。自分の根幹が揺らぐような、頭が真っ白になり、全身の力が抜けていくような、そんな出来事があった」
「ロミオ……」
「でも、逃げ込む場所があったんだ。そして、私は悪くないと言ってくれる人たちがいた。それがパックとキューだ」
養子だということをロミオが知らされた時、私はなにもできなかった。
ロミオがつらい時に、そばにいてあげたかった。パックとキューがロミオを救ってくれて、本当に良かった。
「だから、今度は私がオギー殿にとって、そのような場所や助けになれたらいいと思っている」
「私も」
オギーが俯いて肩を震わせている。
「あ、り、がとう……ございま」
涙声で最後は声にならなかった。
少しでもオギーの力になれたらいい。心から思った。
【キューside】
重い。買い物かごが重すぎる。
俺の体調が万全でないことを、完全にこの二人は忘れている。
ドーラは食材の目利きに、パックは買い食いに夢中で。
「パック。買い食いは一回だけって言われただろ!」
「さっきのはキューに味見させて、ドーラにも一口やったから、まだ一回未満だ」
「未満って何だ。そんな数え方はねぇーよ」
「ちょいとパック!!米があった、米!!買ったから持ってっ」
「あっ、あの肉串が俺を呼んでいるっ」
言うが早いか、パックがお目当ての屋台に吸い込まれていく。ドーラの怒鳴り声が耳に響く。
マジ、勘弁してくれ。
市場は人でごった返している。買い物客の声、屋台の呼び込み、ここにもあった放送塔の大画面で流される番組の音。耳鳴りが確実に強くなっている。処方された薬は効いているが、音の多い場所はやっぱりつらい。
大画面から、大きなファンファーレと一緒に「優勝決定戦第二戦」と告げる声が流れると、周囲の人が大歓声をあげた。俺は思わず耳を塞ぎたくなったが、片手は買い物かごで塞がっている。終わった……
思わず舌打ちし、憎々しげに大画面を見ると、第一戦の振り返りという内容で、見知った人物が繰り返しスロー再生されていた。画面の下に、テロップが流れる。
〈初戦で痛恨のミスをしたオーギュスト・ドレイク選手、第二戦を前に電撃引退を発表!〉
「あっオギー」
パックが串を持ったまま、画面を指した。
歓声を上げていた街の人たちから、
「オギーだ、あの戦犯が!」
「あの三振がなけりゃ、初戦は取ってたのになあ」
「えっ、引退したの?責任とって??」
「ブルードルフィンズのためには、良かったんじゃね?」
「インタビューで笑ってたでしょ。あれは無いわ」
など、口々にオギーを批判する声が上がる。
ドーラが米袋を抱えながら側にやってきて、眉間に皺を寄せて言った。
「なんだい、なんだい。この人たち」
「ひでぇ言われようだな」
パックも眉を顰めている。
俺も同調してオギーを庇おうとした時、ふと耳に届く低い声。
「……あれは、オーギュストのミスじゃない」
すばやく視線を向けると、一人だけ大画面を見ず、足元を見ている男に気がついた。作業着姿の中年の男は、首から何か入館証のようなものを下げている。ストラップには、色あせた青いイルカのキーホルダー。手には缶コーヒーを握っていて、力を込めすぎたのか缶が少しへこんでいた。
画面からはオギー引退のテロップが消え、代わりに第二戦の見どころをクローズアップしているようだった。
「でもさ、次は南部リーグで新人賞をとった若手が出るんでしょ?あの子、笑顔がいいのよねえ」
「俺はすごく期待してるぜ!!」
「オギーがいなくても勝てるところを見せてくれよ〜」
そんな声が大半の中、男は歯を食いしばった。明らかに一人だけ反応が違う。
男は、目を閉じた。この周辺にいる人間の中で、ドーラとパックと俺、そしてその男だけが異質だった。
「みんな、なんにもわかっちゃいないんだ」
男の声が聞こえたのか、数人がその言葉に反応する。
「は?」
「何言ってんだい、あんた」
「オギーが重要なところでミスったから負けたのは確かだろーが」
「っっ」
男は自分の口を手で覆い、「しまった」という目をした。
変な人を見るような視線が、男に集まる。誰かが肩をすくめた。
「ま、いっか。それでさ、次の新人なんだけどよ」
話題が、何事もなかったように戻っていく。男は逃げるように、人混みの奥へ走って行った。オギーのファンがただ庇っただけかもしれない。理由は分からないけど、このまま行かせるのは違う気がした。
「キュー?」
持っていた買い物かごを、パックへ強引に押し付ける。
「え、ちょ、重っ! キュー!」
「持ってろ」
人の流れを横切って後を追いかけ、男の腕を掴んだ。
思ったより男の足が遅くて、助かった。
「待て。あんたオギーの何を知っている?その話、もっと詳しく聞かせてくれ」
「な、何だ、君は」
「さっき、あれはミスじゃないって言っただろ。どういう意味だ」
「聞き違いだ。……いや、頼む、忘れてくれ」
男の手の中で、缶コーヒーがぺこっとひしゃげた。
「俺には、オーギュストのことを話せないんだ」
「でも、言ってただろ?」
「頼む!忘れてくれ」
その時、いきなり走ったからか、焦りに感情が乱れたからかはわからないが、強烈な頭痛が襲ってきた。思わず男の腕を離し、うずくまる。男は一度だけこちらを振り返った。目が合った気がした。そのまま、男は人の波の向こうへ消えて行った。
「キューっ」
「キュー、大丈夫かいっ」
追いついたパックとドーラが、俺に駆け寄ってきた。パックが荷物を放り出し、ドーラが慌てて中身がこぼれないように押さえた。
「おまっ、急に走るなよ!頭痛か?」
「あ、たま痛ぇ」
「薬、飲むか?」
「いや、少し休めば大丈夫だ」
パックが俺を支え、道の端に移動して座り込む。ゆっくり呼吸法を行った。
すぅぅぅぅ。はぁぁぁぁぁぁ。
すぅぅぅぅ。はぁぁぁぁぁぁ。
少しずつ気持ちが落ち着いてくる。頭痛も少し和らいできた。
この分なら、家には歩いて帰れそうだ。体調が回復したところを見計らって、俺たちは車を手配して帰った。大丈夫だって言ったのに、ドーラが許してくれなかった。
俺は車内で男から聞いた言葉を二人に説明した。
「ミスじゃないって、明らかに街の連中と言っていることが違うねぇ」
「ああ。どこの誰かもわからなければ、確かめようがねぇよな」
俺は男の特徴をもう一度慎重に思い出す。確か、入館証のようなもののストラップに下がっていた青いイルカのキーホルダーに、小さなロゴマークが入っていた。
どこかで見た気がする……
「あの人、球場の人だ。キーホルダーのマークが、野球中継に出てくるのと一緒だった!」
「キュー、あんたよく見てたね」
「球場の人か。なるほどな。ってことは、第二戦で球場にいけば捕まえられるかもしれねぇな」
パックがそう言うと、ドーラがすかさず反論した。
「球場は広いんだよ。大体、その男がいるかどうかも分からないだろ」
「でも、オギーの名誉を挽回できるかもしれない。俺、聞いてられなかったよ」
「それはそうだけどさぁ」
ドーラが少し考えた後、
「デンデンと姫ちゃんが、うんと言えば球場に行くといいさ。でもオギーには、しばらく内緒だ」
「絶対いいって言うよ」
パックは自信満々だ。
何につながるかわからないが、このわずかなヒントを逃してはならないと思った。




