第五十三話 熱狂の放送は、たった一行で人生も水も流していく
玄関の扉が閉まった。
ドーラの「パック、買い食いは一回だけだよ!よぉく吟味しな!!」という声が、遠ざかっていく。
家の中が、急に広くなった。
居間のソファに、オギーが座っている。どことなく所在なさげだ。
「ごめんなさい、祖国にいた頃から朝は国営放送を確認する習慣があって。エリュシオンの放送にも興味があるから、見てもいいかしら?」
「あ、どうぞ」
「ありがとう」
オギーの許可が出たので、私は壁面にかかっているスクリーンの電源を入れる。ロミオも興味津々で、画面がよく見える位置に移動する。
放送は、その国が何を見せて、何を見せないかを知る手がかりになる。私はソファの端に腰を下ろして、画面を見た。オギーも、何の気なしに、画面へ目を向ける。
映し出されたのはスポーツ情報番組だった。
「国民の皆さん、おはようございます! 365日24時間、すべての瞬間がマッチポイント!『グッドモーニング・スタジアム』の時間です! さあ、今朝も我が国の全スタジアムは大熱狂、アドレナリン全開でお届けします!」
サッカー、卓球、バレーボール。エリュシオンの代表選手が国際試合で活躍する映像が、次々に流れてくる。編集もとても上手で、思わず引き込まれ、試合内容に一喜一憂してしまう。さすがスポーツ産業が盛んなだけあるわね。途切れることなく、スポーツの生中継や試合結果、ヒーローインタビューの映像が続く。
しばらくスポーツの話題が続いたところで、女性アナウンサーが話題を切り替えた。
「次です!全エリュシオン国民が待ち望んだ『あの祭典』の続報です。いよいよ来月開催される、我が国最大のスポーツ&爆音エンターテインメント――『ゴールド・アリーナ・ジャム』のメインステージが発表されました」
男性アナウンサーが引き継ぐ。
「今年の目玉はなんと! 脳を揺らす超絶高速ライムと、中毒性MAXの神ビートで世界を支配する伝説のラップデュオ『ライム&ビーツ』が、昨年度ナンバーワンヒット曲『ブン・パン・パン・ブーン』と新曲『クラップ・フラップ・トラップ』を歌う横で、夢のタイトルマッチが行われます」
抑揚の効いた声で、ものすごく濃い情報を嬉々として伝えてくる。
国営放送よね?これ。
男性アナウンサーは続けて、
「昨年の鉄人決定戦優勝者である、トライアスロン王者・ガイル選手と、無敗のコロシアム・スター・武器格闘剣闘士のゴリアテ選手による、前代未聞の『異種アームレスリング・デスバウト』が同時開催されます!!」
と、朗々と語る。とてつもなくテンションが高いわ。エリュシオンの皆さんは、朝からこんなにハイテンションな国営放送を見続けて、平気なのかしら?
ちらりとロミオとオギーの様子を伺ってみる。
あっ、ダメだわ。ロミオが無表情になっている。国営放送という私たちが持っている観念とリアルな放送が脳内で衝突して、処理しきれないっていう顔をしているわね。情報処理が追いつくまで、放っておきましょう。
オギーは、と。こちらも無表情ね。ちょっと内面まではわからないわ。
画面から聞こえるアナウンサーのトーンが急に落ちて、違和感に気づき再度ニュースに注目した時だった。さらっと流すのがありえないほど、重要なニュースを女性アナウンサーが読み上げた。
「ここで、行政からのお知らせです。政府主催の国民説明会『水の未来』が開催されます。今回は、現在我が国で大成功を収めている、外資系パートナー企業による『水道事業のさらなる効率化・近代化』に向けたステップアップ事業のご案内です。これまでの『維持管理の効率化』『運用の民間委託』『料金体系の見直し』に続き、いよいよ最終段階となる『水源地の管理・保全の一括委託』についての法案が説明されます。
安全で持続可能な水道インフラを未来へ残すための、希望に満ちた法案の成立に向けた説明会になりますので、お時間のある方はどうぞお越しください」
ロミオと私は同時にスクリーンに詰め寄り、茫然と画面を見続けた。
その間も、ニュースを読み上げる声は続く。
「さて、続いては麗しき伝統のスポーツです。昨日、王立乗馬スタジアムにて開催された『ペガサス障害飛越クラシック』において、見事、前人未到の五連覇を達成したアレン選手と愛馬の、気高きウイニング・ランの模様をじっくりとお届けします。ご覧ください、この完璧な人馬一体の美しさ……」
「ジュリエット、今の」
「えぇ、ロミオ。詳細は分からなかったけれど、重大ニュースだわ」
「えっ?ペガサス何とかが?」
「違う」
「違うわ」
私とロミオの声が揃った。
「日付、言っていただろうか」
「言ってなかったと思うわ。『水の未来』というタイトルはわかったけれど、日時と会場は」
ロミオの動きは速かった。即座に通信機で情報を調べあげる。オギーはきょとんとして、私たちを見ていた。
「水の説明会?そんなのに興味あるんスか。すごいスね」
オギーの声に、切迫した問題意識は感じられなかった。同じようにニュースを見ていたのに、受け止め方がこんなにも違うものなのね。
蛇口をひねれば水が出る暮らしを疑ったことがないのだと思う。でも、これは生命線である「水」を守れるかどうかの話なのに。
ロミオが、
「日時は芽月・十七日の午後二時から。場所はエリュシオン合同文化コミュニティセンターの大会議室」
と教えてくれる。これは必ず参加したいわ。
私たちが情報共有している間、オギーは国営放送を見つめていた。高らかな声で伝えられるスポーツニュースが派手な効果音とともに流れたとき、オギーの異変に気がついた。
「おぇっ、ぐぅっ」
手で口を覆い、体を丸めて吐き気をこらえている。すぐに駆け寄り、オギーの背中をさする。ロミオはビニール袋を持ってきて、オギーの前に膝をついた。
「オギーさん、オギーさん、苦しいの?」
「吐きたいなら我慢せず、この中に吐き出したらいい」
顔面蒼白になりながらも、オギーは首を横に振る。しばらく様子を見ていると、少し呼吸がゆっくりになり、落ちついてきたようだった。
「す、い、ません……めいわく、か、けて」
「オギー殿、無理して話さなくていい」
「ほう、そうが」
「放送?」
「切るわ!」
急いでスクリーンの電源を落とした。画面が暗くなって、居間に、時計の秒針の音だけが響く。
「オギーさん、ごめんなさい。放送で、貴方がつらくなる内容があったのね」
「いえ……俺がよわい、だけです」
「オギー殿」
ロミオが優しく、労わるような声で言った。
「私たちはまだ会ったばかりだ。でも、朝一緒に素振りをした。何年もかけて、ひたすら努力してきた人が出す音がした。そんな貴殿がこんなに苦しくなるような何かがあった。パックが言う、胸に穴が空くような何かが。そんな時に、自分を弱いと貶めることは言わなくていいんだ」
「でも、俺が、俺のせいで」
ロミオはゆっくりと首を振る。
「どんなことがあっても、だ。もう傷ついている。これ以上、自分を責めなくていい」
「だれも、許しません……」
「贖罪が必要な罪を犯したのなら、償いましょう。でもそれは、もっと心と体が回復してからよ」
「いいんで、しょうか。美味い飯を食わせてもらって、寝て、起きて。普通に生きていて」
「私たちはオギー殿が何をしたのかを知らない。それなのに私が言っていることは、無責任だと思う人がいるかもしれない。でも、苦しみ続けている人がずっと苦しみの中にいる必要はないと思うのだ。悔い改めるべきところは悔い改め、償う必要があれば償えばいい。それでも、心から反省しているのなら、救いがあってもいいはずだ」
ロミオが震えているオギーの両手を上から囲い込むように握る。
オギーは泣いていた。私はハンカチを取り出し、彼の涙を優しく拭う。
「……話を聞いて、もらえますか」
オギーの声は、かすれていた。
「限界なんです、苦しくて。……話したら、追い出されるかもしれないけど」
「追い出さない」
「追い出さないわ」
オギーは、小さく息を吸ってから、絞り出すように話し始めた。
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「俺はブルードルフィンズっていう野球チームに所属していて、南部リーグを制覇して優勝決定戦のために、数週間前から首都にきてました。こうみえてチームの主力で……。でも一週間前、優勝決定戦の第一戦で、ミスを二つしたんです。七回に、空振りの三振。九回に、捕れるはずの打球が、捕れなくて。……それで、チームは初戦を落としました」
「他の選手だって、ミスをするんじゃないかしら?」
ジュリエットが素朴な疑問を呈した。
オギーは軽く目をつぶって、
「俺のミスはチームの勢いを止め、負ける要因を作った、許されないものです」
と言った。
「勝負事で、負けにつながるミスを犯したのは確かかもしれない。だが、それだけでそこまで責められなければいけないのだろうか?」
ジュリエットも強く頷く。正直、人道にかかわる過ちを犯したのかもしれないと危惧していたが、試合に負ける要因を作っただけというのが解せなかった。
「この国では、重罪……なんですよ。戦犯ってやつです」
「聞いたことがあるわ(小説で)」
ジュリエットの発言は、後半が小さくて聞き取れなかった。
とても博識だと感心する。私も後で、『戦犯』を調べてみよう。
「それだけじゃないんです」
私とジュリエットはぐっと気を引き締める。
「その、試合のあとのインタビューで。必死で謝っていたつもり……だったんです、俺は。でも、インタビュアーがこんな時に笑うなんて、誠意がないって、責めてきて。視聴者にも笑ってるように映ったらしいです。笑った覚えは、ないんですけど」
「オギーさんは謝罪したのに」
「意図せず、責められることになったのだな」
ジュリエットの顔が切なげにゆがむ。
私は、握っていた手に力を込める。オギーは私の手を振りほどかなかった。
「笑う顔は、いつも仕事だったんです。ファンサービスを求められたら笑う。楽しくなくても、悔しい時でも。笑ってなきゃダメだって思い続けてたら、自分がどんな顔してるかもわからなくなってました。好感度が下がって、俺は球団を事実上クビになったんです」
「好感度が下がるとクビになる意味が分からないわ」
オギーはうつむいて、弱々しく言った。
「好感度の指標っていうのがあるらしくて、それが七日連続で基準を下回るとスポンサー全社が契約を切るみたいです。俺は昨日付で解雇になりました。違約金の関係で、引退という形になってますけど。さっきはそれが試合の画面下にテロップで流れて、俺の野球人生って、あんな一行で語られるもの、だって、思って……」
オギーが咽び泣く。見ていられなかった。ジュリエットが言うように、好感度で選手生命が左右されるなんて、あっていいのだろうか。怒りがこみ上げる。
オギーは大事な試合でミスをした。試合後のインタビューで、うまく謝れなかった。それだけだ。挽回できないようなものとは、思えなかった。
償うべき罪など、どこにもなかった。
「その、違約金って払わなきゃいけないものなの?」
ジュリエットが心配そうに言う。確かに大きな問題だろう。
鼻をすすりながらオギーが答えた。
「いえ、球団の弁護士さんが言うには、スポンサー契約解除で発生する違約金は、解雇だと本人に請求されるけど、自分から引退を申し出れば、請求は発生しないって。昨日初めて自分はそんな球団契約だったと知りました」
「解雇にするより、引退にする方が聞こえがいいということかしら?」
「そうかもしれないし、後で揉めないように、自主的に退いたという形にしたいのかもしれない。ただ、契約の条項は、署名の前に読むものだが」
つい、口に出ていた。
「……入団のとき、画面の同意ボタンを押しただけで。契約事項なんて字がびっしり書いてあるし、読んでも読まなくても関係ないやって思ってしまって」
オギーの声が最後の方につれて尻すぼみになる。
ジュリエットが、目を見開いた。本人の知らない場所に、本人を縛る言葉がある。
契約事項をちゃんと読まないのは、つい最近、見た覚えがある。
「俺が人生をかけて取り組んできた野球が、好感度なんて目に見えないものに終わりを決められるってことが、受け入れられなかったんです」
それはそうだろう。私たちは受容するように、オギーへ向けてうなずく。
形は違えど、私たちも思い描いていた人生から突然はじき出されたようなものだ。この国はやはり、どこかおかしい気がしている。人々にとって大事な命にかかわるインフラの問題をあのように軽く扱い、スポーツに国民を興じさせて何を「見せて」いないのか。
深く調べる必要がありそうだ。
だが、その前に。
「つらかったことを話してくれて感謝する。事情はわかった。だが、契約書はちゃんと読むほうが良いだろう」
「ハイ……」
涙は止まったようだ。よかった。
家に帰ってきたら、契約書を読まない料理長にそれの重要性を説くことを決めた、芽月・十五日のお昼前。




