第五十一話 胸に空いた穴は、料理長のご飯でまずは満たす
ロミオとキューと私で二階の部屋を全部掃除し、荷物を片づけていた。広いお家で、広々とした寝室が二部屋、シンプルな机と椅子が置いてあるだけの、書斎のような部屋が一部屋ある。ここ数日の野宿から解放され、私たちはウキウキしていた。
突然、台所からドーラの声が階段の上まで響いてくる。
「二時間だよ、二時間! お使いに二時間かかる奴が、どこにいるってんだい!」
全員で顔を見合わせ居間に下りると、ドーラが鍋の前を行ったり来たりしていた。握ったお玉の先から、トマト色の汁が伝い落ちている。
キューが布巾を手に床を拭き、ロミオが素早くドーラの手からお玉を取り上げる。
うちの料理長がパックにお怒りよ。
ここに来る途中で買った食材で作ってくれた今日の夕食は、久しぶりに食べるドーラ渾身の煮込み料理。湯むきしたトマトと白い豆、キャベツや玉ねぎ、人参などのお野菜がたっぷり入っている。そして、メインは鶏の香草焼き。宿で男性陣がものすごく喜んで食べていたから、愛情深いドーラのこと、みんなにまた食べさせたいって思ったに違いないわ。
ドーラを落ち着かせようと、背中をポンポンしてみるが一向に鎮火する気配がない。
「鶏と煮込みはとっくにできてんのに、バゲットがないんだよ!バゲットが!」
「米じゃだめなの?」
何気なく聞いたキューに、ドーラの鋭い視線が飛ぶ。
「この国の主食はパンなんだ。米も食べるみたいだけど、具と一緒に炊き込む特殊なお米しかないんだよ。ふっくら白米が用意できないからバゲットなのに!!!!」
逆に、ヒートアップしてしまった。パック、どこ行ってるのよ、もう。
食に関してドーラを怒らせるのは非常にまずいわ。
「フリーズドライの主食があるだろう」
「ちょっ、殿下」
ロミオが、真顔で言った。
ダメよ!料理長の火がますます燃え上がってしまう!!キューの制止は間に合わなかった。
「あれは旅の分だよ! 残りが少ないんだ。ここにいる間も、減らさない工夫をしなきゃいけないってのに、初日から開けてたまるかい!」
「それは、すまない……」
もはや、一刻も早くバゲットが到着するのを待つしかない。
キューがすかさずプリペイド通信機でパックに連絡を試みる。
通信機の軽快な着信音と、パックの「ただいまー」という声が聞こえたのは同時だった。
全員で玄関へお迎えに出る。パックではなく、バゲットの。
胸に抱えた布袋から、野菜と大きなバゲットが斜めに突き出ている。ロミオが速やかに布袋を回収する。この後パックは、ドーラから盛大に叱られることになる。私たち回収班にできることは、バゲットを食べやすい大きさにカットして、お鍋から煮込みをよそうことだわ。
そう思って動き出そうとした時、私たちの目はパックの後ろにくぎ付けになった。
「パック!二時間もどこ……」
お玉を振り上げたドーラの腕が、途中で止まった。
パックの後ろに、知らない青年が立っている。
────誰?
肩に、ロミオの手が触れた。気づいたときには、私はロミオの背中の後ろにいた。キューは青年と玄関と窓までの距離を、順番に目で測っている。ドーラは、一瞬でお玉を握り直し、胸の前で構えた。
私たちは、身を隠してこの家にいる。キューはもちろん、私とロミオにもひそかに追手がいてもおかしくない。知らない人が玄関に立っていることは、全員にとってただごとではない。
その空気の中で、パックだけが満面の笑みだった。
「拾った!」
「は?」
全員の声が揃った。
「だから、拾った!」
「犬猫じゃないんだよ!!」
いち早く突っ込んだのはドーラだった。
キューは初速で負けて、ちょっと悔しそう。
「犬猫じゃなくて、人だからいいよね?」
「そういう意味じゃないよ!」
どこから突っ込んでいいかわからない。私とロミオは突っ込み担当ではないから、目の前で繰り広げられる押し問答を見ているしかできない。
「パックは道でうずくまってる人を、連れて帰る癖がある」
キューが、青年から目を離さないまま言った。
「地下の時も、そうだった」
パックならやりそう。私とロミオは思わず頷いた。
「貴殿は、道でうずくまっていたのだろうか?」
「う、ずくまる……。ハイ、まぁ、そうですね」
「な?ほっとけないだろぉ」
怒られているはずのパックは、なぜか褒めてほしいという顔をしている。
横でロミオとキューが、旅の安全とセキュリティをどうパックに教えるか、検討し始める。
私はロミオの背中越しに、そっと青年を見た。帽子を目深にかぶって、古びたグローブを両手で抱え、大きなカバンの肩ひもが、ずり落ちかけていた。帽子の下の目も鼻も、真っ赤だった。
────この人、全然大丈夫じゃない。
胸の奥が、きゅっと縮んだ。
「あの……突然、すみません。俺、すぐ帰りますんで」
「帰るって、当てはあるのかい?」
「南部に、家がありますから。か、えりま……」
青年が最後まで言い終わる前にパックが大きな声で割り込んだ。
「この大声が耳に響くおばちゃんが母ちゃん2号!」
「誰がおばちゃんだっ。お姉さんだよ!!」
お玉ではなくゲンコツがパックの頭に落ちた。
「すぐ手が出るんだからぁ」
「究極の、お人よし……なのか?」
青年が何かをボソッとつぶやいている。
ドーラは、青年のカバンの肩ひもを、ぐいとつかんだ。
「とにかく入んな。悪い奴には見えないからね」
「いいんですか?」
「息子が拾ったっていうんだ。責任持つのは母親の務めだよっ」
警戒態勢を解いたロミオが青年を家の中に案内する。
キューはパックにお説教を開始していた。
助けてほしい目をしてもダメよ?自業自得だわ。
+++
居間に青年を通し、座ってもらう。念のため、ジュリエットはドーラと一緒に後方待機だ。彼は用意した濡れタオルを頬と目に当てて、グローブを膝に乗せている。カバンは足元に置いたまま、肩ひもを握った手を離そうとしない。
窓際では、キューが腕を組んで立っている。視線は、青年から動かない。
私は、向かいの椅子を引いて座った。
「最初に確認させてほしい。名前は?」
「……オギー、です。みんなはそう呼びます」
「オギー殿。パックとはどこで会って、どういう流れでここへ来ることになったのだろうか?」
オギーが、口を開きかけて、言葉を探して迷う。先に答えたのは、口の周りにトマトの汁がついたパックだった。見ないと思ったら、つまみ食いをしていたようだ。まったく。
「路地裏でさぁ、うずくまってるの見かけたんだよ。すげー腹減ってそうな顔してたからさ、連れてきた」
「空腹で動けなかったのだろうか?」
「あっ、いえ、そうではなくて」
「ちゃう、ちゃう。デッカい穴が空いてる感じかなー」
「???」
パックを除く全員の頭が疑問符だらけになる。
当の本人はあっけらかんとした様子で、話をつづけた。
「まずは飯食って腹一杯にしてから、穴を塞がなきゃならないだろぉ?」
「穴?」
「あ、あな?」
パックは時々理解不能の表現をする。真意を確かめようと次の言葉を待っていたら、すっと座っているオギーに近づき、
「ここんとこのだよ」
自分の胸の真ん中を、指でトントンと叩いた。
みんなの動きがピタッと止まる。
オギーは目を見開いていた。それからゆっくりと顔がくしゃっと歪み、握っていたカバンのひもを離した。
私は、これ以上詮索をしないことに決めた。チラッとキューに視線をやると、キューもうなずきを返す。ジュリエットにも視線を向けたが、もうオギーを受け入れた顔をしていた。ドーラはなぜか泣きそうな顔になっている。
「分かった。理由は聞かない。安全に関わることだけ、確認させてほしい。誰かに追われているということはないだろうか?」
「ある意味……追われています。SNSで炎上、してるみたいで。写真も撮られました。何人にも」
「通信機の位置情報は」
「切ってあります」
「誰かにつけられた気配は?」
「それは、だいじょ~ぶ」
パックが自信満々に言い切る。パックがそう言うなら、信じていい。
「ならば、ここに貴殿がいることが周囲に漏れる可能性は低い。今夜は泊まっていくといい。疲れた顔をしている。私たちにも事情があるから、ここで見聞きしたことを誰にも話さないと約束してほしい。できるだろうか?」
「……事情があるのは、お互いさまです。約束します」
キューが、組んでいた腕をようやくほどいた。
「話は済んだね」
ドーラがすでに台所へ移動し、お玉で鍋の縁をカンっと叩いた。
「まず飯だよ。せっかくの料理がさめちまう!」
深皿が、一枚ずつ、食卓に置かれていく。湯気の立つトマト煮込みと、バゲットを添えた鶏の香草焼きが並んだ。
「口に合うといいんだけど」
ドーラが、カトラリーをオギーに手渡す。彼はおずおずとそれらを受け取り、スプーンで煮込みをすくって口に運ぶ。スプーンを握った手が、小さく震えていた。
思わず、一人を除く全員でオギーの方を見つめる。
パックだけが、鶏肉を頬張って「うめー、うめー」と叫んでいた。
オギーは何も言わず、もう一口、口に運ぶ。さらにもう一口。
テーブルの上に涙のシミが次々とできた。
「……うま、い、です」
「いっぱいあるからね!たくさん食べな!」
そう言ってドーラはエプロンで自分の涙をぬぐっていた。ジュリエットがそっとハンカチをオギーに差し出すと、頭を下げながらそれを受け取り、涙を拭いた。
「すみません、美味いんです。すみません」
「謝るんじゃないよ、美味しいならそれでいいんだよ」
ドーラの目からは、ぬぐってもぬぐっても、ぼろぼろと涙が落ちてくる。
「ドーラ、泣き虫だなぁ」
「玉ねぎだよ!」
「玉ねぎ、もう煮えてんじゃん」
パックをぎろりと睨むが、泣きすぎて全然凄みがないドーラに、私は水を用意する。あれだけ泣けば、水分が足りないだろう。オギーにも渡してやらなければ。
そうして、涙涙(主に二人)の夕食が終わり、居間に移動してお茶で一息つく。
腫れぼったい目をしたドーラがおもむろに尋ねた。
「で、あんた何してる人だい?」
「野球選手。……今日まではですけど」
「野球?よく知らなくてね」
「ボール打つやつだろ」
「何人でやるやつ?」
パックとキューが口々に言う。地下民の二人は団体競技をする機会はなかっただろうから、知らないのも無理はない。だが、私も当たり障りのない軽い知識しか持ち合わせていないのだ。
「申し訳ないが、私もあまり詳しくは知らない。スポーツ産業が盛んなこの国では、野球はどういう位置付けだろうか?」
「野球は国技です、一応」
「そうか。それほど重要なスポーツならば、きちんと学びたいと思う。ルールを教えてもらえないだろうか」
「……ルールから?」
オギーの顔が、一瞬あっけに取られた。今日まで現役だった野球選手にルールを尋ねるのは失礼だっただろうか。
「いや、失言だった。ルールは検索すれば学べる。もっと他の質問にするべきだった」
「いや、そんなこともないですけど」
そこへ、突然目をキラキラさせながら、ジュリエットが会話に割り込んできた。
「あの、あの、わたしは野球好きです!ロマンスに溢れてますよね!!!」
「ろ、ロマンス?」
今日一番、不可解であるという顔をしたオギーに、誰も助け舟を出せなかった。
おそらく、試合中に観客席の女性へ向けてホームランを打つ男の恋物語を語るのだろう(ただし、恋愛小説)。
私は止めない。
ジュリエットは拗ねてしまうと、なかなかご機嫌が直らないからだ。
同じ過ちを繰り返さない男なのだ。
恋人はご機嫌でいるのが一番である。




