第五十話 好感度が決める、人生を賭けた夢の終わり
新キャラ、登場です。
【オギーside】
球団の首脳陣が揃う、ホテルの一室。
退団の手続きは、通信機の画面に指を一本置いただけで終わった。
何年もかけて積み上げたものが、一音で幕を閉じる。全身全霊をかけてきた俺の野球人生の、なんとあっけないことか。
十分前、同じ部屋で、球団代表が通信機の画面を俺に向けた。
「オーギュスト・ドレイク。スポンサー各社との契約について、通達する。好感度の指標が七日連続で基準を下回ったため、本日付で全社の契約が解除された。球団との選手契約、第十四条にもとづく措置として君は解雇になる」
第十四条。入団のとき、画面の同意ボタンを押したが、正直読んだ覚えはない。
誰も、俺の目を見なかった。
「君を守りたい気持ちはある。ただ、契約上、君の選手生命を球団は守り切れない」
球団の顧問弁護士が後を引き継ぐ。
「解雇の場合、スポンサー各社への違約金は、選手本人に請求されます。しかし、自ら引退を申し出る形であれば、請求は発生しません」
違約金。その言葉が、俺の野球より先に出てきた。
「つまり?」
「引退による我がブルードルフィンズとの契約解除。それがベストだ」
俺の野球人生は、好感度という目に見えないものに左右されるものだったと、終わりの時に知った。
首都にあるこのホテルは、南北のリーグ制覇を果たしたチームがエリュシオンの総合優勝を決めるまで、国が貸し出す由緒ある場所だ。割り当てられた部屋にある私物を片づける。替えのユニフォームとゲン担ぎのお守り、ブランドのロゴ入りTシャツとお気に入りのジーンズを無造作にカバンに投げ入れる。残った洋服はフロントに言って処分してもらえばいい。
あと持ち出すのは、手のひらの形に馴染んだ古いグローブと、通信機だけだ。位置情報を切ると、画面の灯りが一段暗くなった。背後で閉まった自動ドアの向こうには、置いてきた過去。目の前には、どこまでも深い黄昏時の空が広がっていた。
もうここにはいられない。
南部にある自宅へすぐに帰る気になれず、足取り重く街の中心部へ続く道を歩き始めた。
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大通りは、俺が所属していたブルードルフィンズの青い旗と、宿敵スノーフォックスの白い旗、そして選手名鑑のようなのぼり旗で埋め尽くされていた。大試合を前に、街じゅうが浮かれている。ほんの一週間前まで、のぼり旗の半分には俺の背番号と顔写真が入っていた。
帽子を目深にかぶって、うつむいて歩く。
「……あれ、オギーじゃない?」
背中のほうで、声がした。
「え、うそ、本物?」
「今頃はまだ、チーム練習中じゃないの?」
「まさか、クビかぁ~」
足が止まりかけて、逆に速くなる。
「ちょっと待って、写真撮らせてください!」
「SNSにあげよーぜ」
「いつものように、ファンサしてよォ~~」
軽い声だった。みんなが俺を笑っている気がする。
ピ、ピ、と通信機の撮影音が重なって、背中に当たる。
「おい、無視すんなよ!」
「応援していたファンの気持ち、考えたことある?」
矢継ぎ早に飛ぶヤジのような声に、どうしようもなくなって振り向いた。いつものようにファンサと言われて、無理やり頬を持ち上げる。でも、笑顔は途中で崩れた。
頑張っても頬が引きつり、口角が震えて、目の奥がかっと熱くなる。
自分の顔がくしゃっと歪むのがわかった。
「……あ」
誰かの口から声が漏れた。さっきまで笑っていた連中が、全員黙っている。
帽子を引き下げて、軽く会釈をしてから再び歩き出す。
角を曲がると、全力で走った。
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どうしてこんなことになったんだろう。
一週間前の試合がぐるぐると頭の中を回る。
優勝決定戦の初戦。二点差で負けていた七回表。一打逆転のチャンスに俺は空振り三振をした。完璧にとらえたはずの球は俺のバットの下を通りすぎ、キャッチャーミットにボスっとおさまった。観客の落胆した嘆きが球場に響き渡る。
おかしい。こんなはずじゃなかった。あれは俺の得意球だ。なのになぜ?
疑問を抱いたまま、一旦試合に集中する。仲間の打撃が繋がり、一点リードで迎えた九回裏、二死一・二塁。飛んできた打球は、いつもなら、グローブに吸い込まれるはずの球だった。何万回も捕ってきた球だ。それが、手前で急に遠くなった。
グローブの先を、ボールが抜けていく。逆転負けだ。
初戦を落とし、自チームの歓声が悲鳴に変わった。
なぜ打てなかったのか、なぜ捕れなかったのか。一週間たってもわからない。
朝五時の素振りも、守備練習も、一日も欠かすことなく続けていた。
体はいつもどおり動いていたはずなのに。
試合後のインタビューは地獄だった。初戦を落とした戦犯としてつるし上げられる。ミスを謝るはずなのに、モニターの向こうに映る俺の顔は笑っていた。
いや、笑っているように見える顔をしていた。ブルードルフィンズのファンだけでなく、エリュシオン中で大炎上した。
通信機の画面、SNS上に、言葉が積み上がっていく。
「まるで反省してない」
「笑ってる場合かよ」
「何がスターだよ、お前のせいで負けたんだよっ」
「昨日までオギー最高って書いてたの、全部消して回りたいわ」
球団広報から告げられる世間の反応に俺は打ちのめされた。
昨日まで俺の名前を叫んでいた口が、同じ強さで、同じ熱で、逆向きに叫ぶ。熱量は何も変わっていない。急に世界が反転した。
新人のころ、広報の人に口角をもっと上げて微笑んで!と言われたから、鏡の前でものすごく練習した。努力するのは得意だったから。ファンのことも大事にしていたし、握手の列には、熱があっても、腹が痛くても、笑顔で応えた。
サインを頼まれて笑って、ポーズを頼まれて笑って、笑って、笑って。
『オギー』に求められる顔で、ずっと過ごしていただけだった。
日が落ちて、閉まった店の裏の路地に入り込んだ。木箱の陰に、しゃがみ込む。
誰もいない。誰も見ていない。
顔から、力が抜けた。ずるりと、全部落ちる。
鏡では見たくない、ひどい顔をしているのがわかるから。
一週間、一滴も出なかった涙が、いっぺんに出てきた。声を殺して、グローブを抱えて、肩だけが勝手に震える。
なんで、なんで。
俺は、何を間違えたんだ。
答えは、どこにもなかった。
路地の入り口で、足音がした。とっさに音のしたほうに顔を向ける。
紺色の、短いつばの帽子をかぶった青年が立っていた。野菜と大きなバゲットがはみ出した布袋を、胸に抱えている。
「泣いてるのに笑うなよ」
青年は、眉をぎゅっと寄せた。怒っているのとは違う。
だって、顔が悲しい。
「俺、笑ってる?」
声が、かすれた。
「全然、笑いたい気分じゃないんだけど」
「辛くて泣きたい時に、笑い顔になるくらい、おかしくなってるんだろ」
青年は、あっさり言った。布袋からトマトが転げ落ちそうになって、慌てて荷物を抱え直す。
「腹減ってないか? うちの母ちゃん2号の飯、うめーよ」
「……母ちゃん2号ってなんだよ」
「究極のお人よしだよ、いくぞ」
青年は、ニカッと笑顔を俺に向けてから、ゆっくりと歩き出した。
彼の笑顔がなんだかまぶしくて、俺とは全然違う顔で笑えているのがうらやましくて、何とか立ち上がり、後を追う。
涙で彼を見失わないように、俺は必死で歩いた。




