第四十話 理想国家は、熱狂の顔をして現れる
朝食が終わって居間でお茶を飲んでいると、ドーラが帽子を持ってきた。
グレーのベレー帽だった。フチが千鳥格子の生地で波打っていて、正面にちいさな赤いリボンの刺繍がワンポイントになっている、かなりおしゃれな帽子だ。
「わぁ、可愛い!」
「でしょ?お気に入りなんだよ」
「今日、お出かけにかぶるんですか?」
「いや、これキューに」
「……俺?」
キューが帽子を受け取って、まじまじと見た。
「念のため。一応、不審者情報が出てる当人だから」
「……」
否定せずに、ちょこんと帽子を頭に乗せた。やだ、似合う......。
「縁の太いメガネもある」
「……」
黙ってメガネも受け取り、かけた。ドーラがサッと手鏡を渡す。
金色のアンティーク調で、背面にターコイズのフェルトが貼ってあり、女の子と猫といちごが刺繍されている。刺繍、好きなのかな?これもすごく可愛い。
キューが手鏡で自分の顔を見た。しばらく、黙っていた。
すごくキュートよ?
「女の子じゃん」
と、パックが言った。みんな、思っていて言わなかったことを!
「うるさい」
「でも、自分でも思ったでしょ、今」
「……うるさい」
「いや、あたしより似合うわ」
ドーラはちょっぴり悔しそうだった。
キューは手鏡をドーラに返し、口元を結んだまま何も言わなかった。
「変装としては、完璧だ」
「ぱっと見、キューには見えねーもんなっ」
「……」
キューとパックとドーラさんは受診、私とロミオはベーシックインカムの討論会に行く。こっそり、他にも可愛い帽子がないか、ドーラさんに聞いてみたらとっておきのだよ!と言って貸してくれた。
薄いブルーのデニム地のキャスケットで、ツバの部分に赤と青のステッチが何本も並んで入っている。程よい大きさの刺繍が施され、赤い実の花、黄色の小花、オレンジの蝶々などが絶妙なアクセントになっている。
こういう帽子を被ったことがないから、すごく嬉しくなっちゃう。
ドーラが姫ちゃん似合うよと言ってくれた。ロミオにうきうきと見せにいく。
「すごく可愛いな」
と笑顔で言ってくれた。うれしい......
ついでにと、黒いパーカーも貸してくれた。ダボっとしていて、この前買った丈長のキュロットスカートにも合う。
「ジュリエットも変装か?ならば私も」
「いやいやいや、ただのおしゃれだから。デンデンはそのままでいーよ」
「そうか......」
ちょっと残念そう。もしかして、ロミオも帽子をかぶりたかったのかもしれない。
ドーラは帽子収集家といっていたから、似合いそうなのを見つけて帰ったらかぶってもらおう。
準備を整えて家を出発し、それぞれの目的地に向かうため別れた。
さぁ、討論会。どんな内容なのか楽しみだわ。
+++
討論会場は瑞祥コンベンションセンターだった。
受付で資料を渡されて、ジュリエットと並んで中に入る。討論がよく聞こえるように、前から三列目に座った。
壇上脇のサブスクリーンに、式次第が大きく映し出されている。先日、掲示板で見た通りだ。
〈国際経済フォーラム――輝かしき未来のために〉
芽月・七日 瑞祥コンベンション・ホールにて開催
「基本生活給付、理想国家の在り方」登壇者:ヘイゼル・タケナンテ ほか
——すべての国民は、生きていることに価値がある、だったか。
資料館で見た言葉を思い出す。それとともに、「我らが誇り高き支援は、今日もまた遠い国の希望となった」というフレーズも頭に思い浮かんだ。
この国に来て一番初めに見た放送塔の巨大なスクリーンに映し出された、涙ながらに感謝を述べる異国の代表と、深々と頭を下げるスポイルの高官の映像と一緒に流れるナレーションのセリフだ。
内外に支援の手が行き届いているのであれば、素晴らしいことだ。だが——
今日の討論会で何かしらのヒントが掴める予感がしていた。
司会が壇上に上がって、開会の挨拶をする。登壇者が席につきフロアから拍手が起こる。私とジュリエットも、場に合わせて拍手を送った。
最初に基調講演として、基本生活給付の提唱者であるヘイゼル・タケナンテが話すことになっている。六十代くらいの男性が立ち上がり、演壇の方へ進む。仕立ての良いスーツを着ていて、髪に白髪が混じっているが姿勢が良い。
「ヘイゼル・タケナンテです。今日は皆様に理想国家のあり方として、私が提唱する生活給付金について、さらに理解を深める機会になればと思います」
会場から拍手が巻き起こった。
「この制度を作ったとき、私が考えていたことは一つです」
タケナンテ氏の声がフロア全体に響き渡る。
「誰もが、生まれてきたことを肯定される社会をつくります。働けない時期がある。病気になることがある。子どもを育てる時間が必要なこともある。そういった時期に、人は社会から切り離されてはならない。基本生活給付は、そのための制度です」
朗らかに言い切ると、フロアから割れんばかりの拍手が起こる。
でも、私は手を叩かなかった。隣のジュリエットも。
彼が言っていることは正しい。制度の目的として、筋が通っている。
それはわかる。では、炊き出しに並んでいた人たちは何だったのか。
「複雑な制度をなくして、全員に一律で配る。わかりやすいじゃないですか!誰も漏れない。金持ちも貧乏人も関係なく全員に。最低限が保障されるから、嫌な仕事は辞めていい。働き方を自分で選べるのです!素晴らしくないですか、皆さん!!」
会場のボルテージが上がっていく。一つ一つの言葉に抑揚があり、演説のテンポも良い。タケナンテ氏は聴衆を乗せるのがとても上手かった。
演説の最後は、究極のセーフティーネット、世界に誇れる制度という言葉で締め括られる。フロアの熱狂ぶりは、少し怖いくらいだ。
さて、次の討論はどうなるか。
私が抱く疑問の答えが出てくるのを期待して待つことにした。
【パックside】
自然療法をしているという医院は、古いビルの三階にあった。
受付でドーラが名前を言って、「ちょっと特殊なケガというか、症状があって」と説明してた。キューが受付の端末で問診を入力して、診察室に入っていく。
俺とドーラは待合室の椅子に残って、手持ち無沙汰から窓の外を眺めた。相変わらず、下を向いて歩いている人が多い。無表情というか、淡々としてるというか、上手く言えないけど気になる感じだった。
「ドーラ、なんでここ知ってたの?」
「息子が風邪をこじらせたって話したろ?どの医者にも匙を投げられてたのに、ここの先生だけは息子を診てくれてね」
「そっかぁ、いい先生だな」
「いい先生だよ」
しばらくして、診察室のドアが開いた。七十代くらいで、目尻の皺が深い老医師がドアから顔を出し、診察室へ手招きする。
「さっき本人にも話したんだがね」
俺はとっさに通信機の録音機能のボタンを押す。
ドーラが慌てて、
「先生っ、お話を録音してもいいですか?」
と聞いた。老医師はニコニコしながら、いーよ、いーよと答える。
ドーラが俺の脇腹をどついた。そうか、先に許可を取らなきゃ、失礼だよな。
「まずな、この首の後ろの焼けたように爛れているところ。消炎鎮痛効果の高い薬草で作った軟膏を出しておくから、朝晩清潔にした状態で塗ることだな」
朝晩、1日二回か。軟膏を塗ると。
「耳鳴りは常時あるようだから、しばらくは1日三回、食前に煎じ薬を服用するように。頭痛の薬は必要な時だけ。常用はダメだ。月に五回、いやかなり辛そうだから、週に二回までだ。いいね?」
「なんで回数制限があるんですか?」
キューが質問すると、老医師は薬剤性頭痛(薬物乱用頭痛)という難しい説明をしだした。頭痛薬を頻繁に使い続けることで、かえって脳が過敏になり、新しい頭痛を引き起こしてしまうらしい。先生の使う薬草は効果が高いわりに副作用みたいなものは少ないみたいだけど、キューの神経過敏状態には慎重な投薬が必要だっていう話だった。
覚えられねぇ。録音しておいて良かった。殿下や姫さんなら頭いいからすぐ覚えられるだろ。キューはしっかりしてるけど、周りも知っておかなきゃな。
ドーラが真剣に頷きながら説明を聞いている。母ちゃんって、こどもが病気になるとこんな顔するんだろうな。
「私もね、再刻印っていうのかい?このような症例を診たことがないんだよ」
「刻印はこの国にはないもんねぇ」
と、ドーラがため息をつく。刻印はただの焼印のようなものではなく、通知システムを兼ね備えていたから、何かしら脳や神経へ干渉していたとしてもおかしくない。
俺がそう説明すると、老医師はキューを見て言った。
「呼吸法を教える」
「呼吸法?」
「感情が昂ぶりそうになったとき、まずこれをやるんだ。鼻から息を四秒かけて吸って、一旦止める。四秒くらい。ゆっくり口から八秒かけて息を吐き出すんだ。体の緊張を防いで、神経過敏状態をコントロールできるかもしれない」
キューが楽になるなら、なんだってやる!
俺とドーラは恥ずかしがるキューと一緒に、その場で呼吸法の練習をした。
これは体で覚える感じだから、俺もわかる!!
診察室を出る際に、医師が思い出したように、もう一言付け加えた。
「根治療法を探すって言う話だが」
全員で振り向いた。
「体が本来持っていた状態が、何らかの影響で損なわれたとき——元の状態に引き戻す治療があると、自然医の学会で聞いたことがあるんだよ。どこかの国の研究者が発表したという話で、ちょっと覚えていないんだが。水で治すというんだ」
「水ですか?」
水って、飲む水のことだろ?水で治すってなんだ?
全然イメージがわかない。でも、情報は宝だ。俺たちはお礼を言って、今度こそ診察室を出た。
「優しい先生だったな」
「あぁ、いい先生だった」
「だろう?頼りになるよ!」
ロミオ達はまだ討論会に参加中だろう。
ドーラが「美味しいおやつでも食べて帰ろう」というので、みんなで評判のカフェに向かった。キューだけが、早くこの変装を解きたいのにと言ったが、二人で無視した。
もうしばらく、その格好でいろよ!
可愛いから。
俺の思考を読んだキューにどつかれながら、歩く。
今日はよくどつかれる日だ。




