第三十九話 桃源郷は行き着く先ではなく、帰る場所にする
「再刻印?」
ロミオが顔をこわばらせながら言った。
キューの頭痛の原因について心当たりを尋ねたら、意を決したような表情でパックがキューの代わりに説明してくれたのだ。
「そう......なんだ。けっこう、キツくてさ」
「気づいてやれなくて、すまない」
キューの言葉に、悲痛な面持ちでロミオが返す。
「いや、そもそも隠してたの、俺だし」
「つらいの我慢して、どうして早く言わないんだいっ」
ドーラは心配のあまり、怒っている。パックがドーラの背を撫でながら落ち着かせる。私はそれを見ながら、覚悟を決めて言った。
「キュー、嫌だと思うけれど刻印、見せてくれない?」
「......パックが言ってたけど、あまり気分のいいものじゃないみたいだよ?」
「それでも、見せて欲しいの。キューはネヴァ出身でしょう?私はネヴァの元継嗣として、刻印や検閲局が行ってきたことを知っておかなければならないと思うから」
ロミオも頷いている。ネヴァとムストが検閲局というシステムを国策として始め、その被害を受けた人たちから目を逸らしてはいけないと思った。
傷跡を見せなければならないキューには本当に申し訳ないけれど、共有させて欲しい。そうお願いするとキューが小さく頷き、襟足の髪を掻き分けてうなじを見せてくれた。
全員が無言になる。キューだけが、そんなにひどいのかと、呟いている。
「疼くか?」
ロミオの声は低かった。
「最近はマシになったよ。時々痒いくらい。掻いちゃダメだと思うんだけど、寝てる時に掻いちゃってるみたいだな。枕カバーに血がついてるからさ。ドーラにバレないように、こっそり洗ってた」
「だからあんた洗濯場に!もうっ、言いなさいよ、本当にこの子は」
キューは叱られたこどもの様な顔をして、ゴメンと言った。
渋々と言った感じで語るキューの症状は多岐に渡っていた。
頭痛、耳鳴り、視界の揺れ、うなじの疼き。しかも、程度が重いみたいで、頻度も高い。
「全部の症状が一度に発現することはあるか?」
「……感情が昂ぶると、全部まとめてひどくなる。逆に落ち着いてると、わりと大丈夫」
ロミオが、長く息を吐いた。
「わかった」
「キュー」
ドーラが呼んだ。いつもより凄みのある声だ。
怒っている母親には姿勢正しく、はい!しか言わないに限ると、誰かが言っていた。私はそんな経験はないけど、真理だと思う。たぶん。
「医者に行くよ、いいね?」
ロミオとパックと私で、キューに無言の圧力をかける。
キューは一度、天を仰いでからわかったと言った。
+++
ドーラが医者に予約の電話をかけている横で、旅についての話を再開する。
「行き先の話をしよう。候補はいくつかあるが、まずみんなの希望を聞きたい」
パックが広げていた古い世界地図を指差しながら、
「近いのは、エリュシオンとパピルだな」
と言った。
「紙の国、パピルはもう廃国になってるわよ?」
「知ってる。でも行ってみたかった国の一つなんだ」
「……俺も、パピルに行ってみたい」
キューが遠慮がちに言った。
予約取れたよ〜と言いながら戻ってきたドーラが、パピルと聞いて首を傾げる。
「パピル、そんなところに行きたいのかい?」
二人が頷く。私はちらとジュリエットを見た。彼女も同じことを考えているのがわかった。継嗣学で習ったパピルについての共通認識がありそうだ。ジュリエットがドーラに質問する。
「ドーラさんはパピルについて、何か知ってる?」
「あぁ。七年前、大きな話題になったからね。紙の国がデジタル化で滅んだって。当時はすごく噂になったもんだよ」
「公式には廃国と届けられている。わかりやすく言うと滅亡だが。パピルに行きたい理由を聞かせてくれるか?」
パックとキューが何に惹かれてパピルに行きたいのか、知りたかった。ジュリエットとドーラも同意見のようだ。
「地下にいた頃、パピルから来た人たちが何人かいたんだ。経済難民としてムスト・ネヴァにきたけど、義務と禁止のルールになじめなくて、地下に降りてきたんだ。俺ら二人とも、その人たちからパピルの話をたくさん聞いてた」
「活版印刷で本をたくさん作っていたという話もすごく面白かった」
「今はもう、話に聞いた国ではなくなっているとしても、見てみたいんだ、彼らが愛してた国を」
────そういうことか。
パピルが公式に廃国になる前から国民の暮らしは困窮していて、経済的な難民を近隣諸国が受け入れていたことは知っている。文化の違いからトラブルが起きたり、環境に馴染めずメンタル疾患を抱えたり、自殺者が出ていたことも歴史の勉強で知っていた。継嗣学で紙の国は、政治的失敗で廃国になったという認識になっている。
私とジュリエットはそうした難民受け入れ後の現状を理解していても、パックとキューが知っているかつてのパピルを詳しく知っているわけではない。廃国になっていても、何かしら得られるものがあるかもしれない。だが......
「私は賛成だわ、次はパピルに行ってみたい」
「姫さん!」
ジュリエットから賛同を得られた二人の表情がパァッと明るくなったのと対照的に、ドーラの表情は険しい。私も懸念事項があって、おいそれとは賛成できないので、問題点を説明した。
「パピルは七年前に公式に廃国になっていて、インフラが廃止されている。キューが体調を崩しても宿が確保できない。水も湧水を探しながらの旅になると思う」
「フリーズドライも水があって真価を発揮するもんだしねぇ」
と、ドーラもご飯担当として意見を述べる。
キューが俺はなんとでもなる!と言い張るのを、やんわりと諭す。
「キューの体調の件もあるが、ジュリエッ、いや女性陣に野宿は困難だろう?」
「そうねー。あたしも野宿はちょっと」
女子だからと相槌を打つドーラに、
「女子って、年齢制限のあるワード」
と言って、パックに久々のドーラ・ゲンコツが落ちていた。
やはり、パックはデリカシーがないと思う。
「二人の気持ちはわかる。でも男女で体力差もあるし、キューの体調が感情や疲労で悪化する可能性があるなら、過酷な環境にいま飛び込むのは得策じゃない」
「……わかってる」
とキューが言った。
「だから」
私は地図上のパピルから元ルール国までのルートを指でなぞり、パックとキューの顔を見ながら続けた。
「帰り道に寄ろう。パピルに行くことを『無し』にはしない」
「……帰り道って、どこに帰るんだよ」
とパックが切なげに言った。
「俺ら、帰る国、ないじゃんか」
「ある!」
強く言い切った。この旅は新天地を求めて移住するためではなく、私たちが本当に理想とする国のあり方を学び、力をつけてムスト・ネヴァに戻って、国民が幸せに暮らす国造りを行うためのものだからだ。
全員が黙って私の話を聞いてくれた。ジュリエットが深く何度も頷きながら言った。
「必ず帰るわ。その途中でパピルに寄る!」
パックの表情が、少し変わった。
「デンカ、俺らも地下のみんなも帰れる国になるか?」
「約束する」
「私も」
「わかったよ。キューもそれでいいか?」
「全然、いい」
その素っ気なさに、みんなで笑う。
なんで笑うんだよと、少し拗ねるキューに構わず、決定した行き先を告げる。
「次はエリュシオンを目指す」
「わかったわ」
「りょう〜かい〜」
「あいよっ」
「......わかった」
みんなが次々に言った。
「よし。出発日だけど」
今決まっている日程を確認する。
明日がキューの病院受診。自然療法で薬草治療が得意な信頼できる医師に予約を取ったと、ドーラが説明を加えた。
私とジュリエットは、同時刻に開催されるベーシックインカムの討論会へ参加する。明後日は、フリーズドライの加工日だ。最短で、三日後になる。
「ドーラさん、炊き出しの方は大丈夫?」
ジュリエットの問いかけに、ドーラが少し考えた後に言った。
「少しずつ、常連の人たちには炊き出しをやめることを伝えていたんだ。今日で終わりにするよ」
「鶏は?」
「あの子らは、まだまだ美味しい卵を産んでくれるからね。知人に譲る話もしてあるよ」
「なら、三日後にしよう。いいか?」
「常備菜を全部、フリーズドライにしていかなきゃね!」
「出発日の朝ごはんは〜?」
パックが朝ごはんの心配をする。ドーラは胸をどんと叩いて、
「あたしに抜かりはないよっ」
と言った。もちろん、異論はない。
ドーラがいる限り、私たちが食の神様に見放されることはない気がする。
「最後に」
大事なことをみんなで共有したい。この旅の目的は先ほど説明した。
もう一つ、大事なこと。
「これからの旅は、キューの症状に向き合いながら進みたいと思ってる。明日受診する医師の処方にもよるが、おそらく対症療法になると思う。次のエリュシオンで同じような治療が受けられる保証もない。治療の糸口や根本的な解決法も探していきたいと思っている」
「賛成!」
「さんせ〜〜」
「もちろんさっ」
声を揃えて言う私たちから顔を背けて
「……勝手にしろよ」
とキューが言った。耳が赤くなっているから嫌じゃない。よし、決まりだ。
「ロミオ!」
ジュリエットがいたずらっ子のような顔をしている。
「何かあるか?」
確認不足があっただろうか。
少し心配になっていると、ニコニコしながらジュリエットが言った。
「今度こそ、議事録取りました〜」
ものすごく得意げな顔が可愛い。
「助かる、ありがとう」
お礼を述べると、さらにニコニコになる。
可愛い。
キューも可愛いなと言う顔をして、ジュリエットを見ている。
減るから、あまり見ないで欲しい。
そんなことを考えていると、パックがまたニヤニヤしながら私を見てくる。
なんだか居心地が悪くなって、話題を変える。
「午後からは、エリュシオンについて少し調べよう」
「おっけぇ〜」
「わかった」
「そうしましょう!」
「エリュシオンの名産や美味しいものは外せないね」
準備を整えて、新しい旅を始める。
そのことがとてもうれしかった。




