第三十五話 安堵も不安ものせて、月の道を帰る
夜の帳が下りた頃、私たちは瑞穂賓館・千歳のロビーに足を踏み入れていた。
ドーラが見繕ってくれた私たちの外出着は、旅装束とは違う、上品な仕立てだった。ロミオの腕に手を添えて、宿泊客のふりをして歩く。
心臓が、痛いくらい早鐘を打っている。
「落ち着いて、ジュリエット」
小声でロミオが囁く。腕に添えた手に、少しだけ力がこもった。
「わかってる、わかってるんだけど……」
潜入・救出作戦という緊張感に、ほどよくときめきがブレンドされて落ち着かない。シャンデリアの明かりが、大理石の床に反射している。フロントの前を、努めてゆっくり通り過ぎる。ロミオが優雅にフロントスタッフに微笑みかけると、疑う様子もなく会釈を返してくれた。
パックは時間を少しずらして、階段から二階へ上がり、手掛かりを探すことになっている。
「一つ聞いてもいいだろうか」
エレベーターホールへ向かう途中、ロミオが小さく尋ねた。
「何?」
「キューのこと。ジュリエットが罪悪感でつらくなっていないかと、心配だった」
「!?」
ロミオは少し表情を曇らせて、話を続けた。
「正直言うと、私たちが地下へ逃げなければキューが捕まることはなかったと、時々すごく苦しくなるんだ。だから、ジュリエットも同じようにつらい気持ちを抱えているかもしれないと思って。なかなか二人きりで話す機会もないから」
やっぱり、ロミオも私と同じ気持ちだったんだ。でも――
「ロミオに責任はないわ。助けを求めたのは私。そしてお父様の……狂った妄執に気づかず、ずっと何の力も持たないこどものまま過ごしてきた、継嗣としての力不足が招いたことなの。地下のみんなに合わせる顔がないって、今でも毎日思っている」
「ジュリエット……」
「安全な場所を奪われて、さぞ大変な思いをしてるかと思うと夜眠れなくなる」
「ジュリエット!」
ロミオがエスコートに添えている私の手の上から、彼の手を重ねてくる。
「私のせいで、ロミオまでつらい思いをさせちゃって、本当にごめんなさい」
鼻がツーンとして、涙がこみ上げるのを必死にとどめる。すると、ロミオが重ねた手をゆっくりと撫でてきた。優しく、慈しむような手つきで何度も、何度も。
せっかく泣くのをこらえているのに、堪えられなくなるからやめてほしい。本当はこんな風にずっと触れていてほしいけど、今はダメなの。甘えたくなってしまうから。
「ジュリエットが抱えている気持ちを教えてくれてありがとう。貴女は否定するかもしれないけれど、これは私たち二人が抱えていくもので、一人の責任ではないとだけ、今の貴女に伝えたい」
「ロミオ、だって!」
「違うよ、ジュリエット。今する話じゃないかもしれないけれど、言わせてほしい。私が貴女を誰にも渡したくなかった。ムストを去り、ネヴァと敵対することになっても。そして、地下を巻き込んだ形になったけれど、この選択を後悔していないんだ。私も大概だろう?」
私は首を横にフルフルと振ることしかできなかった。
ロミオは優しく笑って、
「だから、二人で背負っていこう」
と言った。
_____
エレベーターに乗り込み、あらためてキューを無事助け出すことを誓い合う。
「パックが二階から上がって調べるから、私たちは五階から降りよう」
「ええ、わかったわ」
目当ての階につきチンと音が鳴る。エレベーターの扉が音もなく開いた。
気を引き締めて、フロアを進む。宿泊客に見えるように、優雅に。
「ドーラさん、うまく隠れられているかしら?」
「大丈夫だろ。警備中の知り合いに気づかれないよう、ホテルの裏口近くのお店の横で待機するって言ってたから」
炊き出しの常連が思ったよりも警備に立っているのを見て、ホテルの中に入るのはあきらめてもらった。何日かドーラの家に潜伏してから国境を出る計画なので、顔バレしないように待っていてもらう。
五階の廊下は静かだった。
等間隔に並んだドアの前を、努めて自然な足取りで歩く。
「この階は違うな」
ロミオのつぶやきに私は頷き、先ほど降りたエレベーターと逆端のエレベーターに向かう。下降ボタンを押しつつ、素早くロミオがパックにチャットを送信していた。
直後、通信機が同時にブブっと短く振動する。私たちは三人でグループチャットを使っている。
「ロミオ!」
「2階も違うみたいだな。だとすると、四階か」
階段を使ってホテルスタッフと会ってしまうと、この服装では弁解しにくい。
焦りを感じながら、エレベーターの到着を待つ。
「嫌な予感がする……」
ロミオが焦りをにじませる顔で言った。奇遇ね、ロミオ。私もよ。
階段移動をしているパックの方が先に四階につきそうだ。そして、私たちとの合流を待つという約束など、彼の頭の中に残っていない気がしてならない。
ロミオは今すぐ階段を駆け下りたそうにしていた。
「パック、早まるなよ」
「来たわ、急ぎましょう!」
私たちは素早くエレベーターに乗り込んだ。
【パックside】
四階の奥、警備が二人立ってる部屋を見つけた瞬間、ブワッと体中の毛が逆立った気がした。間違いない。
気づかれないようにそっと近づく。目的の部屋の近くでちょうど通路が別れているので、とりあえず通路を曲がり、様子をうかがうことにする。
外の警備は間に合わせのようなジイさんばっかりなのに、部屋の前は「本職」っぽい。二人なら制圧できるが、どっちの部屋が当たりか。
すぐそこにキューがいるのに、こんな所で待ってるだけなんて。
――待てねぇよ。
考えるより先に、体が動いていた。
音を立てずに廊下を進む。用意していたボールを勢いよく転がし、警備の目を引き付ける。すかさず一人目の警備の背後に回り込み、首の後ろに手刀を落とす。声を出す間もなく、男が崩れ落ちる。受け止めながら、静かに床へ横たえた。
二人目が異変に気づいて振り返る前に、間合いを詰めた。
「悪いな」
短く呟いて、もう一撃。
二人とも、意識を失っているだけで息はある。素早く両手を後ろに回し、テープで両親指を固定し、拘束する。さっき自分が隠れていた曲がり角まで引きずっていき、転がしておく。二人ともガタイがいいから、重い。
ふーっと一息ついて、ドアに耳をつけて中の音を拾う。
女の子同士の、少し高い話し声が聞こえた。違う。
もう一つのドアの前に立ち、控えめにノックをする。
「はい」
中から男の声がする。キューの声だ!!
ドアスコープからこちらの覗く気配がする。ゆっくりと扉が開いた。
「……ぱ……パック?」
掠れた声だった。俺の名前を呼ぶ声が、記憶にあるものよりずっと擦れている。
「迎えに来たよ」
短く返すだけで精一杯だった。もっと言いたいことがあったはずなのに、いざ目の前にすると、何も出てこない。すぐに駆け寄り、思い切りキューを抱きしめた。
「来るのが遅くなってゴメン!待たせて、ゴメン」
涙があふれて止まらない。やっとキューに会えた!
俺は興奮していてキューの体が強張って固まっていることに気づかなかった。
「……な、んで、ここに」
責めるでも、喜ぶのでもない声だった。
「なんでって、決まってんだろ!」
早く行くぞ、と続けようとした瞬間、キューの目が一瞬泳いだ。
「――待っ」
言いかけた言葉が、途中で途切れる。眉間に皺が寄って、両手で頭を押さえて蹲った。
「キューっ、おい!大丈夫か?」
「……わかんねぇ、てか、声がデケェよ。頭ガンガンす……るわ」
キューの声が小さくなる。頭痛がよほどひどいのか、顔をしかめ呻いている。よく見ると目元の隈がひどく、顔色も青白い。やつれているようにも見える。一刻も早くここから連れ出し、休ませてやらないと。
手首を掴んで起き上がらせ、無理やり立たせた。
「ゆっくりでいい、歩けるか?」
キューは頷き、少しよろけながらも歩き出した。その足取りが、あまりにも頼りなくて、心配になる。肩を抱き、支えながらエレベーターへ向かう。
ようやく会えたのに、こいつは全然喜んでない。
助けに来たのに、うれしそうじゃない。
ものすごい違和感と焦燥感が頭の中をグルグル駆け巡るが、一旦思考を停止する。
考えるのは、逃げてからだ。
その時、廊下の角からデンカと姫さんが駆けてくるのが見えた。
「パックっ、キューっ」
「二人とも無事ね……よかった」
二人の視線が、キューに向く。一瞬、言葉を失っているのがわかった。
想像していたキューと、目の前のキューが、あまりにも違うから。でもすぐにデンカが切り替えた。
「説明は後だ、今は出るぞ。一階に着いたらジュリエットは表玄関から出て裏口へ周り、ドーラを探して合流してくれ」
「わかったわ」
「私とパックは裏口からキューと一緒にでる。いいな?」
「おうっ」
そう言って、デンカは自分が羽織っているジャケットを脱いでキューの肩にかけた。キューは白いつなぎのような服を着ているから、このままでは目立つだろう。状況判断が早い。
味方がいてくれて、本当に良かった。
_____
エレベーターが一階につき、予定通り姫さんが正面玄関から出ていくのと同時に、俺たちも裏口へ向かう。ここは従業員入り口みたいで、守衛が小さな窓口に座っている。デンカがサッと前に出て、守衛に声をかける。
「やぁ、すまないがフロントはどちらだろう?迷ってしまってね」
守衛の視線をデンカが遮っているうちに、キューを抱えて外に出る。キューの足取りは重く、何度か俺が支えなければ転びそうだ。
「キュー頑張れよ。もう少しだ」
励ますように声をかけても、返事はない。
夜風が、頬を撫でる。まだ安心はできない。みんなと合流するまで、木陰に隠れる。デンカは正面玄関に向かっていったから、すぐに戻ってくるだろう。
キューが、ぼんやりと顔を上げて空を見上げた。雲の切れ間から月が見えていた。
「……月かぁ」
ぽつりと、キューが呟いた。
「どした?」
「ずっと、窓のない部屋にいたからさ……」
それだけ言って、また黙り込んでしまう。
道路を挟んだお店のあたりから姫さんとドーラが駆け寄ってくる。
「みんな無事かいっ!?」
「あぁ、何とかな」
「その子がキューって子かい?」
ドーラがキューの顔を覗き込む。キューは、億劫そうに視線を逸らした。
デンカも正面玄関の方から走り寄ってきた。
「行こう。長居はできない」
デンカの言葉に、みんなが頷く。
俺は、キューを支えながら歩いた。デンカ達が俺らを隠すように取り囲み、移動する。夜の街を、俺たちは足早に歩いていく。
ドーラの家に無事に辿り着き、俺たちはようやく一息ついた。
これでもう安心だ。一言も喋らないキューの横顔を見ながら、俺は小さく息を吐いた。ドーラが部屋を用意してくれて、ひとまずキューを休ませることにした。
あまり眠れていないと言っていた。頭痛がするとも。
ドーラが薬草茶を作ってくれた。安眠できるハーブが入っているらしい。
「あっちぃ……」
「相変わらず、猫舌だなぁ」
変わっていないキューの癖をみて、妙に安心する。
大丈夫だ、これからは俺がずっとそばにいて、キューが元気になるように支える。
そう決意していると、キューが暗い顔をして言った。
「パック、俺、ここにいていいのかな?」
「何言ってんだよ!いいに決まってるだろっ」
「だってさ、頭の中が全然まとまんなくて、ずーっと耳鳴りがするんだ。いや、頭の中に声がするっていうか。逃げなきゃっていうのと、行ってはいけないっていうのが混じってて」
「キュー」
「俺、逃げていいんだよな?」
「当たり前だ。言ったろ?迎えにきたよって」
「あぁ、だよな……」
「まずは寝ろよ。ずっとついててやるからさ」
「どーせなら、可愛い子がいい」
「俺は可愛い顔してるだろーがっ」
久しぶりに軽口を叩くけど、キューは疲れてしまったようで、目を閉じてしまった。
「キュー、もう大丈夫だ。なんも心配もしなくていいからな。俺がついてるからな」
安心させたくて言ったけど、返事はなかった。小さく寝息が聞こえる。
少しでも眠って、元気を取り戻して欲しい。俺はずっとキューの寝顔を見つめていた。




