第三十二話 うちのご飯を食べた子は、みんな我が子の件
ドーラの得意技は「飯テロ」です
こんなパックは初めて、と思っていた昨夜のことが、翌朝には嘘のようになった。
布団から飛び起きてきたパックは「腹減った」と言って、そのままずんずん台所の方へ歩いていった。
……やっぱりパックだった。
「昨夜は心配したぞ」とロミオが言った。私もそう思っていた。
「え、俺なんかしたっけ」
「窓を見ていた」
「あー……」
パックはちょっとだけ考えて、「まあ、なんか、そういう気分になることもあるじゃん」と言った。
それ以上は説明しなかったし、ロミオも聞かなかった。
「飯ー!いいにおいする!すごいいいにおい!」
パックが台所の方に駆けていく。そうだ、いいにおいがする。というか、ものすごくいいにおいがする。昨夜の鍋の焦げた匂いとはまったく違う、朝の、湯気の、なんか幸せなにおい。
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「暁星粟と宵麦入りの雑穀粥だよ!」
ドーラが言いながら、土鍋の蓋を開けた。
湯気が一気にふわっと広がって、台所が白くなる。淡い、紫がかった色のお粥が、ぷくぷくとゆっくりとろ火に揺れていた。
「稜月に入ったら、こいつが食べたくなるんだよねえ。寒さがちょっと和らいできた頃に食べるお粥は格別でさ」
「なんで紫なの」
「この粟、夜明け前の空の色に似てるだろ?だから暁星粟っていうんだよ。炊くとこういう色が出るし、栄養価も高いんだ。そして、宵麦が入ると腹に溜まる。見た目と実用、両方ないと朝ごはんじゃない」
「うわーきれー」
パックが土鍋に顔を突っ込まんばかりに覗き込んでいる。食堂の方へ移動し食卓に着いてみると、一人分のお盆に見たことがない料理がずらっと人数分並んでいた。
ネヴァのお料理とは全く違う食材や調理法のようで、どんな味かとわくわくする。
「旅した体には朝一番に塩だよ」
と、ドーラが言った。
「胃が温まる前に甘いもん入れたって体は起きない。まず塩で胃を叩き起こして、それからお粥でじわっと温める。これが朝の正解」
「なんかそんな気がします」
「気がするじゃない、そうなの!」
どんと鍋敷きに土鍋が置かれて、椀に粥をよそってくれた。ドーラが今朝の献立を一つ一つ丁寧に説明してくれる。霜晴大根を出汁で炊いたもの、稜月漬けという名前の塩漬けの青菜、それから、ドーラの家の鶏が生んだという卵で作った卵焼きが、一人分ずつ小皿にのせて添えてある。
昨日の炊き出しも美味しかった。早く食べたい衝動を押さえ、みんなでいただきます!と声を合わせた。
一口、お粥を口に入れる。
……あ。
米の甘みと粟と麦の粒つぶ食感、塩のかどがとれた出汁のうまみが、じわっと喉から胃に落ちていった。体の芯から、ゆっくり温まっていく。霜晴大根は、びっくりするくらい柔らかくなっていて、噛むというより溶ける。甘い。こんな大根があるんだ。
「おいし……」
思ったより大きな声が出た。
「でしょ!!」とドーラが言った。
「霜晴大根はね、稜月の寒さで地中に一度閉じこもってから顔を出すから甘いんだよ。あと一月したら終わりだね」
「あと一月で食べられなくなるんですか」
「そう。だから今のうちに食べとき」
今のうちに食べておく。なんかその言葉が、すごくいいと思った。
今しかないから食べる。以前なら出された食事をいただくだけで、栄養学で学んだ「旬」っていう言葉を、知識として捉えていた。
でも栄養価が高まり、しかも美味しいのが「旬」だ。味わうには時期がある。
それをはじめて理解できたかもしれない。
ロミオは黙っていた。微かに首を横に振り唸りながら二口目、三口目を食べ、匙が止まらずどんどん椀の粥が減っていく。
ドーラがその様子を、満面の笑顔でうんうん頷きながら見ている。
「おかわりあるよ!」とドーラが言って、嬉しそうにロミオの椀にお粥を追加した。
ロミオは五臓六腑に染み渡ります...とつぶやいた後、あっという間に二杯目の粥も完食していた。顔が上気して、心なしかツヤツヤになっている気がする。
見た目も綺麗な雑穀粥は、食べると体に力がみなぎってくる気がするし、稜月漬けは酸味があって、お粥との相性が抜群。卵焼きは出汁巻きだけど、ほんのりやさしい甘さがある。全部食べ終わっても、まだ体がぽかぽかしていた。
パックは「うまー!!!!」と最初の一口で叫んでいた。
「俺、こんなうまい飯、今まで喰ったことねぇよぉ〜」
その言葉がドーラに火をつけた。
台所から常備菜を持ってきて、パックのお盆に次々と追加投入していく。
パックがドーラ家の食材を食べ尽くすんじゃないかと不安になり、ロミオと二人で必死に止めた。
ロミオが、
「これをキューが止めてたのか......」
と呟いた。なんか、前にも似たようなことを言ってた気がする。
_____
食後に、みんなで今日の予定を話し合う。
「まず私は、ローカル通貨から国際通貨へ換金できるように、スポイル国回線への切り替え手続きに行く。スポイル国の窓口は役所に併設されているはずだが、時間がかかるかもしれない」
「それって申請が必要なもんなのか?」
「あぁ、国境の放送局にある正規窓口で申請すれば無料で切り替えられたんだが、もう通過してしまったしな。回線を切り替えないと、通貨変換のアプリをダウンロードできないんだ」
「ロミオ、回線切り替えの申し込みって、そんなに時間がかかるものなの?」
「申請した後、審査があるらしい。たぶん、大丈夫だと思うが......」
ロミオと私はもしかしたら母国から何かしらの手配書が回されているかもしれない。
一抹の懸念があるけれど、自国の恥を晒す真似はしない可能性も高いので、手続きに行くとロミオはいう。私も同意した。
「じゃあ俺、その間ぶらぶらしてていい?」
「パックは通信機を持っていなかったか?」
「ないよ、俺『無印』だもん。登録ムリ!」
「そうだったな......」
ロミオがしばし、考え込む。通信機を持っているのは三人のうちでロミオだけ。
できれば全員通信機を持ち、いざという時の連絡手段にしたいと考えていたようだ。私はネヴァの時に登録してあるから、購入資金さえあればなんとかなりそうだけど、パックは刻印を持たないので、管理システムに登録していない。
悩む私たちに、ドーラが提案してくれた。
「あたしの名前で通信機、買ったらいいんじゃない?」
「ドーラは通信機を使っていないのだろうか?」
「なんだか、使い方が小難しくてさ。後、連絡取り合う家族もいないから持ってないんだよ」
「......悪用したりしないと誓うが、本当にいいのか?」
「いーって、いーって。これでもあたしは人を見る目があるんだよ!飯を食わせたらあたしの子も同然だ。こどもの通信機を親が与えるのは当たり前だよ!!」
ロミオは個人情報や不正利用に当たるかなどをブツブツ呟いていたが、最終的にドーラの提案にのることにしたらしい。
「ありがとう、感謝する。ドーラ殿」
「どーってことないさ!」
ドーラの懐が深すぎる。みんなのお母さん感がすごい。
そんなことを考えていると、パックがニカっと笑って宣言した。
「話はまとまったみたいだから、デンカがお役所で手続きしている間は、俺ちょっと街ブラしてくるからね〜」
「単独行動して、何かあったら困るだろう」
「だ〜いじょ〜ぶだって。俺、潜入得意だし!そんなに長い間じゃないから。見てみたいじゃん、新しい国だし」
ロミオがパックを見た。パックはまっすぐロミオを見返している。
「……市場の外には出るな。一時間以内に戻れ。放送塔が時刻を知らせてくれるだろうから」
「りょー」
軽い。でも、ただ役所で時間を潰すなら私も街を見てみたい。
「パック、それなら私も一緒に街を見たい」
「ダメダメ〜。デートになっちゃうでしょ?デンカが妬いちゃうから」
「えっ、あんたらってそーゆー」
「ドーラも一緒にきてもらえれば、デートにならないでしょ!」
「姫さん、だめだよ。俺はいざという時に逃げるルートとかの下見に動くから、大勢だと時間がかかるし、目立つからな」
どうやら、連れて行ってはもらえないらしい。
しゅんと萎れる私を見て、ドーラが解決策を出してくれた。
「それなら姫ちゃんは、あたしと一緒にお洋服でも見に行こうよ!」
「えっ?」
「見たところ、洋服とかほとんど持ってないだろ?ウチは旦那の古着の他は、あたしのサイズしかないから、貸すわけにもいかないしね」
「ドーラ、太ってるもんな!」
すかさずドーラがパックの頭にゲンコツを落とした。
「いてぇっ」という声が響くが、自業自得だと思う。女性へのノンデリ(ノンデリケート)発言、ダメ、絶対!!
「そうだな。女性の洋服は女性だけで買った方が都合がいいだろう。ジュリエットはドーラと一緒に行動してくれ。護衛をつけられないのが申し訳ない」
「大丈夫です。ドーラさんと一緒なら」
「買い物もあるし、一時間では足りないだろう。パックも、昼の鐘が鳴るまでに役所前へ戻れ」
全員了承し、役所前で別れることにした。
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「さ、いこっか!」
ドーラが腕を広げるように言った。
「お洋服、選んであげるよ」
「え、でも……」
「いいからあたしに任せな!」
腕をとられて、ずんずん歩く。市場の中に入ると、昨日とは違う通りに出た。食材を売っている露店だけでなく、布地や衣料品を扱う店が並んでいる。
「着の身着のまま旅してきたんだろ。着替えがなかったら毎日同じ服を着ることになるじゃないか」
「それは……そうですね」
「あたしが見立ててあげる」
言いながら、ドーラがふいに立ち止まった。
「娘がいなかったからさ」
「え?」
「女の子のお洋服を選んであげるのが夢だったんだよ」
ドーラの声が少し落ちて、俯いた。息子さんのことを思い出してるんだと、すぐわかった。
昨夜の話を思い出す。満足に食べさせてやれなかったこと。
あっという間に逝ってしまったこと。
「……では、ドーラさんの夢を叶えさせてください」
ドーラが勢いよく顔を上げた。目が少し赤い。
「お母様みたいに、選んでいただけたら嬉しいです」
今度こそドーラが泣いた。
「ほんとにいい子!姫ちゃんは本当にいい子!」
ギュッと抱きしめられた。ドーラの体は大きくて、温かくて、どこか安心する匂いがした。
顔はもう、ぼんやりとしか残っていないけど、母親に抱きしめられるってこういう感じなのかなと思う。
亡くなったお母様に会いたいと、少しだけ思った。
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ドーラの服選びは本格的だった。
「こっちの色の方が肌が映える」「この丈は動きにくい」「安くても縫い目がしっかりしてるのを選ぶのが旅人の鉄則」と、次々に服を手に取っては戻す。
「あ、これかわいくないですか」と指さすと、「生地が薄いから冬に着る服じゃない」と一蹴された。
「じゃあこれは?」
「色が地味すぎる。あんたの年頃が着るには惜しい」
なんか気づいたら全部却下されている。でも嫌じゃない。むしろ、こんなに真剣に服を選んでもらったことが、今まであまりなかったかもしれない。
「これはどーだい?」
ドーラが差し出したのは、稜月の空の色に似た、薄い青みがかったグレーのシャツと長めの丈のキュロットスカートのセットアップで、ワンポイントに襟周りが白いレースで縁取られていた。
「可愛い...」
「旅でも動きやすいし、他に上着やズボンなんかも合わせやすいだろ?試しておいで」
試着して出ると、ドーラがとても喜んで店員さんに
「うちの子、可愛いだろ〜!」
と言って手をたたくので、ちょっと恥ずかしかった。
「なんかこう、デンデンに今すぐ見せてやりたいよ。恋人なんだろ?」
「こい...び、恋人」
ドーラのいう「デンデン」とは、ロミオのことである。デンデンと姫ちゃんという呼び名はパックが一向に私たちの呼称を改めないからなのだが、もう変えられない感じになっている。
それはさておき......恋人。はじめての響きに顔が熱くなる。
ロミオに可愛い格好をして見せたいと、ちょっと思ったけれど。そうよね、ロミオは将来結婚の約束をしていて、今はこ、恋人だ。
そのワードに浮かれたくなるが、切実な問題が一つある。
「ねえドーラさん」
「なんだい?」
「あの、私たち……お金を持っていないんです。このお洋服も、本当に可愛くて買いたいんですがその」
ドーラが手を止めた。ぱちくりと目を見開いて言った。
「こどもがそんなこと考えなくていーの!」
「で、でも——」
「言ったでしょ!うちのご飯を食べた子は我が子と同じだって。親が娘の洋服を買うのは当たり前だよっ」
「ドーラさんにお世話になりっぱなしで、洋服までは」
「細かいことはいーの。あたしは今、可愛い娘の服を選んで楽しいんだ!これと、あとこの上着も合わせてみて」
「ドーラさん!」
ダメだ、止められない。
結局、上下三着ずつの洋服を買ってもらうことになった。
あとは下着も......
「あの、ドーラさん、下着売り場はどこにありますか?」
ドーラがハッとした顔をして、慌てて言った。
「ごめんごめん、下着も必要だったね」
「あと、その、せ、生理用品も」
「姫ちゃん、もう大人の体になってるのかい?」
……ドーラは、私を何歳だと思っているんだろう(二回目)
今ここで、私の年齢を告げておくべきだと脳内で警告音が鳴る。
「ドーラさん、私は十六歳。正真正銘の成人です」
その時のドーラの驚きを、ロミオとパックに見られなくてよかった。
私の体を上から下まで目視して、あたしゃてっきり...とドーラは言った。
出るべきところが出ていないのは、栄養不足ではない。断じてない。
+++
昼を告げる鐘が鳴った。やはり手数料を取られたが、心配していた審査も通り、必要なアプリもダウンロードできた。いつもは、先んじてベンが手筈を整えてくれていたから、段取りを組む必要がなかった。これからは私の役割になる。もう二度と食べるものや宿に困らないように、しっかりしないといけない。
優秀な側近のことを思い出し、不安に心が揺れる。もう、追いついてもいい頃だった。地図がなくても、次に立ち寄るのは隣国であるスポイルだということをベンがわからないはずがない。ケガで動けないのだろうか。
安否が掴めないもどかしさ。街道は放送塔が遠くて電波が弱いので、通話ができないのかもしれないと、先ほど回線が通じて、いの一番でベンに連絡をしたが繋がらず、チャットも未読のままだった。
無事でいてくれ、ベン。
キューを置いていく結果になったパックにも、マーサと別れたジュリエットにも、この気持ちを漏らすわけにはいかない。みな、それぞれつらいのだ。
ふと視線を上げると、ドーラと一緒にこちらへ向かってくるジュリエットが見えた。よかった、無事だった。昼日中とはいえ、女性二人での行動に懸念があったが、何事もなくてよかった。
「ロミオ、回線は?」
「申請は通った。ローカル通貨も換金したから、もう大丈夫だ」
そこでようやく、ジュリエットの服装が朝と違っていることに気づく。
「可愛い...よく、似合っている」
「ドーラさんが選んでくれたの」
はにかむジュリエットは、とてつもなく愛らしかった。
思わず、吸い寄せられるようにそばに近づく。
「襟元のこのレースが、ジュリエットの可憐さを引き立ててるな」
「ロミオ.......」
そんな甘い雰囲気の恋人たちに大声で割り込む声があった。
「よく似合ってるだろ〜、あたしが選んだんだ!センスあるだろ」
甘酸っぱい雰囲気が一気に霧散する。
「確かに。ドーラ殿の見立ては確かだな」
「上下三着ずつも買っていただいたの。私も通信機を買ってローカル通貨を換金すれば、お金をお返しできるわ」
「では、それまで私がドーラ殿に建て替え分をお返し」
「いらないよっ!!!!」
ドーラがロミオの話を途中で遮る。
「あたしの娘の服を楽しく選んだんだ。お金を返すだの何だの、よしとくれよ」
両手を胸の辺りで組んで、一歩も引かない構えのドーラ。
チラリと横目でジュリエットを見るが、静かに首を横に振っている。
これは、好意を素直に受け取った方が良さそうだ。
「すまなかった、ドーラ殿。私からもお礼を言わせてくれ」
「い〜ってことよ」
ドーラは満面の笑顔で笑った。
遠くから、パックが駆けてくるのが見える。
「わりっ、遅れちまった」
「遅いぞ、パック」
「わり〜、わり〜。おっ、姫さん可愛いなその服!」
パックに褒められて、顔を赤くしているジュリエット。何だか面白くない。
表情をしかめたつもりはなかったが、パックがニヤニヤしながらまたからかってくる。
「デンカ〜、妬くなよぉ」
「妬いてなどいない」
「はいはい、そういうことにしといてやるよぉ」
合流に遅刻したのに上から目線のパックに苛立つが、私の方が精神的に大人なのだ。軽く受け流すべきだろう。
ジュリエットもドーラも、身分登録のある本人の名で、廉価版ではなく複数国対応の汎用機を一台ずつ新規に買い、回線を通した。
これで三人とも連絡手段を持つことができて、一安心だ。あとは......
「さっ、男どもの服も買いに行くよっ」
ドーラが腕まくりをする。
「私は機能的なものであれば問題ない」
「何言ってんだい!せっかく男前なんだからさ。ほら来た来た!」
腕をつかまれて引っ張られていく。なかなかに力が強い。
鍛錬をしばらく休んでいたが、復活させようと密かに思った。
「俺、派手なのにしよう〜。着たことない感じのやつ」
「あんたもイケメンなんだからさ、あんまりチャラチャラしない方が似合うよっ」
「え、なんでよ!おばちゃん基準きびしすぎ!」
「おねーさんだよっ」
パックの頭にげんこつが落ちた(二回目)




