第三十一話 慈愛の支援は、国じゃなく悲しい母親が始める
今回はロミオ視点なしの短めです。
ドーラの家は、市場から少し歩いた路地の奥にあった。
外から見れば古びた木造の一軒家。中に入ると、思ったより広かった。玄関にコートが何枚も掛かっていて、靴が多い。鍋の焦げた匂いが染み込んでいる。誰かがここに来て、ご飯を食べて、また出ていく。そういう場所の匂いがした。
「床でいいなら泊まれるよ。うちはよく人が来るからさ」
ドーラが奥から布団を三枚、腕に抱えて出てきた。ロミオが頭を下げて言った。
「本当にありがとうございます」
「いいってことよ!」
パックはもう畳んである布団にダイブして頬ずりをしている。
「ふかふかじゃん!俺、こんな布団初めてだよ〜〜〜」
「そんな高級品じゃないけどね?陰干ししたばっかりだから、いい感じだろ?」
ジュリエットも布団に触れてみる。ネヴァではベッドとシーツだったから初めての経験だ。ドーラの家のお布団は、肌に触れた瞬間、じんわりと体温を吸い込んで包み込んでくれるような優しさで、お日様の強い匂いではなく、風が通り抜けたあとのようなまっさらで清潔な香りがした。
「こんな素敵なお布団で寝ていいんですか?」
うるうるしながらジュリエットがいうと、ロミオとパックはドーラに睨まれた。
「あんたらさ、こんなか弱い子にどんな旅を......」
「横になるのは三日?四日ぶり?」
「そうだな、ずっと木にもたれかかって寝ていたから」
「こんな細っこい子になんてこと!」
ドーラがジュリエットを抱きしめながら言う。
「まずはお風呂にはいんな。ずっと入っていないんだろ?それからゆっくり体を伸ばして休むんだよ、いいね?」
「はい!うれしいです」
ジュリエットは内心、自分がドーラに何歳だと思われているのか気になったが、お風呂に入ってお布団に寝れる嬉しさでスルーすることにした。
後で聞いてみよう......
____
控えめに言って、お風呂は最高だった。ネヴァの総領主館に比べたら小さめな造りだが、清潔で温かいお湯で髪と体
を洗えることが、こんなにも幸せなことだとは思わなかった。
三日間の旅で、水で顔を洗うしかできなかったから、ロミオにくっついて寝る時に髪の毛ベタベタで臭いって思われてたらどうしようと、内心ドキドキだった。
お風呂から出て髪の毛をタオルドライしていると、ロミオも出てきた。髪の毛が濡れていて、いつもと雰囲気が違ってドキッとする。
うぅ......やっぱりかっこいい。目が合うとロミオは優しく笑いかけてくれた。
やだ、本当にかっこいい。
こういう時、乙女心の爆発する心の叫びを共有できるマーサがいないことが寂しくなる。女子トークって、楽しかったんだと今さらながらに思う。
男性陣との会話に物足りなさを覚えるが、内緒にしておこう。
パックもお風呂から上がって、みんなで飲み物をいただきながらくつろぐ。
「俺ら、ドーラに拾って貰わなければ、今夜も野宿だったかも」
パックが笑う。ロミオも苦笑しながら、助かりますと、またお礼を言っていた。
私も頭を下げて、心からお礼を伝えた。
「いいってことさね、これも縁ってやつだろ?」
豪快に笑うドーラにロミオが静かに問いかけた。
「いつも、あのように炊き出しをしているのだろうか?」
「ん?」
「俺らはすっごく助かったけど、たまたまやってただけ?」
「なにか、災害でも起こって非常事態で行っていた可能性があるのかと」
ロミオの真剣な表情にドーラは少し逡巡して、苦笑いを浮かべながら話し始めた。
「炊き出しは毎日、やってるよ。もう三年になるかな」
「三年間、ずっとされているんですか?」
「スポイル国に過去大きな災害が起こったというニュースは聞かないが」
「あぁ、復興支援とか、そういうんじゃないよ。この国はお腹を減らした人間が多いだけさ」
「スポイル国の貧困率が高いというデータはなかったと思うが」
ロミオが言うように、私も継嗣学で習った近隣諸国の状況で、スポイル国に貧困はなかったと記憶している。
私たちの困惑に気づいたドーラは、肩をすくめながら言った。
「他所様にはひた隠しにしているようだが、三食まともに食べられない奴もいるし、生活がキツキツで苦しんでいる国民は大勢いるんだ。本当に生きにくい国だよ」
「やっぱ、カツカツの方か〜」
こら、パック!と、ロミオがパックを諌めている間に、気になった言葉について聞いてみる。
「この国が『生きにくい』というのは、どういうことですか?」
ドーラはお茶を一口飲んでから、「説明するの、難しいんだけどね」と前置きしながら教えてくれた。
「そっちの二人は学が高いようだから聞くけど、この国の対外的評価って知ってる?」
「国際支援を多く行い、慈愛精神にあふれる豊かな国というイメージでした」
「そう、大正解。ただし、一昔前のスポイルの姿だね。今の姿は、そこのやんちゃ坊主がいうようにカツカツなんだ」
カツカツ......たぶん、国の財政が厳しいと言う意味かしら?
自信がなくてロミオを見ると、大きく頷いてくれる。私の考えていることはお見通しみたい。
「国は貧しくなっているのに、他所の国に支援を続けるのをやめられないんだ」
「意味わからねーよ」
パックが体ごと横に倒れながら、わからないを連発している。
ロミオは厳しい表情をしていた。
「経済的困窮者が多いことに対して、スポイル国の政治は何をしている?」
「何も」
「そんな......」
「毎日生きるのに精一杯だよ、この国は」
室内がシーンと静まり返る。遠くで微かに放送塔のナレーションが聞こえる。
「このナレーション......」
「滑稽だろ?『我らが誇り高き支援は、今日もまた、遠い国の希望となった』ってさ。覚える気もないのに覚えちまうよ。あんなに毎日聞かされてりゃね」
私たちがこの国に来て初めに聞いた放送の言葉。その下を足早に歩き去る人たちの表情は俯いていてよくわからなかったけど、活気がなかったように感じた。
ちょっと異様というか、なんとなく怖いというか。
「遠い国の希望なんかより、自国民の腹を満たして欲しいんだよ、こっちはさ」
「なぜ、国は国民を優先的に救済しないのだろうか」
「お上の考えることは、あたしらにはさっぱりわからないよ」
ドーラは諦めた表情をして、肩をすくめて言った。ご飯が碌に食べられない国民がいると言う現状を知って、正直ショックを受けている。
お腹が空くって、すごくつらいことだ。それは、この旅で心底思い知ったこと。
「炊き出しは、ドーラさんが始めたんですか?」
「そうだよ。夫が大きな事故に巻き込まれて死んじゃってさ。その賠償金があるから、できることをしたくて始めたんだ」
ドーラはそう言って、コップの縁を指でゆっくりなぞった。
「あたしにはさ、息子がいたんだ。うちはすごく貧乏でね。夫婦で頑張って働いていたんだけど半分は税金に持ってかれちまう。こどもに満足に食べさせてやれなかったからさ、あっという間だったよ。風邪を拗らせて死んじまった。夫もさ、気落ちして事故にあって、あたしは一人ぼっちになっちゃって」
ドーラは腕で目元を拭いながら顔を上げて、悲しそうに笑った。
「いや、これ聞かなくていい話だったね。忘れて」
忘れられない、と思った。でも、慰めの言葉をかけるのも少し違うと思った。
これまで食べ物に苦労をしたことがない、箱入り娘だった自覚が十分にある。
そんな私がドーラになんて声をかければいいのか、言葉が見つからなかった。
だから......言葉の代わりにそっとドーラを抱きしめた。
そうしたら、ドーラは大きな声で、泣いた。涙で顔がぐしゃぐしゃになるまで泣き続けた。
ロミオは黙ってそばにいてくれた。
「飯やれなくて子が死ぬのと、子が親の分まで食って親が死ぬのと、……どっちがマシなんだろうな」
「何か言ったか?パック」
ロミオが声をかけたけど、パックは首を横に振ったきり、窓の方を見ていた。
こんなパックは初めてで、どうしていいかわからなかった。




