第二十六話 脱出の後に続く、涙の別れ
「禊」という名目で神殿の地下室に囚われ、三日目が終わろうとしている。
午前零時を告げる鐘が遠くで聞こえた気がする。
明日の朝にはここを出され、自室ではなく総領主館に急遽あつらえた「若夫婦の部屋」に入ることになるという。
いや、新郎は若くないけど......
お父様に取り次いで欲しいと、何度も何度も神官様に願い出た。
でも、祈りや清めの時間以外に、この厚い扉が開くことはなかった。
「ロミオ、来てくれなかったな......」
マーサが偽恋人チャットに、救援を求めたと言っていたけど彼は来ない。
来るはずがないとわかっていたけど、気持ちがさらに落ち込む。
私たちに血のつながりがないことがわかったからといって、彼がすべてを捨てて迎えに来るはずがない。仮に迎えに来てくれたとして、二人で一体どこへ逃げるというのだろう。ロミオもそれがわかっているから来ないのだ。
フラフラと明り取りのための小窓に近づく。鉄格子がはまっている小さな窓からのぞく月が雲に隠れて、今日は見えない。
その時、暗闇からささやくような小さな声が聞こえた。
そんなはずがない。でも、私が彼の声を聞き間違えるはずがない。
「ジュリエット、迎えに来たよ」
ロミオの碧い瞳は優しく細められ、手短に言った。
「そこは地下だろう?マーサ殿に聞いた。今から儀式用の地下搬入口からそっちへ行くから、扉から少し離れていてほしい。いいね?」
「ロミオ......来てくれたのね...うれしい。待ってる」
ロミオの後ろにベンの姿も見えた。良かった......ここから出られる!
私は、急いで枕や部屋にあった置物を人の形に見えるように置いて、その上から毛布やシーツを被せる。監視のための夜中の巡回で、3時間ごとにドアスコープから覗かれているから、少しでも時間が稼げるといい。
扉を小さくたたく音が聞こえる。言われた通り扉から距離をとると、わずかな隙間が開いた。急いでその隙間から出ると、ロミオとベンが少し離れて立ち、神殿服を着た高齢の男性が扉のすぐ外にいた。ロミオたちが離れているのは、老神官がネヴァの刻印を持つため、アラームが鳴らないようにするためだろう。彼は扉をそっと閉め、鍵をかけた。
「君に荷物を届けるマーサ殿に、彼が協力を申し出てくれてね」
ロミオの説明に、老神官が頷く。
「私は巫女の国アマトワの出身で、お嬢様の母君であるナギ様のことも存じております。この度のネヴァ総領主の行いは、天で見ているナギ様もきっと悲しまれるでしょう。老い先短いこの身ですが、お嬢様のお力になれれば本望でございます」
「そうですか、お母様の......ありがとうございます。このご恩は決して忘れません」
「時間がない、ジュリエット行こう」
ベンを先頭に、ロミオに抱えられるように、門の外へ出る。
老神官が微笑みながら、
「お嬢様の行く先に、神の愛と光がありますように」
と言い、静かに裏門を閉めた。私たちは彼に頭を下げ、ロミオとすぐそこにある倉庫内に入る。ベンは車を回してきますといって、走っていった。
倉庫の中にはマーサと、見知らぬ青年たちが立っている。
「お嬢様!!!!!」
マーサが駆け寄ってきて抱きしめてくれる。私も抱きしめ返そうとしたけど、足に力が入らず、崩れ落ちそうになる。とっさにロミオが支えてくれた。
この三日間、食事がのどを通らず弱っていたところへ、マーサの顔を見て安心したからかもしれない。
「姫さん、間に合ってよかったなぁ」
「まだ油断は禁物だ」
私が少し警戒して彼らを見ていると、茶色い髪の青年がニカっと笑顔で言った。
「まずは自己紹介をしないとな。俺は地下育ちのパック、こいつはキュー。これからよろしくな」
「自己紹介なのに、何で俺のことまで言うんだよ。お姫さん、俺はキューだ。元ネヴァで刻印は焼いた。ロミオといてもアラームは鳴らないから安心してくれ」
「お前の自己紹介長くない?」
「知るか!」
「俺も何か足そぉっと。そうだ、俺は刻印を入れてないんだ。だから、誰ともアラームは鳴らねぇよ」
情報量が多い。その時ロミオが口を開いた。
「ジュリエット、私たちはこのままネヴァを出る。私もムストには戻らない。彼らと一緒に国を出ようと思う」
「国を出る......そんな、ロミオあなたは」
「ジュリエット、私はまだ未熟で、この手に抱えられるものは多くない。絶対に手放したくないものは何かと自問したら、ジュリエット、君とともに新しい国を創っていきたいという願いが一番だった」
「新しい国、私もロミオと一緒に作っていきたいと考えました。でもお父様が......」
「ムストは腐敗している、以前のルール国のように。ネヴァもあまり変わらないと考えている。私は今の両国が民を幸せにする国だと思えない。一旦は国を離れるが、私たち二人ともが力をつけてから国に戻り、より良い国造りをしていけないだろうか?」
ロミオが同じことを考えてくれていたのがうれしい。
国を出るというのはとても驚いたけど、それしかないのかもしれない。
お父様は決してロミオと一緒にいることを許さない。
ぶたれた頬が、閉じ込められた地下の部屋が、何よりあの男との結婚の強制が、それを物語っている。
「お嬢様、私も刻印を焼きました」
「マーサ!」
刻印を焼くという重みを今の私は知っている。
「ベンも焼いた。そうでないと、国境を出る前にアラームが鳴る。私たちも焼こう」
ロミオが覚悟を決めた顔をしている。刻印を焼けば、もう元には戻れない。
私も覚悟を決める。
パックがロレンスから預かったという、刻印を焼くための装置を私たちにあてて焼いてくれた。一瞬痛みが走ったけど、それ以外は特に影響がないみたい。
ベンが運転する車に乗り込み、私たちは地下を目指す。刻印解除の装置の返却と当座の荷物を地下の人たちがまとめてくれる手はずになっている。
ギューギューの車内でキューが言う。
「俺の記憶では、この形の車は五人乗りだよね。人数超過だ」
「かたいこと言うなよ、キュー」
「かたいじゃなくて、狭苦しい、だっ」
「後部座席に四人は狭いですわ」
「すまない、あと三十分もすれば旧運河地区に入る。車はそこで乗り捨てるから、もう少し辛抱してくれないか」
「三十分も......」
パックとキューの声が揃う。マーサの配慮で窓際に座り、ギュウギュウに押されているけど、さっきまでの絶望感に比べたら圧迫感の方が全然マシだ。先行きに不安がないとは言えないけれど、ロミオやベンがいて、マーサがいて、頼もしい?仲間も増えたようだ。
思わずフフフと声も漏れる。
「やべぇ、姫さんが壊れた」
「パック痩せろよ!今すぐに」
「無理だってぇ」
深夜の車内は、やや期待と興奮に満ちていた。
これから起こることも知らずに。
+++
旧運河のゴンドラ乗り場まで、影から影へ渡り歩くようにして駆けた。
パックが先導し、要所要所で立ち止まっては指を使った信号を送り、キューが読み取る。パックが指を二本立てて横に振った。
「殿下、右! 巡回が来る!」
キューの声に、そこにいる全員が物陰へ滑り込む。息を潜めていると、規則正しい足音が通り過ぎていった。数を数えているのか、キューの唇が小さく動いている。
「――よし、行こう」
素早く次の物陰まで移動する。ジュリエットは監禁生活が堪えているのか、動きが鈍い。脇に抱えるようにして移動する。マーサは頑張って付いてくる。
なんとか地下の入口にたどり着き、最後に降りるベンが底板の扉を閉めようとした時、ベンの持つ通信機が震えた。
「殿下、先に降りていてください」
「わかった」
ベンが厳しい表情をしながら、何かを通信機に打ち込んでいる。気になったがジュリエットを安全に地下へ連れて行かなければならない。ベンをその場に残し、階段をくだった。
待ち構えていたロレンスはジュリエットの顔を見るなり言った。
「お嬢さん、顔に青あざできてるじゃねぇか。誰にやられた?」
「......父です」
「くだらん親もいたもんだ」
吐き捨てるように言って、ロレンスはジュリエットの頭をなでた途端、彼女が泣き始める。私も顔のあざや頬の腫れが気になっていた。たとえジュリエットの父親だろうと、許しがたい。どんなに痛かっただろうか。
横でマーサ殿がヘナヘナと座り込んだ。
二人とも、三日分の緊張がようやく解けたのだろう。
「お嬢様、よかった......本当に、よかった......」
「マーサのおかげで逃げられた。ずっと支えてくれてありがとう」
二人は抱き合って泣き続けた。今回、私たちにジュリエットの危機を伝え、間接的にだが神官を味方にできたのはマーサ殿のおかげだ。彼女は素晴らしい侍女を持ったと安堵していると、ベンが階段を駆け下りてきた。
「殿下、検閲が来る!!」
全員に緊張が走る。ロレンスとパックたちが素早く布の後ろへ走り去った。
「説明してくれ」
「ロザラインの侍女が、密告しました。申し訳ありません、殿下。ロザに聞かれて、地下への入り口を話してしまった俺の責任です。でも、誓ってロザが故意に地下をバラしたわけではありません」
「ベン、今は責任とかどうでもいい。ロザライン嬢が教えてくれたおかげで対応できる。今はすぐにここを脱出するほうが先だ」
「はい、すぐに発ちましょう。国境さえ超えれば!」
ロレンスの大きな声が地下空間に響き渡る。
「全員、至急退避! プラン3だ!!ガキと年寄りから通路Cへ回せ、灯りは落とすな。最低限のものだけ持って走れ、転ぶんじゃねぇぞ!」
奥からこどもたちの泣き声、大人たちが怒鳴るような指示、荷物を引きずる音。数十人が一斉に同じ方向へ動き出す。
「キュー、ガキども集めろ、俺は動けない年寄り運ぶ!」
「言われなくても!」
パックとキューが、それぞれ違う方向へ駆けていく。ついさっきまでの軽口が嘘のような、迷いのない動きで、混乱する地下で仲間を助けようとしている。
「ベン、検閲の目的は私たちだ。地下を巻き込んだ形になり、謝っても謝りきれない。だが、謝罪は今じゃない。せめて私たちの方へ引きつけ、彼らを逃がそう」
「そうですね、地下の人たちが向かうのと逆方向に、大きく陽動して撹乱しましょう。俺がやります。殿下は姫君たちと先に逃げてください」
「でも、それではお前のリスクが大きすぎる」
「殿下、姫君もマーサ殿も、もう限界です。二人を逃がすのを優先させるべきです」
「ベン......死ぬなよ」
「死ねませんよ。俺は生きて可愛い嫁さんもらう予定なんですから」
私とベンはかたくハグをし、別れた。
パックとキューにも伝えなければ。こうなった以上、あの二人は地下の人たちと避難するほうがいいだろう。大人数を安全に逃がすには、一人でも多く戦力が欲しいはずだ。
+++
避難の流れに巻き込まれながら、私はふと、マーサの姿を見失っていることに気づいた。ロミオたちの姿も見えない。
視線を巡らせると、マーサは少し離れた場所で、当惑したように立ち尽くしていた。その先には、女性や小さな子を抱いている母親たちに指示を出しながら誘導する青年の後ろ姿がある。
「......イ、リア......?」
震える声が聞こえたようで、男が後ろを振り返る。
「マーサ......? 嘘だろ。なぜこんなところに?」
時間が止まったように、二人は見つめ合っていた。だが、ロレンスの怒鳴り声が二人の間に割り込む。
「ホルトっ、ぼさっと突っ立ってんな!!女こどもを早く逃がせ!」
その言葉に反応するように男性が再び避難誘導へ、マーサが私の隣へとそれぞれ戻る。
「マーサ、あの人は?」
「イリア・ホルト。ルール国時代に通っていた私塾で一緒だった、オーレン先生の.......彼はムストのはずで...」
「オーレン先生、ロミオの教育係で公開審判にかけられた......」
マーサはずっと彼の姿を目で追っている。そのせいでわかってしまった。
マーサが本当の恋をしようとしない理由、どんなにいい縁談がきても断ってしまう理由。私のこと以外でマーサがこんなに注意を向ける理由なんて、一つしかない。
「彼のことが好きなのね?」
自分でも驚くくらい、はっきりした声が出た。
「お嬢様、何を言って...彼と私はなんでもなくて」
「でも、好きなんでしょう?」
マーサは俯いてしまった。そして、小さな蚊の鳴くような声で、
「ただの...初恋です。向こうは何とも思っていない、私だけの小さな想いです」
「自分の気持ちを小さいなんて言わないで。マーサ、あなたは彼と行きなさい」
「そんな、お嬢様!」
マーサが悲鳴のような声を上げる。
「ダメです、私はお嬢様と行きます。私がいなければ誰がお嬢様のお世話をするのですかっ」
マーサの目に涙が溢れる。長年ずっと仕えてくれていたマーサ。
姉のように、親友のようにそばにいてくれた。
「ねぇ、マーサ。私たちは恋愛小説の中でしか、恋をしたことがなかったわ。彼は腹黒ヤンデレ派には見えないけど、眼鏡イケメンだわ。あなたの好みそのものね。そばにいないとすぐに他の女性に持っていかれちゃうわよ?」
「でも、でも......」
「これが永遠の別れになるわけじゃないわ、きっとまた会える。私たちが知っている小説のヒロインは、恋にまっすぐ突っ走るものよ!それが乙女道というものだわ」
「......お嬢様、なんかいい話風なのに、ダサいです」
「ダサいとは何よ、ダサいとは。ふふ...ねぇ、マーサ」
私はマーサを抱きしめる。私たちは二人とも号泣しながら話している。
「幸せになって」
「おじょ、おじょう......さま」
「大好きよ、私のマーサ」
「うぅ...ぅぅ、お嬢様、一つだけ」
「なぁに?」
「イリアは、‘‘知的眼鏡イケメン‘‘です」
「なんの訂正なのよ......」
ためらいを振り切るように、マーサは逃げていく地下の人たちと合流した。マーサの想い人にはしっかりとマーサを守ってもらわないと。
マーサが途中で一度だけ振り返り、深く頭を下げる。それから、ホルトの隣に並んで歩き出した。
その姿が見えなくなるまで、私は目をそらさなかった。
+++
「デンカ、姫さん!」
パックとキューが戻ってきた。二人とも汗だくで、いつもの余裕がない。
当たり前だが。
「パック、キュー、私たちは陽動作戦を展開し、一人でも多くの地下の人々を逃がす」
「何言ってんだよぉ。そもそもデンカ達を逃がすって話だったじゃん」
「私たちのせいで、地下の場所が知られた。心から謝罪する。皆と行ってくれ」
「あのっ、私の侍女のマーサは皆さんと一緒に連れて行ってください!ホルトさんと昔馴染みみたいで」
ジュリエットが二人に願い出る。心の支えのマーサ殿と別れて本当に良いのか確認したが、ジュリエットが強い目をして頷いたから、私からは何も言わない。
「姫さん、侍女さんのことはOK、でも俺たちは二人と一緒に行くよ」
「だな。ベンはどこに?」
「ベンはすでに陽動を始めている、というか、話を聞いていたか?二人とも」
「俺らはデンカたちの愛の逃避行に便乗して、世界一周するって言っただろぉ」
「世界一周とは言ってないな」
「言ってないな」
思わずキューと声が揃ってしまった。
「本当の話、夢を諦めてたキューに、広い世界を見せてやりたいんだよ、俺は」
パックがニカっと笑顔で言う。
キューが、誰目線だよ?とつぶやきながら、私たちに言った。
「パックがこう言い出したら聞かないんで。俺らも一緒に行くよ、殿下」
「本当にいいのか?二人の力を必要としている人たちがいるだろう?」
「だ~いじょうぶ、大丈夫。ホルトもいるし、姫さんの侍女さんはデキる人と見た」
「新たな戦力は強力そうだよね」
「だなっ」
......この二人と話していると、緊迫感や不安が薄れていくから不思議だ。
これ以上固辞するのは逆に失礼にあたる。ありがたく好意を受け取ろう。
「ベンが後から追いつく。今すぐ出よう!」
全員で出発しようとした時、轟音が響き渡った。




