第二十二話 爪を研ぐと決めた翌朝、空になった心
ロミオ、激震回。ジュリは不在です。
【ロミオside】
分国暦十三年 稜月・一日
予定通り、私とロザライン嬢との婚姻の日取りが発表された。新年も重なり、かなりお祝いムードが漂い、公務先で毎回祝いの言葉を受けた。同伴する公務では、ロザライン嬢もにこやかに対応している。
随行する侍女の視線が睨むようで不快だったが、ロザライン嬢へ問いたださなかった。心を許している侍女と聞く。何か問題があるのなら、そのうち彼女の方から申し出ることだろう。
____
議会が始まり、本格的に行政改革に着手しようと準備してきた素案を提出した。しかし、この国をより良くしたいと、透明性が担保され民へ豊かさを還元させるような政策は、ことごとく潰された。
多数派がものをいう議会の構造はルール国時代の腐敗と堕落の一因であったが、ムストでも撤廃できずに今も続いている。圧倒的数の有利が政策を決めるのだ。
また、歯止めをかけたい議題、例えば今日の検閲局の予算増額案などは、議論らしい議論もなく通過していく。
「殿下、ご立派な理想ですが、国政は綺麗事では動きませぬ。泥をすすり、裏をかき、清濁併せ呑んで動くのが政治です。泥仕事は我ら老いぼれが引き受けます。本日の発議は、なかったことにいたしましょう」
与党の重鎮のその一言が、耳の奥にこびりついている。
継嗣という立場でありながら、私は本当に何一つ変えられない。自分の力のなさを痛感する。 だが、このまま黙っているわけにはいかない。何か対策を立てなければ。
忌憚なき意見交換を期待して、私は地下へ降りた。
____
下ではロレンスが待ちかまえていた。
早いな......侵入者を素早く検知するシステムでも独自に組んでいるんだろうか。
「殿下、地下は観光名所みたいに、気軽に来れる穴場とかじゃねぇんですわ」
「すまない。君たちのリスクが上がるのは承知の上で、相談があったのだ。だめだろうか」
「素直すぎて、毒気が抜かれるわ......」
ロレンスはそう言うと、近くの大きな布で仕切られた場所へ入っていく。ベンと一緒に後をついていく。ロレンスは床の敷物の上に、楕円のクッションのようなものを二つ投げてきた。これに座れと言うことだろう。
「で?」
「いきなり本題だな」
「継嗣サマとお天気の話から始める気はねぇよ。天気、わからんしな」
相変わらず、口が悪い。では、早速本題に入らせてもらおう。
「実は、議会のことなんだ。今日、検閲局の予算増額案が通った。理由は『不正監視体制の強化』だから、地下にも伝えておく必要があるだろう。もう一つは、どうしたら与党の勢力を抑え、国民のための政治ができるか、相談したかった」
ロレンスは何も言わず、深く考え込んでいるようだった。
返事がないまま、前から思っていたことを聞いてみる。
「……貴殿は以前、ルール国時代に検閲局にいたのではないだろうか?」
彼は珍しく苦笑いを見せた。
「勘がよろしいことで。ええ、昔の話です。俺がいた頃の腐敗っぷりは酷すぎた。だが、今の検閲局のトップら辺も、当時甘い蜜を吸っていた奴らだから、推して知るべしだな。あそこの予算がどこへ流れるかも知っている」
「金の流れを押さえたい。教えてくれるだろうか」
「検閲の幹部と与党の古狸たちはツーツーの間柄なんだよ。周知の事実だ」
そう言ってから、ロレンスはロミオ達の近くに近寄り、声を落とした。
「……継嗣サマ、一つだけ忠告を。与党を敵に回すというのは、思ったより重い意味を持つことになる。政敵に冤罪をふっかけて検閲に狩らせるだけじゃなく、自分たちの横領や犯罪を見逃すかわりにカネを渡して便宜をはかるという、癒着そのものだ。検閲の力が強くなりすぎて、大体のやつは、すぐに消される」
「つまり、与党を糾弾することは、検閲を敵に回す、逆もまた然りか」
吐き気がした。ムストの政治的腐敗は、想像より酷そうだ。だが、疑問が残る。
「父上、いやムストの総領主は、ルール国の腐敗を正そうとして国を分け、統治を始めたはずだ。どうしてその癒着システムが現在も続き、不正を見逃し続けているのだろうか」
正直、薄々感づいている事実に辿り着きたくない。目を逸らしてきた真実を知るのが怖い。だが、私服を肥やし、人を狩るためのシステムに、金と権力が積まれている。国民に向いた政治は潰される。
それを現状許しているのは......
「総領主もグルだぜ」
それしかないだろう。私の信じてきた父の政治とは、利権と癒着によって成り立つ、酷く歪んだまやかしだった。
父上は初心を忘れ、変わってしまったのだろうか。それとも、最初から全て自分の思うがままにしたかっただけなのか。極秘ファイルで見た記録が頭をかすめる。クーデターのような、ルール国の政権乗っ取りと国分け。
「それしかない...だろうな。だが、今の私には力が足りない......」
ロレンスは静かに私を見て、少し逡巡してから言った。
「堪えて、準備をして今は力を蓄えろ。今のままじゃ、ひっくり返せねぇ。ただ、世界は広い。継嗣サマはまだまだ学ぶことがたくさんあると思うぜ」
その言葉が、胸の奥に小さな火種を落とした。確かに、私はまだまだ未熟で、圧倒的に知識も経験も足りない。政局を動かしたいのなら、足元をしっかり固めて、爪を研いでおく方がいい。
一瞬の好機を逃さないために。
「ロレンス殿、とても参考になった。礼を言う」
「だから、殿はやめろっていってんだろぉ」
地下に来るたびに、今のムスト、いやネヴァも同じだと思うが、国の成り立ちの前提——政治のおかしさや腐敗を正すどころか、ルール国と同じ利権と腐敗の塊だと言うことが明らかになって、崩れていく。
私は本当に何も見えていなかったのだ。
薄暗い通路を進み、地上に戻るための階段がある場所へついた時、陽気な声で話しかけられた。
「ホルトには会っていかないのかい?」
先日聞いた声。視線を向けると、仮装祭ですれ違った集団の中で見た顔だった。
声の主は、柔らかく癖のある茶色の髪、人懐こそうな笑み。その隣で腕を組んでいるのは、同じ年頃だろうか、黒髪に長い前髪を垂らした、無愛想な顔の青年だ。
「君は、仮装祭ですれ違った時にホルトのことを教えてくれたな?」
「あぁ、そうだよ。気になってるかと思って」
「ホルトの様子を教えてくれてありがとう、今日はこっそり抜け出してきて時間がないんだ。よろしく伝えておいてくれないか」
「わかった、俺はパック。隣の無愛想はキューだ」
「誰が無愛想だよ」
二人が楽しそうに言い争いをしている。ホルトよりは年下だろうが、こういう人たちがそばにいてくれれば安心だ。
彼らに別れを告げ、今度こそ地上に戻る。
専用の抜け道を使い、自分の執務室に戻ってベンと軽く打ち合わせをする。
「ベン、与党と検閲の癒着の証拠を探れるか?」
「かなり危険な任務になりますよ。できそうな奴に心当たりはありますが」
「謝礼ははずむ。危険が伴うので、その辺の見極めがうまいやつを頼む」
「殿下、やるんですね」
「あぁ、知った以上、見て見ぬ振りはできない」
「言うと思いました」
ベンは笑って、執務室を出ていった。
ひとり残り、思う。
「暗号を使っても、危険すぎる」
今日の情報は、ジュリエットにはまだ伝えない。
彼女を危険に晒すことはできない。
まず、ムストからだ。
+++
地下から戻った翌朝、父上の執務室に呼び出された。
理由も告げられぬまま向かうと、机の端末画面には、検閲局の紋章の入った報告書が表示されていた。通報源は匿名。
仮装祭の夜、両国の継嗣が逢引きしているのを見た。二人は恋愛関係にあるのではないか——そのような通報内容だった。
仮装祭は無礼講の日だ。接近禁止は解かれる。だから、その夜の接触自体が違法だったわけではない。問題視されているのは、もっと別のこと、私とジュリエット二人の関係だ。
検閲局が調査を尽くした結果、私信の痕跡は見つからなかったという。デジタル化されたこの国に、手紙のやりとりなど残るはずがない。ベンとマーサ名でのチャットは探られていないようで、そこは安心した。
決定的な証拠が見つからず疑義の段階でも、報告は総領主まで上がってきていた。よりによって継嗣同士、しかも私は婚約者がいて、二人はいとこ同士。スキャンダルに間違いなかった。
「これは、事実か」
父上の声は、底冷えするほど低かった。静かな怒気をはらむ声。
「……仮装祭で会っていたことは事実です。ですが、恋愛関係ではありません。私が一方的に惹かれていただけです。あの日、終わらせました」
証拠など見つからないだろう。でも誤魔化してしまうと、二人の想いまで打ち消すようで、どうしてもできなかった。
重く、息を吐く音だけが部屋に響いた。父上はしばらく黙ったまま、通報内容がうつる画面を見つめていた。やがて、ゆっくりと私と視線を合わせる。
「……ネヴァの継嗣、か」
報告書の紋章を指先でなぞりながら、父は低く繰り返した。
「本物の血を引く、あの娘とか......」
本物の血?父上は何を言っている?
すると、突然父上が立ち上がった。沸点の手前、というべき何かが、父から溢れ出しそうな様子で、思わず身が竦んだ。
「よりによって、あの娘が!!兄の——本物の血筋に、惹かれたのか!!!!」
「父上、それはどういう——」
「黙れ!!」
父が端末を勢いよく払いのけた。置き型通信機が壁にぶつかって大きな音を立てて壊れる。
「お前に、何がわかる。私の苦しみの何が——」
言葉が途切れた。父は憤怒の形相で荒い呼吸をしていたが、少し冷静さを取り戻して言った。
「……話は、また改めてする。今はお前の顔も見たくない、去れ」
明確な拒絶。私は父の言ってることが何一つわからなかった。
立ち上がり、扉に手をかけたところで再び声がかかった。
「待て」
振り返ると、父は窓辺に立ったまま、こちらを見ていなかった。背中にはまだ怒りが滲んでいる。
「一つ、言っておく。お前は——」
本能が警告を鳴らす。この続きを聞いてはいけない。
だが、無情にもこの耳は言葉を正確に拾う。
「お前は、私の子ではない」
言葉が、体を貫いた。
「養子だ。妻の親戚筋から、生後間もない赤子を引き取った。それが、お前だ」
父の声は、怒りに任せて吐き捨てられていた。説明ではない。
殴りつけるように、事実だけが放り出された。
「血も繋がっていない。俺の色も、俺の血も、一滴も受け継いでいない。それなのに——」
父は言いかけて、黙り込んだ。
「今すぐこの部屋から出ていけ」
動けなかった。
父上はもう、こちらを見ていない。窓の外を見つめた背中は、今度は拒絶を示していた。
その後のことは覚えていない。いつの間にか、自分の執務室に帰ってきていた。
父上の大きな怒鳴り声は部屋の外まで響いていただろう。廊下で控えていたベンにも聞こえたはずだ。ベンの悲痛な表情がそれを物語っている。
「ベン、すまないが一人にしてくれ」
「何か、飲みませんか?」
「今はいい、すまない」
ベンは静かに出ていった。
養子。その二文字が、頭の中で反響した。
——ああ、そうか。
奇妙なほど、静かに、腑に落ちていく。
父上の目が、いつも私を見ていなかった理由。 褒めてくれなかった理由。 心配もされなかった理由。
「自分が何事にも足りないから」——そう解釈してきた。だから完璧を目指した。
継嗣の座に恥じないように、誠心誠意努めてきた。父上に認めてもらえるように。
だが、そんな日が来るはずはなかった。
足りなかったのではない。最初から、ここに居場所などなかったのだ。
義務の国の継嗣。総領主の息子。ムストを継ぐ者。
肩に載せられていた名前の一つ一つが、今、音を立てて外れていく。
借り物の肩に、借り物の名札。それ以外、何もなかった。
本当に自分の居場所は、どこにもなかったのだ。
胸が、空っぽになった。
怒りも、悲しみも、湧いてこない。ただ、何もない。
父がなぜ、あんな怒り方をしたのか。兄の血筋の話。本物の血。
今は考えることができない。
わからないことすら、どうでもよかった。
不憫属性のロミオです......




