第二十一話 未来を向いた決断は、恋を置いていく
仮装祭の、終わり(複数視点です) 次話、ストーリーが大きく動きます。
【侍女エルザside】
「離れましょう、エルザ」
お嬢様はそういうけど、怒りが収まらない。
お嬢さまという婚約者がいながら、継嗣殿下はどういうおつもりなのか!
「エルザ......」
「......お嬢様が、どれほど」
「言わなくていいわ」
「どれほどの思いで」
「エルザ!」
お嬢さまが悲痛な面持ちで私を咎める。
感情を必死で抑えている姿がおいたわしい。
怒りに支配されてる場合ではない。
一刻も早くこの場を離れ、お慰めしなければ。
「かしこまりました。お嬢様、参りましょう」
お嬢様を支えながら、大公堂のレストルームに向かう。
あそこなら人目にあまりつかずに、お嬢様を休ませられるわ。
レストルームには、衣装を整えたりお化粧直しをするためのちょっとしたスペースがある。そこで少しお休みいただこう。
足早に向かう途中で、よく知った声が後ろからかかる。
お嬢様の体が驚きに震えた。ベン様の声が聞こえているのに、後ろを振り向かないでいると、
「休憩室があるんだ。継嗣の特権で押さえてある」
と言って、廊下を別の方向へ歩き出した。
「お嬢様、レストルームでは心が休まりませんわ。人目がないわけではありませんし。ベン様の厚意に甘えましょう?」
そう言うとお嬢様は小さく頷かれ、一緒に休憩室へ向かってくれた。
ベン様が扉を開けてくれた。うつ向いたままソファに座るお嬢様を見届けてから、私は飲み物を取りに行く。
何か飲み物を飲んで気持ちを落ち着けていただきたいし、ベン様と二人にして差し上げたほうがいいだろう。お嬢様を誰よりも大切にし、守ってくれるベン様になら、お嬢様を任せられる。
ボールルームは、舞踏会を楽しむ人たちの熱気で暑いくらいだった。必然的に冷たい飲み物ばかりが用意されていて、温かい飲み物はなかった。
心がホッとするような、温かい飲み物がいい。給仕係に尋ねると、少し時間はかかるが用意できるとのことなので、そのまましばらく待つことにした。
お嬢様が素直に甘えられるのはベン様の前だけ。ちょうどいいと思いながら、ホールで踊る人たちを眺める。
流れる音楽に合わせて、楽しそうにダンスに興じる人々。上手な人もいれば、初めて踊りますという危なっかしいステップを踏む人もいる。仮面をつけた人、豪奢なドレスを着て優雅にふるまう人。若い人たちが多いが、高齢の方もいる。老若男女が楽しむ、無礼講のお祭り。
お嬢様は必死に隠していたけれど、今日このホールでベン様と踊ることを楽しみにしていた。
継嗣殿下の護衛という立場から、常に殿下と一緒にいらっしゃるベン様と殿下の前で踊るのは難しいだろうと思っていたけど、黙っていた。
願うくらい自由だ。
こっそりと、様々なパターンを想定して計画するお嬢様は微笑ましかった。殿下と踊って、モテるのに女っ気がないベン様とも踊ってあげます的な流れなら、可能かもしれない。
私はこのホールで生涯ただ一度だけ、好きな人と幸せそうに踊るお嬢様が見たかった。
そんなことを考えていると、給仕に声をかけられた。用意してもらった紅茶と軽食のセットをワゴンのまま静かに運び、先ほどの休憩室に戻る。
詳しい内容はわからなかったけど、元気そうにベン様を叱るお嬢様の声が聞こえてきた。以前よく見た、いつものやりとり。
良かった......、ベン様がちゃんとお嬢様をケアしてくれたのだと安心する。
本当は冷めないうちにお茶をお持ちするべきだけど、もう少しこの時間を続けてほしいと思ってしまった。
お嬢様がもう大丈夫だとわかると、全身の力が抜けてくる。
今まで生きてきて、これほど激しい怒りを覚えたのは初めてだ。
継嗣殿下が明らかに想いを寄せているとわかるあの女性。
距離が遠く、しかも仮面をつけていたので顔はよくわからなかったけど、瞳の色は分かった。
お嬢様と同じ紫。
両国で紫の瞳を持つものはそう多くない。髪の色はきれいな銀髪だったけど、おそらくウィッグだろう。婚約者のいる男性と外で会うのに、素のままのはずがない。
だとすると......
公務でしか女性にかかわりのない、あの殿下と接点がある紫の瞳を持つ女性など、おのずと絞られる。
ネヴァの継嗣。間違いない。
殿下はこれまでお嬢様には向けたことのないお顔をしていた。この先も殿下の心はあの女性にとらわれ、お嬢様は形だけの妻として、公務という仕事だけを求められる生活を強いられるかもしれない。
そんなの、許せるものか。
殿下には早々にあの女性への気持ちを捨て去ってもらわなければならない。
お嬢様が恋を捨てるのに、ご自分だけ恋を持ち続けるなんてあり得ない。
夫婦になる以上、誠意と敬意と愛を育てていく覚悟を持って、お嬢様を大切にしてもらわなければ困る。
その時は、私の行為が大きな運命の歯車を回すことになると全く思わず、ただネヴァの継嗣を排除することしか考えられなかった。
【ジュリエットside】
マントの中は、暗くて、あたたかくて、彼の匂いがした。
自分の心臓の音なのか、彼のなのか、もうわからない。
ドッドッドッと、二つ分の音が布の内側でぶつかっている。
「私だって、好きだ」
さっきのロミオの声が、まだ耳の奥に残っている。
あんな声、初めて聞いた。
甘くて、少し切なく震える声。
うれしくて涙がでるなんて、知らなかった。
レースの仮面に涙がしみて、少し気持ち悪い。今なら仮面を外してもいいかしら?
ゴソゴソと動いていると、そっとマントの隙間ができて、上からのぞかれた。
フッと優しい声が降ってくる。
「私の月の女神様は、仮面を外したらこの中から出られませんよ?」
そんなことを言ってくる。このままあなたに抱きしめられていたいから、ずっと仮面をつけたくないっていったら、どういう反応をするか見てみたい。
言わないけど。
ロミオの顔を見上げ、瞳をのぞき込む。
碧いその瞳に見つめられ、ドキドキするのに心地がいい。
────どうしよう、うれしい。うれしくて、怖い。
彼が次に何を言うのかがわかるから怖い。
「女神様」
「はい」
「明日、私の婚姻の日取りが発表されます。澄月の私の誕生日に式を挙げます」
あと半年……思っていたよりもかなり、早い。
もうダメ、聞きたくない。死にそう......天国から地獄への落差が激しすぎる。
何も言えずにいると、ロミオが続けた。
「私は、義務の国の継嗣として実現したいことがあります。地下で聞いた話を覚えていますか?」
「はい、覚えています」
「先日、極秘ファイルを閲覧するために力を貸してくれた担当官を地下へ逃がしました。彼はオーレン先生という、私の教育係をしていた方の元教え子でした」
「教育係の方のことをニュースで見ました。教え子の方が協力してくれたのですね」
良かった、暗号の読み取りは正解だったんだわ。オーレン先生が繋いでくれた縁なのかもしれないわね。ロミオが続ける。
「おかげで極秘ファイルにアクセスできました。その中で、私たちが近寄っても音が鳴らない原因と考えられる記述がありました。国分けの儀の時、私たち二人が手にしていた『紋』という小道具の不具合でエラーが起きていた」
「紋......ですか?ごめんなさい、全然覚えていなくて」
「まだ四歳でしたからね。私の記憶もおぼろげです。私は、この不具合で私たちの刻印の検知システムが作動しなくなったと考えています」
「私たちは、たまたまそのシステムが発動しなかったということですね」
「それが......先ほどのオーレン先生が意図的に関与していたのではと、疑われていたようです。嫌疑不十分で検挙されなかったものの、監視リストに上がってしまいました」
「そんな......」
ずっとなっていた唸るようなうなじの音が、ロミオと近づいた時にだけ消える理由に、オーレン先生という教育係が関係しているなんて、思っても見なかった。
「先生はなぜ、私たちの発動条件?を意図的に妨害したのでしょう?」
「わかりません。ただ、このことがきっかけで色々調べるうちに、人を狩るようなシステムの在り方に強く疑問を持つようになったのは確かです」
「それは、私もですっ」
思わず彼の服のすそをつかんで、声が大きくなった。
ロミオは口の前に人差し指を当てて、声を落とすようにジェスチャーした。
そうよね、内容が内容ですものね。
「私たち継嗣が、このおかしさに気づいて協力し合えるようにと、先生は考えたのかもしれません。ヒントを残したというか」
「刻印が鳴らない理由を調べると、極秘ファイルなどの国家機密に触れて、私たちが何かしら気づくのではないかということですね」
「はい、今となっては先生に聞くこともできませんが」
オーレン先生は公開審判にかけられて、刑に処されたと聞いている。
色々とお話を聞いてみたかった。私がそんな感傷に浸っていると、ロミオが力強い声で私を見て言った。
「私はこの国を変えていきたい。そもそもムストとネヴァが敵対していることもおかしい」
「私も、ネヴァを変えていかなければならないと強く思います。そして、お父様たちとは違う方法で、国を良くしていけると思っています」
そして、優しく笑ってから一度大きく息を吸って、覚悟を決めた目で言った。
「だから、別々の道を行きましょう。同じ未来へ向けて」
わかってる、私も同じ結論にたどり着いた。
私とロミオだからこそ、変えられるかもしれない国の将来。
「はい」
「女神様、気持ちを伝えながら、そばにいられない私をお許しください」
「それは......私...もです」
涙が堪えられない......
ロミオは苦しげな表情になり、ギュッと目をつむったかと思うと、声を震わせながら残酷なことを言った。
「わ......わた......しはっ、今日で貴女を思う心を殺します。忘れることなんてできないから、殺します。夜空の騎士は今日死にます。明日からは、ムストの継嗣として最善を選択し、貴女じゃない女性へ心を寄せていきます。どうか……どうか、不実な私をお許しください」
それが義務の継嗣として、ロミオが出した答え。
彼が成していく義務。
私がさっきまで地獄だと思っていた場所より、さらに下があるみたい。
どこまで落ちれば奈落の底につくのかしらね。
私だって、今日が最後だって思っていたのに。覚悟を決めていたはずなのに。
私たちが背負うものは大きすぎる。
それぞれの国のルールが少しずつ変わっていって、両国が友好関係になれたとしても、二人が結ばれることは決してない。
「いとこ」として生まれ落ちた時点で、この恋は最初から終わっていた。
「夜空の騎士様、ネモフィラの花言葉、覚えてる?」
「あぁ、私が送った暗号を解読できたという内容を伝えてくれた時の花だろう?」
「そう、『成功』っていう意味で使ったの」
ロミオが少し表情を和らげて言った。
「私がサイトで検索したとき、一番最初に載っていた『可憐』という言葉しか目にはいらなくて、貴女は可憐だからぴったりだと言ったら、ベンに『成功』でしょうって、突っ込まれたよ」
最後の最後で、なんてことを言うのだろう、この人は。
こんなたわいない一言で、浅ましい私は奈落の底から浮上してしまう。
でも、私も自分で終わりを告げないといけない。
月の女神さまは人間の騎士と結ばれることはないのだから。
あの時忍ばせた本音を月の下にさらして、貴方の手が届かないところへ帰るわ。
「ネモフィラには、まだ花言葉があるの。結ばれなかった恋人たちの悲恋の伝承に由来した。」
「悲恋の伝承?」
貴方が許してほしいと希うのなら、私があげられる言葉は一つ。
「あなたを許します」
私たちはもう一度見つめあい、そしてゆっくりと離れた。
もうあの距離には行けない。
「侍女殿、ここへ」
ロミオが少し大きな声で呼びかけ、マーサが近づいてきた。
「継嗣殿下、参りました」
「彼女を頼む。私は送ることができない」
「かしこまりました」
マーサがオレンジのシフォンの花飾りがついたバッグから、没になったはずのベールを取り出して私の顔を隠してくれる。レースの仮面は涙で湿ったままだから、シゴデキの侍女に感謝する。
私はロミオに背を向けて歩き出した。どんなに振り返りたくても、しない。
そう決めたのに、私の体は意志の弱さを示すように、庭園の出入り口の所で後ろを向いてしまう。
彼はまだ同じ場所に立って、こちらを見ていた。
ベールをかぶっていてよかった。泣き顔なんて見せられない。
「ジュリエット様」
マーサの目も真っ赤だ。そっとハンカチを差し出してくれる。
「マーサ、二人でベールかぶる?」
「歩けません」
「一理あるわ」
駐車場に待機させていた車に乗り込む。
「栞をね、渡せたの」
「はい」
「彼は許してほしいといったわ。不実な自分を」
「はい」
「だからね、ネモフィラの花言葉を教えてあげたの。あなたを許しますって」
「はい......」
「本当は許す許さないなんて、ないんだけど。でも彼の心が苦しくなったり、罪悪感でつらくなった時、栞のネモフィラを見れば『許されている』って思えたらいいなって」
「はい......」
私の全てをかけた仮装祭が終わった。
【ロミオside】
彼女の背中が花の向こうへ消えても、私はしばらく動けなかった。
懐に手を入れる。紫のリボンを通した青いネモフィラの栞。指の腹に、樹脂のつるりとした感触が伝わってくる。
「ベンは遅いな......」
一部始終を見られていなかったことはよかったが、護衛対象をここまで放置するのはいかがなものかと思う。
ジュリエットと一緒にいた時に感じた殺気。その気配をベンは追っていった。
刺客などではないと思うが、報告を聞かなければなるまい。
私は大公堂へ向けて歩き出した。
向こうから、年齢がバラバラなお客たちの集団が向かってくる。手には様々な種類の屋台の料理があり、うれしそうにはしゃいでいる姿が微笑ましい。首元に巻いたおそろいのスカーフが仮装のテーマだろうか。
よほど楽しいのか、声が大きすぎて、話している内容が周りに筒抜けだ。
「パック、もっと食え、食え!」
「もう、揚げイモは食えねぇーよ」
「そんなこと言ってるキューが食えよ!」
「そーだよ、熱いうちに食えって」
「俺はもう、串を五本は食ってる......」
「年に一度でも、ありがてえよなあ」
普段、義務の国であのような陽気な姿を見ることが少ないからか、やけに印象的だった。
やはり、もっと自由で、開かれた国にしなければ。
そんなことを考えながら、集団とすれ違う。
「ホルトはうまくやってるよ」
一瞬、耳を疑った。
すぐに振り返ったが、彼らは大公堂から出てくる人ごみにまぎれて、姿がわからなくなった。
「......誰だ?」
私の言葉は、夜風に消えた。
「不実」
原典では、ジュリエットが「不実な月に誓わないで」と言います。
月は形を変えるから、愛の誓いには向かない、と。
この作品では、ロミオは愛を誓ったのに、他の女性に心を寄せる不実について、許しを求めます。




