第二十話 ズルい男と踊る、許すための幸せなダンス
仮装祭のもう一つの恋の盤面、ベン×ロザ 回です。
【ロザラインside】
「お嬢様。本当に、これでよろしいのですか」
エルザが同じことを訊くのは、これで三度目だ。
「入手してくれて感謝してるのよ。似合うでしょ?」
「お嬢様が着こなせていることと、この衣装を選択されることは別です!」
納得がいかないらしい。でも、しっかり準備をしてくれているところが、この侍女の頼もしいところ。
私は仮装テーマに「軍服」を選んだ。理由を聞かれなかったのは、私の秘かな恋などこの侍女にはバレバレだからに違いない。
それでも、衣装に不満があるみたいだけど。
「お嬢様でしたら、華やかな格調高いドレスがお似合いになりますのにっ」
「目立ちたくないのよ」
そう、目立ちたくない。私にはこの仮装祭で叶えたい願いが一つある。
先日、総領主様のお名前で通達が届いた。明日、稜月・一日に私とロミオ様の婚姻の日取りが発表されること、そして澄月・七日に婚姻式が行われることが正式に決まった。
この仮装祭は独身最後、いいえ、最初で最後に好きな人とダンスを踊るチャンス。昨年は運悪く当日風邪をひいてしまい、泣く泣くダンスを諦めたのよ。
ベンの性格を考えたら、絶対断られると思うけど、私だって譲れない。
だって仮装祭は無名日に行われる、名前を持たないお祭りなんだもの。
だから私は婚約者がいるドミナ家の令嬢ではなく、彼の同僚の名もなき一人の女性として、彼とダンスを踊りたい。
ヘーゼルカラーのウィッグと茶色のカラーコンタクトも用意した。さらに眼鏡をかければ誰にも気づかれない。
「自信しかないわ」
「......」
さすがに本物の軍服は手に入れられないので、仮装祭専用の衣料店で本物そっくりの女性軍服と軍帽を用意してもらった。どうせ彼は面倒がって、いつもの軍服で参加するに違いない。私にはわかる!
ムストの軍服は黒に近い濃紺で、手元にあるのは黒の軍服だけど、夜だしそれほど差は目立たないはず。お揃い……じゃなくて、ペア、じゃなくて、統一感。そう!統一感が出ればいいの。
「お嬢様。お膝が!出ておりますが」
「軍属の女性として、動きやすさが第一よ」
「......」
丈は、ふくらはぎの真ん中で切るはずだった。それを昨日の夜になって膝までと言い直したのは、私だ。武官のスカートは動きやすさが第一だと本で読んだから。
衣装をすべて身に着けた鏡の中の私は、彼の瞳の色であるヘーゼルカラーの髪をゆるく巻いたヘアスタイルをしている。瞳は茶色、彼の髪の色。ムストの医療部が視力の矯正に使うものを、エルザが伝手をたどって色つきで手に入れてきてくれた。まばたきのたびに、まだ少しごろごろする。
普通なら引かれてしまう重たい女のようだけど、かまわない。好きな人の色を身に着けるのは、あこがれの一つなんだもの。
「茶色と榛色の組み合わせが、世界で一番好きだわ......」
エルザは聞こえないふりをしてくれた。
婚約が内定した日、ヘルタと一緒に作った葉っぱの栞を渡した夜。
私は何度も泣きながらこの恋を諦めた。
心は自由なんて嘘よ。どれほど深いところへ沈めても浮かんでこようとする。
制御不能な私の心の、なんと不自由なことか。
鏡に映る姿のように、私が黒髪でなかったら。
前髪から伸びる白い一房を持っていなかったら。
紫の瞳でなかったら。
彼は今でも私の隣で笑っていてくれただろう。
一生このウィッグをつけたままでもかまわないと言ったら、なんていうだろうか。
あなた以外と結婚するなんて嫌、一緒に逃げてと言ったら?
ベンはロミオ様に忠誠を誓っている。
あの時、私を連れて逃げることを選ばなかった。
それが答えね......
三つ年上の幼馴染の彼とは、もう十七年の付き合いだ。
ベンの考えていることは、手に取るようにわかる。
だてに完璧淑女と呼ばれているわけではない。
ダンスを断れないようにする、何通りもの攻略パターンを携えていく。
「最後に、一生心に残る思い出をちょうだい」
+++
銀天秤の大公堂の車止めは、鐘が鳴るころがいちばん混む。
私はエルザと一緒に混みあう前に大公堂に着いていて、目当ての人を探していた。
舞踏会に出る人たちが次々に降りてくる。羽根、鳥の面、金と銀。誰も彼も名前を捨てて、今夜だけの誰かになっている。
────来た。
黒に近い濃紺の軍服。かぶり慣れていない軍帽。帽子以外、想像通りの姿に少し笑った。その前を、仮面をつけた黒髪の騎士が歩いていく。マントの留め金が銀色に光っている。かつらをかぶっているのか、金髪じゃないけれど、あの真っすぐな姿勢は間違いなく殿下。
ロミオ様をボールルームまでお送りしたら、ベンは手が空くはず。
私は少し距離を置いて、二人のあとをついていった。
「あら?」
「......お嬢様?」
二人は、大公堂へ向かわず、庭園のほうへ曲がっていった。
【ベンside】
庭園は、むせ返るほど花の香りがした。
藤棚から垂れた青と紫の房が、灯りを透かして揺れている。地面から生えているみたいなチューリップの群れが、赤と黄とオレンジで視界を埋めてくる。きれいだと思うより先に、多すぎると思った。色が邪魔して、敵への反応が遅れそうだ。
「だから情緒がないのよって、言われそうだな......」
いつも隣にいて、今はもういないはずの幼馴染に想像の中で叱られておく。
その色の奥に、噴水があった。ガーデンライトが一つ、水音のする方を照らしている。
ネヴァの姫君がそこにいた。
まるでこの庭のために置かれた綺麗な飾りみたいに、そこだけ光って見えた。
これはダメだ。ずるいとしか言いようがない。
こんな姿を見せられて、どうやって忘れることができるだろう。
殿下に目をやると、魂を揺さぶられ、完全に持っていかれた男の顔をしていた。
────俺は、人が完全に恋に落ちた瞬間を見ている。
これまでだって、殿下の心の一部は姫君のものだった。でもまだ、余白があった。
ロザが入れるだけの余白が。俺はそう思っていた。
そっと距離を取った。護衛の距離だ。
声が届かなくて、いざとなれば三秒で戻れる位置。
側近兼護衛としては、殿下の想いを祝福したかった。この人に義務より優先したい大事なものができるなんて、思わなかったから。いつも感情を殺して前を向いているのを、誰よりもそばで見てきたんだから。
泣かせる相手がロザじゃなければ、俺は心から応援できた。
応援できたんだ......
その時、後ろで殺気を感じた。マズイな。
おそらく殿下も感づいている。姫君を噴水のそばのベンチへエスコートし、隣に座った。あちらは大丈夫だろう。殿下はそれなりに鍛えているし、腕がたつ。
しばらく様子をうかがっていると、気配が離れた。
「放っておけるわけがないよなぁ」
俺は静かに二人を追いかけた。
+++
大公堂のレストルームへ真っすぐ向かう後ろ姿に声をかけた。
女性限定のあの場所に入られたら、俺は何もできない。
体がビクッと震え、聞こえているだろうにこちらを振り向かない。
顔を見られたくないんだろうと思ったけど、離れられるわけがない。
「休憩室があるんだ。継嗣の特権で押さえてある」
俺は先に歩き出した。侍女が宥めて、一緒に歩く音が聞こえる。
扉を開いて中へ促すと、うつむいたままソファに座った。
「何か、飲み物をお持ちします」と言って、侍女がボールルームへ向かった。
俺は静かに扉を閉めて、ロザの向かい側のソファへ座る。
「ロザ、顔をあげて?」
「いや」
「ロザ?」
「むり」
俺の知っているいつものロザだ。完璧淑女と呼ばれる前からの。
「殿下は......」ロザが、軍帽をぬいで、握りつぶすように抱えた。
「殿下は、あの方を愛してるのね。あんなお顔、初めて見たもの......いいのよ、それは。私はあの方の同僚で、公的なパートナーで、そう決めたのは私だもの」
俺は何も答えられない......
「でも、これから先ずっと隣にいる人は私じゃない女性を愛していて、私が本当に好きな人からは想いを返してもらえなくて。私は誰からも愛されない。一生、ずっと。そうでしょう?」
「ロザっ」
ロザが顔をあげる。
黒い縁取りの眼鏡の奥の茶色い瞳が濡れて、灯りをはじいている。
似合っていない。俺はロザの紫の瞳が、世界でいちばん綺麗だと思っている。
榛色のかつら、茶色の瞳。精巧に作られた、武官の略式軍服とかぶり慣れていない軍帽。膝丈のスカートだけは注意したいが、今じゃない。
自分は誰からも愛されないだって?
お前のことを世界一愛している男の前でそれを言う、自信のなさを努力で隠している頑張り屋の女の子。
そう、俺の前では、いつだってロザは女の子なんだ。
総領主家の色を消してしまえば、誰も彼女をドミナ家の令嬢だと思わない。
そして、消した先に選んだ色が榛色と茶色だった。
俺の瞳の色と髪の色。意味がわからないほど、俺は鈍くない。
物心ついたころから、ロザが石段につま先を引っかけて転ぶたび、うろの中で膝を抱えるたび、俺がそばに行かなかったことは一度もない。
「努力すれば、いつかは、って......幸せになれると思っていた」
「なれるよ」
俺は懐から、小さな包みを出した。
「殿下が姫君にお渡しするお守りの、材料を調達したのは俺なんだ。樹脂も型も俺が買いに行って......少し、余ったから」
そう言って、榛色の包みを開く。手のひらにおさまる、丸い透明な板。真ん中に、色の褪せた葉っぱが一枚。葉肉がなくて、葉脈だけが網の目になっている。灯りにかざせば、小さな地図みたいに透ける。
「俺が誰よりも大切にしている人からもらった、宝物だ」
ロザが、息を呑んだ。
「ロザはずっと、完璧になれば見てもらえると思ってる。家庭教師の先生にも、ご両親にも、殿下にも。だから死ぬ気で努力してきた。俺は全部横で見てたから知ってる」
「......うん」
「でも、順番が逆なんだ」
ロザが、瞬きをした。
「ロザが完璧だから、誰かが見るんじゃない。いっぱい練習してもできなくて、失敗して、『つらい』って言ってた頃から、ずっと見ている奴がいるんだよ」
言葉が、勝手に出てくる。
「ロザが完璧でも、そうでなくとも、恋焦がれている男がいるんだ。今夜も、明日も、ロザが総領主夫人になっても、変わらずにずっと」
ロザの目から、涙がぽたぽた落ちた。さっきまでとは違う涙だった。
「......それは、誰?」
俺は、自分の軍帽を指さした。
「忘れた?今夜は、名前を言わない日だよ?」
ずるい男だと自分でも思う。
ロザは口を開けて、閉じて、また開けて、結局何も言わなかった。
沈黙が長くなりそうだったので、俺は咳払いをした。
「ところでロザライン様。その軍帽ですが」
「え?」
「似合ってません。頭がデカく見える」
ロザが固まった。
「......は?」
「最初に見た時から、ずっと思ってました」
「ベンっ!!」
目を真っ赤にし、鼻をすすりながらのロザに、しっかりと叱られた。
どうやってご機嫌を取ろう?
「ひどい人」
婚約が決まったと聞かされたあの日と、同じ言葉だった。
「......どうしたら許してくれます?」
俺は頭をかきながら、プリプリと怒っている幼馴染を見つめた。
次の瞬間、ロザが黒い笑顔を浮かべた。
この顔をするときの彼女のいうことに碌なことはない。
俺は急いで言った。
「もう殿下のもとに戻らなければ。エルザはとっくに戻ってきて、扉の前にいるはずだから!」
「私はまだ許すと言っていないわ。許すための条件もね?」
逃亡失敗。俺は悟った。
どんな無茶ぶりでも、のまなければならないと。
それが舞踏会でのダンスだなんて、誰が思うだろう。
殿下、無事でいてください。
涙涙のロザ、一つだけ願いが叶いました。
この二人の軍服姿、こっそり画像作成してみようと思う、今日この頃です。




