第十八話 諦めようとした夜に、永遠を願う恋に落ちる
ジュリエットの成長回+恋が盛り上がる仮装祭開幕です!
無名日。
朝、目が覚めても、館が動く音があまりしない。
侍女たちの足音も、厨房の匂いもいつもと違い、人の気配が薄い。総領主館も最低限の人員で回している。今日積極的に働くのは、仮装祭の関係者やお店の商人くらいだろう。
朝の放送さえもないのだ。
といっても、リアルタイムのニュースがないだけで、1年間の総集編のような録画番組は流れている。
国全体が静かに今年を振り返り、来年に備える日。
ジュリエットは地下で会った、こども連れの若い夫婦をふと思い出した。
継嗣学で学んだ歴史によると、今から十二年前の分国時、ルール国の中央から東西に分かれ、ネヴァ国とムスト国が建国された。中央で国境線が引かれ、「国分け時刻」をもって、往来も接触も禁止になった。そこに猶予期間は一切なかったとされている。
記録では、当時かなり混乱を招いたと書かれていた。
自宅がネヴァだけれど職場がムストで職を失うことになった者、それぞれネヴァとムストに住んでいて引き裂かれた恋人たち、息子家族がムストに住み、二度と会えなくなったネヴァの老夫婦など、家族や恋人と離れ離れになり、仕事を辞めざるを得なかった両国民の怒りと困惑は凄まじかったという。
人道的にも、家族は一緒にいるべきだと世論の反発があったので、戸籍上の家族と認められ、3日以内に申請があった者のみ移動が許された。
その他は、どんな事情があったとしても、特例を認めてしまうとムストを選ぶ者、ネヴァを選ぶ者の数に偏りが出る恐れがあったので、移動は許可されなかった。
家を持たない者へは仮設住宅の提供や賃貸物件への無料入居、仕事を失った者へは職業斡旋などで対応したと学んでいた。
このことをジュリエットは「史実」として知っていた。
でも、地下で会った彼女たちを見て初めて「現実」を理解した。
移動の自由がなく、強制的に「分断」される。
物心ついたときからネヴァ国民として生きてきたジュリエットは、そのことをあまり深刻に考えてこなかった。会いたい人はみんなネヴァにいたから。ムストに行く必要性がなかったから。
逢いたい人、好きな人が敵国にいる。
同じ国の者同士で恋をして、結婚する。以前はそれでいいじゃないのと、思っていた。
でも違った。誰に会って、どこに行くか。
その自由がない「不自由」さに、ロミオに恋をして初めて気がついたのだ。
自分の意思で好きな場所に移動したり、住む場所を選んだりする権利
今いる国(自国を含む)から自由に離れ、また自国に戻ってくる権利
家族や恋人が不当に引き離されず、互いに接近・交流する権利
地下でロレンスは、「上じゃ義務と禁止で、人を追い詰める」と言った。あの時のジュリエットは混乱していたこともあったが、ロレンスが何を言っているのか、正確には理解できていなかった。
でも、今ならわかる。
私たちは間違っている。ネヴァもムストも。
当時、それしか選択肢がなかったとしても、もう建国して十二年。双子の王子と呼ばれた父親同士の仲が悪かったとしても、自分とロミオは違う。
「私は禁止の国の継嗣。次代を変えていくのが私の役目」
明日から始まる分国暦・十三年、今までとは違う自分でありたいと、ジュリエットは思った。
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「ジュリエット様、そろそろお支度をしましょう」
夕方になり、周囲の景色が茜色に染まる。仮装祭の本番は夜だ。
マーサの声が、いつもより弾んでいる。衣装を身に着け、鏡台の前に座る。
淡くあたたかい月の光を織り上げたようなこのドレスは、闇が深くなればなるほど、乳白色のシルクの神秘的な白さを増してゆくだろう。胸元で揺れる二連の首飾りが、さらなる上品さを添えてくれる。肌の上をなめらかに滑る生地の極上の心地よさに、私の中に静かな勇気が満ちてゆく。
マーサが、髪のボリュームを平らに抑えてまとめ、銀色のウィッグをかぶせてくれる。パールとムーンストーンのフロントレットを額に渡し、レース飾りの白いベールをかけていく。
色味を抑えつつ、地味にならないように施されたメイクで、イメージ通りの神秘的で大人の女性に見える。
「ジュリエット様、完璧です!」
「マーサ、私じゃないみたい」
「はい。完璧な月の女神の誕生ですわ!!」
マーサの興奮がおさまらない。
原型がなさ過ぎて、ロミオに気づかれない懸念が出てきた。
「ねぇ、ロミオは私だってわかるかしら?」
だって、あのロミオよ?
「そんな心配はご無用ですわ。これだけ美しい女神様を、見つけられないわけございません」
「ベールをかぶっていても?」
「......」
マーサはロミオの特定分野におけるポンコツ具合を思い出した。
「ジュリエット様、ベールはやめましょう。代わりにレースの仮面をご用意します。せめて紫の瞳を出しましょう」
「そうね、銀×紫で捜索しそうだもの」
マーサは大急ぎで仮面を調達しに行く。お店は開いてないと思うけど、大丈夫かしら?
引き出しから紫のリボンを通した栞を取り出して、シルバーのクラッチバッグに忍ばせる。これを渡したときの、彼の笑顔を思い浮かべながら。
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夜の帳とばりが下り、周囲の景色が完全な漆黒に染まる。仮装祭が始まる。
すべてを飲み込む、夜空の闇を切り取ったような黒の騎士服と同系色のマントが、夜風をはらんで翻る。顔の上半分を覆う黒い仮面が、すべてを覆い隠してくれるだろう。
少し緊張しながらかぶった黒髪のかつらは、碧い瞳との相性もよく、自分なのに自分ではないような、不思議な錯覚をもたらしてくれる。
「殿下、そろそろ行きましょう」
ベンはあきれるほどいつも通りだ。仮装はしないのか?と尋ねたら、「軍服コスプレです」と返ってきた。テーマを決めるのが面倒だっただけだろう。
「いつもは被らない軍帽だけが違う点か」
「帯剣する理由ですよ~」
なるほど、一理ある。
銀天秤の大公堂へ到着し、庭園へ向かう。旧運河のあの肌寒さが、ここまで来ると和らいでいる。頬に触れる風が、どこかやわらかい。
舞踏会が始まる時刻、多くの人は大公堂のボールルームに行くはず。予想通り、庭園へ行く人はまばらだ。さすがに誰もいないというわけにはいかないが、これならちゃんと合流できるだろう。
銀天秤の大公堂がかつてのルール国でパレス・オブ・テミスと呼ばれていた頃、この庭園は一年中花と緑が楽しめる庭園として知られていた。旧都の中央にあたるこの一帯は地熱を巡らせた土地で、暮月の終わりでも花は枯れない。
今夜だけは、年に一度の仮装祭にふさわしく、その姿をいつも以上に幻想的に変えている。
ライトアップされた、境界なく溢れかえる極彩色の花々が、視界のすべてを甘美に染め上げる。頭上を埋め尽くす藤棚から垂れ下がる青と紫の花の房と、重なり合うように立体的に咲き薫る赤、黄、オレンジのガーベラやチューリップが、その空間を圧倒的な密度で埋め尽くしていく。
昼のまばゆい陽光を浴びるのではなく、夜の灯りに照らされ淡く輝くような花園は、最も美しく咲き誇る刹那だけを閉じ込めた幻の桃源郷のようだ。
どこを見渡しても花と光しか存在しない世界の中で、いつしか私の輪郭さえもその鮮烈な色彩の波へと溶け去っていくような感覚に陥る。
その狂おしいほどの色の洪水を進む私の目が、ある一点で釘付けになった。
かすかな水音を響かせる噴水の横にあるガーデンライトが、一人の女性を照らしている。
静かに佇む彼女が纏うのは、月の光のようなやわらかな白と銀。
繊細な乳白色のレースの仮面をつけた彼女の横顔は、すべてを包み込むような静かな気品に満ちあふれているように見えた。
月の女神がゆっくりと顔をこちらに向ける。
仮面の奥の、美しい紫色の瞳が私をとらえ、大輪の花が今まさに開いたような、息をのむほどまばゆい微笑みを浮かべる。
その瞬間、私は世界のすべてを理解したような気がした。
――ああ、恋は、止めようがない。愛することを努力や義務にしてはいけなかったのだ。
この瞬間が、いっそ永遠になればいいと、本気で思った。
頭の中にある、桃源郷のような色鮮やかな庭園だけど、夜の灯りの下で淡く輝くという、仮装祭のメインステージを言葉で表現するのに四苦八苦。皆様に、伝わりますように......




