第十五話 緑色の透けた地図は、祈りの形をしている
ベン×ロザ回です。
崩落事故のあった一日の話になります。ベンは翌日、精神統一の素振りに入ります。
【ロザラインside】
暮月・二日。
ロミオ様と仲を深める目的のお茶会が、定期的に開かれることになった。
月に二回、今日で三回目だ。
「年内で、ロザライン嬢に同行をお願いしている公務だが、いくつか変更になったことがある。修正点を専用メールに送らせてもらった。新年の祝賀行事の進行と合わせて、確認してもらえるだろうか」
「承知いたしました。確認いたします」
「頼む」
────殿下。これは婚約者というより、社内会議での同僚の会話ですね?
予定していた「議題」が終わると、殿下は途端にそわそわしだす。
私を意識して緊張しているわけではなく、間が持たなくて、何を話せばいいのかわからないのだ。優秀な頭脳を持っていても、婚約者との会話を脳内で組み立てるのは苦手なようだ。
一応私も会話のネタ的なものを複数用意してきているが、結局一問一答のような形になってしまい、話しが膨らむことはない。
紅茶は、それぞれ三杯は飲んでいる。
困った時は、お茶を飲むに限る。
でも、いい加減お腹もタポタポだわ......
それでも、量が少なくなったカップをそのままにしておけないのが侍女の性。
エルザが、新たなお茶をカップに注いで下がっていく。
夕食、入るかしら......
殿下は別に私を嫌っているわけではないと思う。それどころか好意を持って接してくれている。
政略なのだ。お互いに好感が持てて、夫婦として誠実でいてくれるだけで十分だろう。
婚約が発表されてからの定期的なお茶会は、一、二回目で好きな食べ物、色、動物、植物、運動、逆に嫌いだったり苦手な食べ物、生き物などを網羅してしまった。
ロミオ様が口を開けないでいるので、持ちネタその一を提供する。
「殿下。休日は何をされているのですか?」
「休日?公務が一つも入っていないという意味だろうか?」
えっ?
休日という設定が、ムスト国の継嗣にはないの?
思わず、側近であるベンに視線を向ける。
彼は目を閉じて、静かに首を横に振る。
そうよね、人道的にも休日は設定されているはずよね。
ロミオ様は「休む」という言葉をどう定義されてらっしゃるのかしら?
「はい。一つも公務が入っておらず、一日自由に使えたり、心と体を休めてリフレッシュする日に何をされてますか?とお尋ねしました」
「そうか。執務用のメールの確認とネヴァ国の動向チェック、議会用の資料の読み込みとかだろうか」
「ロミオ様、大変僭越ながら、それらは公務に該当します」
「本当か?これは公務というほどのことではないと思うが」
「ロミオ様、もしかして公務がない日がない、ということでよろしいですか?」
「……???」
心底わからないという顔をしているわ。
一日自由に使えたり、心と体を休めてリフレッシュする日はありますか?という聞き方にすればよかった。
いいえ、やっぱりダメだわ。
自由に使えるなら議会用の資料を読み込んでも問題ないだろう?
という回答がくるに違いない。
総領主や次代を担う立場の継嗣に、プライベートは存在しないのかもしれない。
この質問は、ここでやめておきましょう。
次よ!
「ロミオ様は新しく見つかった温泉には、もう入られたのですか?」
「ムスト最北端の北嶺あたりに、ここ数カ月で湧いた湯のことだな?さすがはロザライン嬢だ。まだ一般には知られていないというのに、国内の最新情報をしっかりとおさえているのは素晴らしい。現在、早急に休息施設として整備中だ」
すごいわ。休日の定義はわからなくても、公務や施策の話になると実に饒舌ね。
私が婚約者との交流の目的を忘れて感心しているうちに、殿下もまた、温泉施設の有効活用における課題を朗々と語り出す。
「湯に入ったことは私もまだないのだ。新年に合わせてオープンを考えていたが、工事が少し遅れているようだ。だが——」
殿下は一度、口を閉じた。ベンが何かを言いたげにしているが、その表情は諦めに近い。
「高齢の者は温泉施設に通いにくい。北嶺は雪が残る。除雪の整備を公的に執り行うことと、循環バスを走らせる案が現在出ている。施設までの道を、決まった日に往復する。車がない家でも温泉を楽しめるようになって欲しいからな」
真剣に話すロミオ様は、素敵だ。
公務なら、話が続く。一問一答で終わらないから、二人共通の話題になるわ。
私の話のネタ帳は、これから継嗣夫人としてどう公務に関わっていくかにするのがいいみたい。
社内会議の同僚でかまわない。
だって、社内の最上級が国内で、将来総領主夫人になる私は、彼の公的パートナーで同僚なんだもの。
ロザラインは、「ロミオを愛する」という義務の方向性を、この日静かに軌道修正した。
+++
夕方、西の大橋に続く道が崩れたという知らせが届いた。ロミオ様やベンが現場で指揮をとっているという。
原因はまだわかっていないらしい。崩落に巻き込まれた人も大勢いて、現場は混乱しているとのこと。
「心配だわ......」
手の中の栞に視線を落とす。
こどもの頃にある人への「祈り」を込めて作った、古ぼけた葉っぱ。
榛色の薄い布に挟んだ葉脈だけの葉は、筋だけを残して葉肉を落とし、蝋を薄く引いてある。灯にかざすと網目が透けて、小さな地図みたいに見える。
作り方を教えてくれたのは、ヘルタだ。
今は亡き『紙の国パピル』から来た使用人で、経済的難民への支援策としてドミナ家で雇い入れた。高齢の女性で家族はいないと聞いている。
言葉は通じるけど訛りが強いからか、他の使用人と話しているのを見たことがない。
────
十歳の秋、私はお気に入りの木のうろに入って遊んでいたら、近くの物置の横ですすり泣く声が聞こえた。
誰だろう?と気になって物置に行くと、ヘルタが両手で顔を覆って座り込んでいた。
「……国が、ワタシたちの国がなくなっていくんデス」
ヘルタの言っている意味はわからなかったけど、泣いている人を放っては置けない。
「お父様に話したら、困らなくなる?」
「イイエ。もうどうにもなりまセン。おじょうサマはやさしいデス」
顔を上げた彼女の顔は涙でぐしょぐしょだ。
わたしはヘルタの隣にそっと座った。いつも泣いている時にベンがそうしてくれたから。
「おじょうサマ、よごれマス」
「いいの」
「……いいこデスねぇ」
それから時々、わたしはヘルタの話を聞くようになった。
彼女の言葉は聞き取りにくかったけど、ゆっくりゆっくり話してくれた。
ヘルタが住んでいた国はパピルと言って、昔あった「紙」をたくさん作っていた国だった。
家庭教師の先生が言ってた「本」とは、私たちが学ぶデジタル教本の内容を紙に印刷してできるみたい。
驚いたのは、紙って何枚も重ねるらしく、続きを読みたければ紙をめくる?どけると次の紙が出てきて内容が読める仕組みなんだって。
デジタル教本の「次へ」みたいなものかな?
私がデジタル教本の話をすると、ヘルタの顔は哀しげに歪む。
「おじょうサマ、紙がねぇ、なくなったんデス。全部デジタルというやつに変わるから、もう紙はイラナイって世界なんとかのえらい人がいったそうで。それからだぁれも紙を買わなくなって、紙を作る人もいなくなって、しまいには国ごとなくなったんデス」
ヘルタの目から大粒の涙が溢れ出る。
「ヘルタの家族の人は?」
「死んでしまいマシタ......。夫はいなくて、ワタシにはだいじな息子がひとり。結婚のやくそくをして、もうすぐ家族がふえるはずでシタ。でも紙がなくなって、仕事がなくなって、あの子はぜつぼうしまシタ。親を残して死んでしまうなんて......。お嫁さんになる子はちがう国へいきマシタ。もうずっと前なのに、まだ受けとめられないんデス」
私はヘルタになんて言葉をかけていいか、わからなかった。
だからハンカチを渡して、ヘルタの肩をずっと撫でていた。
しばらくしてヘルタが泣き止むと、白く四角い生地のようなものにお花の絵がついたものを、そっと見せてくれた。
「ヘルタ、これは何?」
「これが『栞』。この白いのが紙デス。紙には字や絵を書くことができマス」
これが紙......初めて見た。
そして栞?栞って何?
ヘルタは栞についても教えてくれた。本に挟んで使うもので、昔はありふれたものだったらしい。読みかけの場所に置いて、続きを読むときに場所がわかるように示すための道具。
ヘルタは紙の国パピルを出る時に、この栞を持ってきた。国章の花が印刷してあって、故郷の国を忘れないために肌身離さず持ってるのだという。
「でも、もう紙はないデスから作れません。これで終わり。でも、おじょうサマにはむかし紙があって、栞があったことを覚えていて欲しいデス。だから、ワタシが栞を作ってあげマス」
「でも、もう紙はないんでしょ?」
「葉っぱで作るんデス」
ヘルタは庭に出て、うろの木の葉を一枚取った。葉肉を落として、筋だけにする。
それからわたしの手のひらにそっとのせてくれた。
太陽にかざしたら、網目が透けて小さな地図みたいに見えた。
「紙がなくなっても栞を残そうって、パピルの人が考えました。ここにはないデスけど、さいごに蝋を薄く引くんデス。お館さまにたのんでみてくだサイ。こうすれば長持ちしマス」
そう言ってヘルタは、その葉っぱの栞をポケットから出したハンカチにくるんでくれた。
「ヘルタ。でももう『本』はないわ」
「はい、本はもうないデス。だからこれはお守りデス。大事な人に渡しマス。祈りをいれマス」
「お守りになるの?祈りを入れるって何?」
「大事なものがずっとあるように祈りマス」
ヘルタはそう言って笑った。目のふちの皺が深くなって、それから遠くを見た。
ヘルタの大事なものはもうなくなった。故郷の国から持ち出した紙の栞には、今なんの祈りをこめているんだろう。
ヘルタが亡くなったのは、わたしが十二の冬。
私はヘルタの紙の栞を、もらったハンカチにくるんで棺の中に入れた。
────
私の手の中には、うろの木の葉で作った古ぼけた栞がある。
私はこどもの頃、この栞に祈りを込めた。
大切なあの人が無事でありますように。
ずっと一緒にいられますように。
【ベンside】
崩落事故の緊急対応がようやく終わった。
朝は殿下と一緒に素振り百回。午後に十人斬りを三セット。
そのあと崩落現場で深夜まで救助活動と初動対応の陣頭指揮。
正直、もう腕が上がらない。膝が笑ってる。
上着は泥で色が変わって、髪の先まで砂だらけだ。
あまりにヨボヨボなので、殿下にもう帰れと言われた。
今日は素直にお言葉に甘えよう。
総領主館からほど近い自宅の門をくぐったところで、視線に気づく。
隣のお屋敷の門灯の下に、黒い髪の令嬢が立っている。
前髪の生え際の白いひと房が、風でわずかに揺れた。
俺は垣根の縦格子のところまで近づき、声をかける。
「……ロザ。いえ、ロザライン様」
呼び間違えるな。俺の小さな幼馴染はもういない。
ここに立っているのは、継嗣殿下の婚約者のご令嬢だ。
俺の引いた線に気づき、わずかに顔が悲しげに揺れるが、彼女はすぐに立て直してみせた。
「夜分に申し訳ありません、ベン様。殿下のご様子を伺いたくて」
そう言われると、こんな夜遅くに一人で外にいることを咎められなくなる。
まぁ、一応自宅の敷地内だし、今日の状況説明だけして、すぐに家に戻せばい。
俺はそう思って、崩落事故現場の状況と殿下の様子を伝える。
「殿下はご無事ですよ。最後の一人を救出して搬送され、現場の復旧を第一優先とする指示やこの後の安全規制の指揮を執った後、総領主館へお戻りになりました」
「そう。……ご無事でよかった」
彼女は胸のあたりで手を握ってから、俺の全身を見て、長く息を吐き出す。
「ベン。あなた、泥だらけよ」
「機械が入れないところの、石をどかしました」
「顔にも泥が付いているわ」
「顔で砂利を取り除きました」
彼女がくすくす笑いながら、ハンカチを手に俺へ近寄ろうとした。
でも、一歩足を踏み出してすぐに止まった。
昔なら、そのハンカチで俺の顔をごしごしと拭いていただろう。
俺が鍛錬で肘や膝を擦りむいて帰ったならすかさず俺の手を引いて、庭にある水道の蛇口をひねり、容赦なく傷の砂利を洗い流すといった豪胆な一面もあった。
それでいいんだよ、ロザ。
そのハンカチを使う相手は、もう俺じゃない。
報告は終わった。そろそろ屋敷に戻ったほうがいい。
俺がそう言いかけた時、遮るように彼女が言った。
「渡したいものがあるの」
そう言って薄い布の包みを渡してくる。
「開けてみて?」
俺はそっと包みを開いていく。中から出てきたのは、色褪せた古い葉っぱだ。
葉肉がなくて、葉脈が透けて見える。
「これは......」
「そう、栞よ」
昔、聞いたことがある。今はもう失われた紙の国パピルから来たヘルタの話。
栞を作ってもらったと見せてくれて、二人でその意味を検索したこともあった。
「これ、ヘルタからの贈り物じゃないのか?」
「そう、これはヘルタからもらった大事なもの。覚えててくれたのね」
「貴女の話は、全部覚えてますよ」
彼女は紫の瞳を大きく見開いて、口をギュッと引き結んだ。
泣くのを我慢している顔だ。
ダメだよ?泣いちゃ。
俺はもう慰めることができないから。
「じゃあ、栞には祈りをこめるって話も覚えてる?」
「忘れてませんよ」
祈りを込めると聞いたから、何を祈るのかしつこく聞いたけど、ナイショといって結局教えてくれなかったんだ。
「ベン、この栞あげる。もらって?」
「えっ?」
「これはもう、私が持っていていいものじゃないの」
そう言って、ロザラインは俺が一番好きな笑顔を浮かべた。
「この栞は十歳の頃にベンのことを祈ったものだから。安全祈願のお守りとして、もらってちょうだい」
ロザの声が震えている。
堪えきれないように、右頬に涙が一雫伝った。
「あり......がと……うございます」
俺の声も震えてしまった。
頭を下げてお礼を伝え、顔を上げずにそのままいると、足音が遠ざかっていった。
扉が閉まる音がする。
俺はようやく顔を上げ、手の中にある、榛色の布の上に置かれた栞を見る。
榛色───俺の瞳の色。
「……ロザ」
誰もいないから呼べる愛称。
殿下が姫君のために栞を作るんだってさ。
姫君と交換するかもしれないと話してた。
なら、俺がロザのために栞を作ったっていいだろう?
決して渡すことができなくても、俺もロザのために祈りたいんだ。
────君が幸せであるように
紙の国パピルの話は重めです。お付き合いください。
(ヘルタの話し声が読みにくくて、すみません)




