第十四話 精神統一できない、ふゆうららの素振り二百回
暮月・三日。
朝の光で瞼の裏が明るくなって、私は目を開ける前に枕元へ手を伸ばした。
指が通信機に触れる。画面を立ち上げて、チャットの受信箱を開く。
「ロミオから返信が来てるっ」
日付は暮月・三日。
十一日間の返信待ちの後の、即日返信。うれしすぎる!
そして、タイトルを見て悶えた。
『件名:同じ月を見ていたい』
…………え?
いつもとタイトルの感じが違う。
詐欺なの??
それなら、本文開いちゃダメだよね?
ジュリエットは戸惑った。
これからよろしくとか、久しぶりとか、そんなタイトルしか見たことがないのに、いきなり情熱的になる?
十分以上たっぷり迷い、何度も送り主の名やアカウント名を確認して、ようやく本文を開いた。
再び、身悶えすることになった。さっき以上に。
「月が綺麗だよ」
──────!!!
二度見した、いや、通算十一度見?
いけない、混乱しているみたい。
この一行を読んだ回数、今もう一回確認して十二回目。
「ん──────っ」
声にならない声が漏れて、私は枕に顔を押しつけた。頬が熱い。耳まで熱い。
寝台の上で膝を抱えて、そのまま横に転がる。掛布に足が絡まって、冬だというのになぜかすごく暑い。
ロミオが、私に。
あの生真面目で、報告書なら秒で書けると言い切りそうな人が。
どうしよう。心臓がもたない。
「ジュリエット様、おはようございまっ……お加減がお悪いのですか!?」
マーサが朝の支度に入ってきて、寝台の上で丸くなっている主を見て駆け寄ってきた。
私は枕から顔を上げて、無言で通信機を突き出す。
マーサは画面を見て、それから私を見て、もう一度画面を見た。
「……これは」
「そう」
「これは……ジュリエット様」
「そうなの!!」
「告白ですわーーーー!!」
恋愛小説で培ってきた乙女力が暴走する二人。
朝の寝室に響き渡った声に、私はいち早く我に返り、慌ててマーサの口を両手で塞ぐ。
塞いだ手のひらの下で、マーサはまだ何か言っている。
「声を落として。廊下に聞こえるわ」
「も、申し訳ありません。しかし、しかしですよ。あの言葉は、あの言葉ではありませんか」
「わかってる。わかってるわよ!」
マーサの言うあの言葉とは。
私が恋愛小説サイトで『名作』カテゴリーに保存している、珠玉の一作。
の、あの名場面。
-------------
満月の晩。
男が女を庭に呼び出して、言えないままに夜空を見上げて、それだけを言う。
「月が綺麗ですね」
女は少し黙ってから、言葉を返す。
「あなたと一緒なら、月にだって手が届きそう 」
-------------
愛していますと口に出してはいけない男が、月に自分の気持ちを代弁させる場面。
結ばれない男女の禁忌の恋を、月で語る美しくて悲しい物語。
二人の恋が切なくて、苦しくて。
何度もこの小説を読んだ。もちろんマーサにも布教済みだ。
「マーサ。落ち着いて聞いてちょうだい」
「ジュリエット様は、やけに落ち着いておられますね」
「一周回って、頭が動いてきたのよ」
「さようでございますか、それで」
「あのロミオよ?」
「はい、要返信のロミオ様ですわ」
幻の一通目のせいで、マーサのロミオへの評価(ただし、恋愛偏差値に限る)は、最底辺のままだ。最近はとても頑張っていると思うけど。
それはさておき。
「たまたま見上げた月の、ただの感想の可能性があるわ」
マーサの顔から、ぶわっと膨らんだ乙女の喜びが半分だけ抜けた。
冷静で優秀な侍女の思考が、少し戻ってきたようだ。
「確かに」
「私、前日に超長文で返信がなかった辛さをロミオに訴えたでしょう?生真面目なロミオは、即日返信をしなければと悩み、『見かけたものを書いて、すぐ送る』という必殺技を編み出した可能性が捨てきれない......」
「一理ありますわ......」
「でしょう?」
言ってて悲しくなってきた。さっきまでの高揚感とときめく心の大爆発の反動で、なんだか体に力が入らなくなってきた。
しおしおと萎れる私に、恋愛小説の論評時に見せる分析官の目をしたマーサが、静かに指摘する。
このモードに入ったマーサを論破することなんて不可能。
「ですが、ジュリエット様。継嗣殿下の文章はかぎかっこ(鉤括弧) で括られていますわ」
「はっ」
「ただの感想ならば、そのまま打てばよろしいじゃありませんか」
そうか。たしかに少し不自然かも。
マーサの言う通りのような気がしてきた。さすがの分析力よ!
しおれかけた心に少し潤いが戻ってくる。
「そうかもしれない、でも違うかもしれない。確証は持てないわ」
「これは告白でしたか?とストレートに聞くわけにはいかないですものね」
「そして、うっかり『告白の言葉、うれしいです』なんてお返事を書いて、『何のことだ?』と返ってきたら、私はもう二度と月を見られなくなるわ」
想像しただけで胃の裏側が冷える。ロミオならやりかねない。
純粋な疑問符つきで「月が綺麗だと書いたが、何か問題があったか」と返ってくる未来が、鮮明に見える。
その時ノックの音がして、朝食が運ばれてきた。
私たちは一度そこで黙った。
急いで支度を整え、きれいにお皿が並べられたテーブルの席につく。
せっかく出来立てを届けてくれているのだ。感謝して頂こうと思う。
焼きたての丸パンと、ネヴァ風の白い豆のスープとグリーンサラダ。私の大好きなニンジンのドレッシングがかかっている。それに蜂蜜漬けの杏。
パンを割ると中から湯気が上がって、あったかい。
美味しくて、温かい食事は私の胃と心を慰めてくれる。
もう月は隠れてしまった。見えるのは冬の太陽の柔らかな光。
「『あなたと一緒なら、月にだって手が届きそう』とは、書けないわね.......」
もしロミオから本当に“告白”されたとして。
彼には先ごろ公表された美しい婚約者がいる。仮にロミオに婚約者がいなかったとしても、お父様がムストの継嗣との結婚を許すはずがない。いくら表面を取り繕っていても、内実ネヴァとムストは敵国同士だ。
そして、私たちには血のつながりがある。
ネヴァとムストは「いとこ婚」を固く禁じている。超少子化の現在、血が濃くなりすぎるのを恐れて、昔は禁止されていなかったいとこ同士の婚姻を禁忌にしたのだ。
私たちが同じ国の人間だとしても結婚することはできない。
どうやっても二人が結ばれる未来なんてない。
それでも────
もうこの想いを消すことなんてできない。
ロミオが好きなの。
+++
義務の国の継嗣の朝は素振り百回から始まる。
ロミオは何かを吹っ切るように木剣を振っていた。
昨夜の私は、崩落の現場から戻って、疲れ切って、彼女の文面を読んで。
無性にジュリエットに逢いたくなり、今まで厳重に封をしていた箱の蓋を自ら開けてしまった。
自分の想いを伝えることしか考えられなかった。
ただ、婚約者持ちのいとこに急に告白されても戸惑うだろうと思って、学習用に読んだ小説の中で印象に残り、忘れられなかった言葉を、そのまま打ち込んで送った。
ジュリエットが言葉の意味を知っていれば、私の想いが伝わるように。
ただの感想と思うならそれでもよかったし、受け止めるのを拒否したければそのまま流せるように。
一人の男として、自分の中にある気持ちを知っていてほしいと思っていた。
夜までは!
私は冷静で理知的で、クールな男だ(自称)
昨夜の私はどうかしていたとしか思えない(夜に文章を書くのは危険だという先人の教え)
これが「月の魔法」というやつか?(恋愛小説・初級編『君と月の魔法にかけられて 』より )
朝になって正気に戻り、私は寝台の上で頭を抱えた。
メッセージの取り消し機能を使おうか。
いや、あれは送信後一時間以内という制限がついている。
一晩経っている今の私には、どうすることもできない。
恥ずかしい。
私の気持ちをジュリエットに知ってもらって、どうするというのだ。
客観的に考えて、迷惑なだけだろう。
ジュリエットは、「恋人を装っている」だけなのに。
暮月・三日の朝。私は「顔から火が出る」という現象を体験した。
「殿下、太刀筋が乱れてますね」
「わかってる」
「もっと集中してください。逆にスッキリします」
「……そうしよう」
いつも減らず口を叩く男が、何も言わない。
最強護衛が同じように、一心不乱に木剣を振っている。
あいつも何か、吹っ切りたいことがあるのだろうか......
「殿下、集中!」
「はいっ」
「追加で百回行きますか?」
私の気力と体力は、朝の時点でゼロになった。
日が暮れかけたころ、何とか公務をこなし終え、一息入れようと執務室のソファに腰掛ける。
ベンは窓のほうを向いて立っていて、表情が見えない。
「ベン。こちらへ来てくれ」
「どうしたんです?」
「ジュリエットから来た暗号の件だ。解読できているか、意見が聞きたい」
「承知しました。何の花です?」
「ヒマラヤタマアジサイだ」
「それ、花ですか?珍獣とかじゃなくて?」
「間違いなく花だ」
ベンが通信機の検索窓に「ヒマラヤタマアジサイ」と打ち込む。
【ヒマラヤタマアジサイ(Himalayan Hydrangea)】
アジサイ科の落葉低木。玉のような蕾が割れて咲く。地下に太い根を張り、痩せた土地でもよく育つ。
主な花言葉:
⦿「理解」:丸い蕾が殻を破るように少しずつ開き、中の美しい花が徐々にその姿をあらわにしていく開花プロセスが、互いの本質をじっくりと時間をかけて深く知り合う姿を連想させることから。
⦿「協調」:中央にある小さな紫色の両性花(実を結ぶ花)と、それを取り囲むように咲く可憐な白い装飾花が、互いを引き立て合いながら一つの美しい花房を形成する調和の姿に由来する。
「殿下、暗号としては明快です。地下・理解ですね」
「チャットでも、地下に立派な根を張り、逞しく成長すると書いてあった。逃がした担当官のこともわかってくれたように思う」
「それであっていると思います」
「そうだな、よかった」
用意していたお茶を飲む。ベンにも飲むよう勧めたが、断られた。
トイレが近くなると言われて。
今日のベンは様子がおかしい。あまりふざけない。
だがその違和感を突き詰めてはいけない気がして、気づかぬふりをした。
ネヴァの大混乱とムストの大混乱が同時発生する、暮月・三日の朝です。
ちなみに、名作『月夜の応え』は、恋愛小説・上級編です☆彡




