第十一話 失われた人生を負う、もう戻れない世界の始まり
再び、シリアス風味。ジュリエットの出番がありません。
私は昨夜、結局何も返信できなかった。
毎日チャットのやり取りをすると決めたわけではない。特に新たな報告もなかった。
(ジュリエットは、チャットの返信がないことをどう思っただろう)
私からの連絡が心の支えになっていると書いていた。
いや、あれは恋人を装うための単なる文章に過ぎない.......
出口のない問いかけを断ち切るように、ロミオは声を落とす。
「ベン、極秘ファイルの件を進める。案は二つだ」
「二つ?」
「あぁ、仮装祭で継嗣主導のイベントを新たに立ち上げるために必要だと、無理やりこじつけて閲覧許可を取る正規ルートか、文官の買収だ」
「........ちなみに、殿下的に正規ルートの成功見込みは?」
「限りなくゼロだ.......」
「それじゃ、そもそも案は一つじゃないですか!」
つっ込まれると思っていた。仮装祭に継嗣の出番などない。
両国民にとって年に一度の無礼講。かしこまった行事など、お呼びじゃない。
「仮装祭の歴史を調べるという名目もダメか?」
「自由研究でほいほい見れるなら、極秘ファイルと呼ばれてないです」
「そうか、一理あるな。それなら買収案しかないが、何で釣る? エサになるおいしい条件は、私が用意できる範囲であるのか?」
「ですよね~、買収って言っても、ノープランだろうなと思ってました」
「ムムっ」
そう、結局極秘ファイルを閲覧するための具体案はないというのが現状だ。
買収なんて、生まれてこの方したことないんだから、しかたないじゃないか。
「殿下は優秀な側近を持ってラッキーですね」と、からかいながらベンがロミオに近づいてくる。
ぐっと声量を落として、こう続けた。
「イリア・ホルト。元オーレン先生の教え子で、公開審判に不満を持つ総領主館・記録庁の文官です。極秘ファイルの管理担当官です」
ロミオは目を見張る。どうやってこのような情報をつかんだのか。
「接触はどうする?」
「俺が一肌脱ぎますよ。ホルトが酒屋で酔いつぶれ、公開審判を批判していた件、検閲に入る前に握りつぶしておいたので。目撃者の口止めも済んでます」
「お前の本職は、諜報かなんかか?」
「やだな~、ほめないでくださいよ」
ベンの子飼いの情報屋は、かなり仕事ができると聞いたことがある。
ありがたくその情報を使わせてもらおう。
その後、無事に管理担当官と接触し、こちら側に取り込めたとベンから報告が上がった。
極秘ファイルのパスコードを業務外利用した時点でログが残り、罪は免れない。
そもそも極秘ファイルは、総領主である父上の命を受けた時だけ開かれる。
「管理」という義務に違反したことはすぐにバレるだろう。
事実上、この文官はムスト国内で生きる道を失う。
それなのに協力してくれたのは、オーレン先生への処遇に対する義憤と、この国で生きていくことへの絶望感から。
ファイルの閲覧後は、ホルトを地下に逃がすことになっている。彼もそれを希望した。
買収案では、どうしても協力者が義務違反者となり、狩られる。
二度目の旧運河視察の時にベンが再び地下に潜り、あらかじめ地下の民に了承を得ていたからこその、『交渉』だ。
ジュリエットへ送ったオリーブの木の暗号では、この件に触れなかった。
あの時点で、管理担当官を確実にこちら側へ取り込めるか決まっていなかったし、閲覧が成功するとは限らない。
ジュリエットに心配をかけたくなかった。
極秘ファイル閲覧の決行日は、花守の月・二十八日。
父は世界連盟が主催する国際会議に出かけ、この国を留守にする。
+++
総領主の執務室は、静まり返っていた。
いつもなら護衛が扉を守っているのだが、会議に随行していてこのフロアの警備は手薄だ。
定時の巡回さえクリアすれば、数時間は稼げる。
ホルトは、扉の手前で待っていた。時間に正確だ。
素早く執務室に入り、閲覧用の置き型通信機を起動させる。ここからは管理担当官の仕事だ。
念のため、もう一度確認する。国を、人生を捨てるのは、並の覚悟じゃない。
「パスコードを入力した時点で君は狩られる側に回る。その後の人生は、今と大きく違うものになるだろう。後悔はないか?」
「ありません」
即答だった。
「オーレン先生の件で、私は正直もうどうなってもいいと投げやりになっていました。でも自分で自分の命を終えることができないので、誰に聞かれてもいいと義務違反者を公衆の場で悼んだんです。継嗣殿下、これは私なりの正義なんです」
迷いのない目で語るホルトに、ロミオも覚悟を決めた。
「今の私に言える言葉は多くない。だが、君の正義を無駄にしない。地下で生きてほしい」
ホルトは深く頭を下げた後、極秘ファイルのパスコードを打ち込んだ。
ファイルが開いた。
【国分けの真実】と名づけられたフォルダ。
ロミオたちが非公式で習ったのとも違う、血みどろの戦いの記録。
ルール国を治めていた先代国王の穏便な退位・離宮への蟄居などではない、ルール国を二分する争い。
いや、双子の王子のクーデターとも呼べる記録の数々。
ロミオとジュリエットの祖父母に当たる国王夫妻は内密に処刑されていた。
【処分の個票】フォルダもある。
義務違反者の中でも、公開審判にかけられた者たちの名前と罪状が一覧で並ぶ。
見覚えのある名前、オーレン・ミッチ。 審判にかけられたあの日の記載だけではなく、備考に注意書きがある。
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〈 備考 〉
分国暦 元年 稜月・一日
嫌疑不十分:今後の動向を常に監視すること(監視対象Sランク)
内容:分国の儀の継嗣儀式の指導役として、両殿下に接触。かねてより偏った思考の持ち主という評もあったが、儀式精通者が他におらず採用となる。秤の紋の交換時、予定していた光と音が鳴らず、紋の不具合と処理。儀式官以外に紋に触れたものは当該者と両殿下のみ。
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やはり、国分けの儀式に何かあったのだ。大人に渡され握りしめていたものが、「紋」なのだろう。
不具合があって、音と光が鳴らなかった-------つまり、条件が発動しなかった。
書庫で見た薄い冊子にあった注意書きは、このことを指すのだろう。
画面をスクロールしていくと、【超極秘】と書かれたフォルダがある。
このフォルダだけロックされており、さらにパスコードの入力が求められた。
ホルトへ視線を向ける。彼は黙って首を横に振った。
「そのフォルダにアクセスできるのは、総領主様だけです」
フォルダの中身は気になるが、ある程度の情報はつかめた。
国分けの儀式にオーレン先生が絡んでいたことは驚きだった。
でも、もう先生から話を聞くことはできない。見届けたのは他でもない、自分なのだから。
「殿下、次の巡回まであと十分です。外は俺が見ています。出ましょう」
「わかった」
ロミオたちは総領主の執務室を後にした。
+++
今夜、ホルトを逃がす。極秘ファイルへの管理違反が露呈するのは、早くて明日だろう。
日が落ちてから、ベンとともに総領主直系にだけ伝えられる秘密の通路を抜け、最小限の荷物を持った彼と落ち合う。ロミオたちは急ぎ、緩衝地帯へ向かった。
ベンがゴンドラの底板を外す。
「殿下はここまでです。あとは俺の仕事なので、星でも見ながらうたた寝していてください」
「断る」
「三回目ですよ、それ。護衛対象がいると動きが鈍るんです。おとなしく姫君への暗号文の草案でも考えといてください。そろそろ送らないとマズいですよ」
「わかっている」
「わかってるなら、お留守番しててください」
前回はベンが譲らず、一人で地下へ潜った。だが、私は今夜だけは譲れなかった。
オーレン先生の公開審判を私は見届けた。あの日、私にできたのは目を逸らさないことだけで、なぜ先生が刑に処されたのか、理由をずっと探していた。
ジュリエットたちと地下へ行ったとき、確かに私の正しさは揺れた。
そして、今日の極秘ファイルの内容。
自分がこれまで教えられてきたもの、正しいと信じてきたものが崩れ、疑念に蓋をしていたことを自覚した。
もはや目を背けることができない、「国の在り方」への信頼がはっきりと崩れた。
ホルトの行いは「私憤」ではない、「義憤」だ。
私はムスト国の継嗣。ならば私の行いは「公憤」にしていかなければならない。
私の目をじっと見つめていたベンが、盛大にため息を吐いた。
「俺って護衛失格ですよねぇ」
「そんなわけないだろう。最高最強の護衛だ。行くぞ、ホルトもいいな?」
「はい!」
3人で地下へ降りていく。旧運河の底は、十三日の夜と同じ匂いがした。
乾いた石と、鉄と、どこか遠くの油の匂い。
わずかな灯りの中、沈黙が流れる。ロミオはホルトの様子が気になって声をかけた。
「いま、何を考えている」
「先生なら何と言うだろうと、そればかり」
その答えは、もう誰にも聞けない。
広場に出てすぐに、暗がりの先からしゃがれた声が飛んできた。
「地下に落ちるやつってのは、継嗣のことか?茶髪」
「そんなわけないでしょう。高貴な付き添いです」
ホルトは初めて見る地下に、声も出せなかった。
「ロレンス殿」
「殿はよせ。虫唾が走る」
ロレンスは手にした明かりを持ち上げて、ホルトの顔を無遠慮に照らした。
「まだ若いな。賢そうに見えて地下に落ちるか。いや、賢いからこそか」
「ロレンス、彼は今日、国を捨てた」
「わかった。落ちてくるやつを地下は受け入れる。ただし……」
ロレンスは明かりを下ろすと、急に声の高さを変えて続けた。
「先に言っとくぞ。ここに落ちる以上、印は外す。例外はねえ」
「はい、ベン殿から伺っています」
「一瞬だ。電気が一発走って、終わる。痛えのは瞬きする間だけだ。ただしな」
そこで言葉が切れた。
「記憶が抜ける奴がいる。全員じゃねえ、人による。家族や知り合いの顔が消える奴もいりゃ、十年くらいの出来事がまるごとなくなる奴もいる。運だ。俺は保証せん」
「……先生のことも、忘れますか」
「知らん」
「そうですか。でもやります。刻印を消してください。ここで生きると決めたんです」
そう言って、ホルトはロレンスに向かって深々と頭を下げた。
ホルトは、彼なりの正義でここまで来た。その行動の元になった人を、明日には忘れているかもしれない。
忘れてしまえば、今夜自分が人生を捨てた理由さえ、わからなくなる。
「ホルト」
ロミオが呼びかけると、彼が顔を上げる。
「君が大切なことを忘れても、私が覚えている。君がオーレン先生の教え子だったことも、公開審判のあとに一人で先生を悼んだことも、あの部屋でパスコードを打つときの覚悟の顔も。全部だ。君の正義がどこから来たのかは、これからの私が背負っていく。これだけは伝えたかった」
ホルトは俯き、言葉を発せないようだった。嗚咽が聞こえる。聞こえないふりをした。
「おい坊主」
ロレンスが鼻を鳴らす。ベンが眉を吊り上げロレンスを睨むが、彼はどこ吹く風だ。
「上でそういう長ったらしい演説を練習してんのか」
「……練習はしていない」
「したほうがいいぞ。半分は要らん」
「ムム……」
ロレンスはホルトの背をどやしつけるように叩いた。
「おい若造!字は書けるな」
「書けます」
「上等だ。総デジタル化時代でも学のあるやつは字が書ける。地下にはガキが三十人いて、教える大人が足りん。こき使ってやるから、印なんてさっさと消して、明日から働け!」
ロレンス流の慰めと励ましは荒っぽいが、歓迎されていることがわかりホルトも安心だろう。
早速、刻印を焼くという。前回の訪れでは説明だけだったので見るのは初めてだ。
ホルトが膝をつく。ロレンスの手元で、青白い光が一度だけ弾けた。
音は指を鳴らすくらいの大きさで、それだけで彼は一瞬うめき声をあげ、前のめりに崩れた。
「終わりだ。今日は休め」
数人がホルトを介抱するように抱きかかえ、奥へ連れていく。
ロミオはロレンスら地下の人たちに、ホルトのことをくれぐれもよろしく頼むと言づけて、地上へ戻った。
地下からの戻りの道で、ベンは一度も口を開かなかった。
旧運河を出て車に乗ってから、ロミオは口を開く。
「……ベン」
「はい」
「今夜のことを、ジュリエットになんて書けばいい?」
「木の名前でどうぞ」
「木の名前で、こういう夜が書けるか?」
「書けます。というか、木しかないでしょう。殿下、俺が作成した『これであなたも木言葉マスター、初級編』いります?」
「いる」
窓の外を、花守の月の最後の夜が流れていく。
明日から、暮月だ。
そのころのジュリエット——家庭教師からの課題を解きつつ、通信機が鳴るのを待ってます。
恋愛、どこ行った?




