第十話 届いた言葉が告げる、夜に溶ける前の茜
暗号のはじまりです。
朝起きて、期待してチャットを開くと、ロミオからの返信は来ていなかった。
「そんなにわかりやすく、落胆なさらないでください」
マーサが慰めの言葉をかける。私、そんなにわかりやすいのかしら。
いつも通り朝の放送を聞きながら、身支度を整える。あまり公務も入れられていない私は、勉強するくらいしか予定がない。
夕方、すべてのスケジュールを終えて自由時間になり、さて今日はどんな恋物語を読もうかと、プライベートのブラウザを開いたとき、チャットの新規受信のお知らせが画面右下に表示されていた。
(わわわっ、返信が来たっ)
ドキドキしながら、開封する。
彼はどんなラブレターを送ってくれたんだろう。
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From : ベンヴォーリオ
To : マーサ
日付 : 花守の月・十五日
件名 : こんにちは
マーサへ
忙しくて、すぐに返信できなくてごめん。
今日は殿下の視察の随行で、また旧運河に行ったんだ。
昼の光のなかで、オリーブの枝を見かけた。
平和と知恵と安らぎ——あなたにも届きますように
ベンより
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「来た、暗号だわ」
マーサと一緒に木言葉をサイトで調べる。
【オリーブ:木言葉とその由来】
・「平和」:ノアの方舟の伝説において洪水が引き、大地が安全になった報せとして鳩が枝を持ち帰ったことに由来。
・「知恵」:ギリシャ神話の女神アテナが、都市の支配権を巡る争いで人々に授けたとされ、国家の機密や統治の象徴。
・「安らぎ」:荒れ地でも豊かに育ち、古くからその土地の価値(地価)を高め、人々に平穏をもたらしたことに由来。
平和と知恵と安らぎ——あなたにも届きますようにと、ロミオは書いた。
つまり.....
「平和」 ⇒ 【安全】
「知恵」 ⇒ 【機密】
「安らぎ」 ⇒ 【地価】
地価を地下と読み替えると「(旧運河の)地下の秘密は守られている、安全だ」ということになる。
謎解きに成功したといってもいいだろう。
一見すれば、視察先で見かけた風景を恋人に共有する、他愛のない世間話だ。
厳重な検閲官たちの目も、これなら素通りするに違いない。
「無事、暗号を解読できたと伝えるべきかしら?」
「その方があちらも安心なさると思います。それよりも、お返事ですよっジュリエット様。私たちに暗号作りなんて、できるでしょうか?」
「気持ちはわかるわ、マーサ。でもやるしかないのよ!」
まずは「成功」という花言葉をもつお花をマーサ作成の一覧表からピックアップし、前後の文を整える。
マーサと四苦八苦しながら、ようやく完成した。
これは難しい.......私たちはミステリー小説も読むことにした。どうせなら、的確でウィットの効いた『暗号』を書いて送りたい。
目標ができると日々の勉強にも気合が入る。ロミオも頑張って暗号を作ってくれたのかな。
難なくサラッとこなしちゃいそうよね。ふふ♬
ご機嫌なジュリエットは、ベンが聞いたら卒倒しそうな想像をしながら、寝る支度をする。
マーサを下がらせ、あとは送るだけになった文章を何度も何度も推敲する。
「練りに練った暗号と文章だもの。大丈夫よ!」
ジュリエットは日付が変わったころ、ようやく送信ボタンを押した。
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From : マーサ
To : ベンヴォーリオ
日付 : 花守の月・十六日
件名 : おつかれさまです
ベンへ
疲れているのにお返事をくれて、ありがとう。
また旧運河の視察に行ったのね。今日もお仕事頑張ってて本当にすごいと思う。
私はまだまだ学ぶことだらけで、全然なの。貴方のこと、とてもとても尊敬してる。
届いたオリーブの木の『安らぎ』のおかげか、情けない自分に落ち込んだ気持ちが、少し浮上できた気がする。ありがとう。
大好きな青いネモフィラを見て、明日もまた頑張ろうと思う。
貴方からの言葉がすごく心の支えになっているの。
またラブレターを送ってね。
マーサより
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この暗号、ロミオにちゃんと届くだろうか。朝が来れば、またロミオから返事がくるかもしれない。
お気に入りの恋愛小説の更新よりも、楽しみだ。
ほんの少しの本心を忍ばせて、ジュリエットはベッドに入った。
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私はおかしくなってしまったのかもしれない。
朝起きてすぐのルーティーンは、素振り百回と決まっている。
汗を軽く流して朝の放送をチェックし、ネヴァの動向を確認してから公務に入る。
何年も続いた正しい手順。
なのに今、私は木剣ではなく、通信機を握っている。
新規受信を知らせる画面表示を無視することなんてできなかった。
......これはそう、情報交換が成功したかどうかを確かめる必要があるからだ。
私には継嗣として、暗号が正確にあちらへ伝わったかどうかを把握する義務がある。
そっと画面を開く。
「ネモフィラ、宝石か? それとも.......」
思わずつぶやくと、画面を一緒にのぞき込んでいたベンが、ササっと花言葉が載っているサイトを開く。
【ネモフィラ(Nemophila)】
ハゼリソウ科の一年草。和名は瑠璃唐草。
主な花言葉:
⦿「可憐」:愛らしく咲く青い花の姿から。
⦿「あなたを許す」:ギリシャ神話における、結ばれなかった恋人たちの悲恋の伝承に由来。
⦿「成功」:ひたむきな愛が天に届き、一面を青い奇跡で満たしたという伝説から、物事の完全な成就(成功)を意味する。
「なるほど、ネモフィラは花か!花言葉は可憐。ジュリエットにぴったりだな」
「殿下、それには激しく同意しますが、この場合注目すべきは『成功』でしょう」
「あっ.......そうだったな」
暗号通信だった。
うっかり普通に文章を読んで、ジュリエットのいじらしさとひたむきさに胸が打たれて、花言葉も「可憐」しか目に入っていなかった。
「どうやら姫君は、こちらの送った暗号の意味をちゃんと受け取ってくれたようですね」
ベンは満足げにそういうが、チャットにある「全然なの」「情けない自分に落ち込んだ気持ち」の方が気になってくる。
私はすごくなんてないし、尊敬されるほど継嗣としての実力があるわけでもないが、こんな自分でもジュリエットの心の支えになっているんだろうか。
だとしたら、すごくうれしい.......かもしれない。
ジュリエットは勉学ができて優秀だと聞いている。なぜか自己評価が伴っていないようなので、「そんなことないよ」と言って頭を撫でてやりたい。
いや、四歳のころならいざ知らず、十六歳の成人女性の頭を撫でるのはいかがなものか。頭ポンポンならギリいけるか。
「殿下、殿下、全部口に出ちゃってます。頭ポンポンも控えてください。そもそも接触禁止ですし........ロザライン様がおられます」
一気に現実に引き戻される。
そうだ、私には婚約者がいる。ジュリエットの頭を撫でて慰めるのは、決して私ではないのだ。
将来、ネヴァ国をジュリエットとともに治めていく、見知らぬ男がジュリエットを支え慰める。
一日の公務を終えてジュリエットへの返信を考える。
窓の外に目をやれば、美しい夕焼けが街並みを茜色に染めていた。
自分の心の中にも、朝の訪れとともに届いた彼女の言葉が、今も胸の奥で燻ぶっている。
でも、これ以上考えてはいけない気がした。
その先にあるのは、すべてを真っ暗に塗りつぶす夜しかないのだから。
ロミオ、返信書けるかな.....




