第十八話 西中の原北部からの脱出
針のように細い葉はいまだ深緑色をしている。横に広がった枝の先には、両手で持たなければもぎ取れないような大きさの松ぼっくりがくっついている。
この辺りは同じような木が生えているらしくて、陰になった部分の深緑色と陽の当たるやや淡い色の緑があいまいな縞模様をつくっている。
標高が高いせいか吹く風が冷たい。思わず枝を持った手に力が入り、俯いてしまう。
視界を遮る葉の間から、二足歩行するチェインメイルを着て槍を持った豚とイノシシのあいの子のようなものの群れがうろついているのが見える。
「あれって、やっぱりオークですよね」
小さくささやくように、パウルさんに聞いてみる。
「そうだな。オークだな」
パウルさんも声を低めてささやいてくる。
「オークに混ざってオーガもいませんか」
「そうだな。オーガもいるな」
足元はあまり見ない方が良いだろう。私はそんなには高いところが得意ではない。
せっかく、眺めの良いところにいるのだから、心を穏やかにして美しい景色を楽しめば良い。
空を見上げると、上空には確か一匹金貨十枚の価値のある石の塊が三十匹ほど飛んでいる。
「あれって、やっぱりガーゴイルですよね」
「そうだな。ガーゴイルだな」
唸り声が聞こえてくる。
後ろを振り返るとベアトリクスが腕を組んで睨んでいる。
「どうしたの? ベアトリクス」
「どうしたも、こうしたもないでしょうが。さっきから同じことばっかり言って。これからどうするのよ」
「そう、唸るな。今のところは手立てがない。大人しく機会を待つしかないぞ」
「全く。パウル流飛行術を使っている時はパウルさんがお椀にかかりっきりになって、ガーゴイルを追っ払うことすらできなくなるなんて盲点だったわ」
うーん……。
また唸ってる。
どうして、こうなったのか。
衛兵隊が逃げる時間を稼ぐために囮になったからだ。
もっとも追い回されたのはこちらだが。
話は二時間以上前に遡る。
ハンスさん達を見送った後、適当な木に登って様子を見ていた。
オークが小屋に入って行ったなと思っていたら、入れ違いにガーゴイルがぞろぞろ出てきた。夜が明けたから交代したようだ。
バタバタと飛び上がってくる。
「いかんな。衛兵隊が見つかってしまう。連中今日は人間相手だから、聖水の用意がないぞ」
ガーゴイルに普通の矢は通用しない。魔法兵が何人かいたが、森の中で空飛ぶ奴を相手にするのは、ちとつらい。
「儂らが囮になるぞ」
「大丈夫?」
「任せておけ。パウル流飛行術で振り回してやるわ」
勢いよく飛び出したのは良かったのだが、飛行術では相手の方が上だった。散々追い回された。
「止むを得ん。北に逃げるぞ」
「えっ? 北?」
「南と東には行けん。味方がおるかも知れん。かと言って西に行けば帰って来れんようになる。北ならば山の傾斜が利用できるし、味方からも遠ざかる」
「傾斜?」
「そうじゃ。これ以上、上がると底が抜ける。なんとか今の高さで山際まで飛んで行って、木の陰に隠れるぞ」
北に向かってまっすぐに飛んで行く。
「ベアトリクス! 来たわよ!」
「ああー! もう!」
至近距離まで近づいて来た奴は、ベアトリクスが雷の魔法を放って羽に穴を開けた。
くるくる回りながら落ちていく。
相手は魔法を使えない。近づいて来て爪で薙ぎ払おうとするだけだ。
お椀を先頭にガーゴイルがほぼ一直線に並んで列を作った。
「一匹ずつ来てくれるから簡単ね」
「最初からこうしてりゃ良かったのよ!」
山小屋の上での空中戦では、お椀が何度も方向転換したせいで、二人共何度も外した。
キレながら雷の魔法でガーゴイルを撃墜するベアトリクスを宥めていたら、段々高度が下がってきた。
いや、違う。山の傾斜に差し掛かった。
「ちょっと、大丈夫? 木に引っ掛かって落ちたりしないわよね?」
「ジャンヌ。カモフラージュの巻物を出してくれ。姿を消して木の上に逃げるぞ」
これはいけない。緊急事態だ。
慌てて巻物を取り出して姿を消す。
「掴まっておれ」
急角度で方向転換したお椀は、少し東の方に進んだ後、大きな松の傍に止まった。枝の上に乗り移って避難した。
当然、ガーゴイルは上空を警戒する。潜んでいるうちにガーゴイルがオークを足に掴んで運んできた。
そして、現在に至り、私とパウルさんは風景を楽しみつつ魔物の種類を確認し、ベアトリクスが唸りながら腕を組んでいる。
「そう心配するな。夜になれば間違いなく逃げ切れるぞ」
「そうなんですか?」
「ああ、ジャンヌがライトを最大光量で光らせれば連中の目をくらませることが出来る。そうなればパウル流飛行術で逃げる時間を稼げるだろう。一旦距離をおけば大丈夫じゃ」
確かにそうだ。東の原でもライトはガーゴイルに効果的だった。点けたり消したりしていれば目くらましにはなる。
「じゃあ、大丈夫ですね。ここでゆっくりと潜んでましょうよ」
「問題はカモフラージュの効果がもつのは後一時間くらいなのだが、完全に陽が落ちるまでは五時間はかかる点だな」
太陽はまだ真南には登り切っていない。
うーん……。思わず私まで腕を組んで唸ってしまった。
まさか、太陽が敵の助けになるとは……。
カモフラージュを使っても、影を追いかけられたら逃げられない。せめて天気が悪ければ……。
南の空を見上げると、青空に太陽が眩しい。
ん? ちょっと、待てよ。
魔物は太陽の光が嫌いなはずだ……。太陽は南、やや東にある……。それならば……。
「パウルさん、ベアトリクスもちょっといい?」
思いついたことを二人に相談した。
こそこそとお椀に乗り込む。
お椀を浮かせて枝から離れる。
「姿を現しなさい!」
木の上に出たところで、カモフラージュ解除の合言葉を唱える。同時にお椀が飛行を開始した。飛んでしまえばオークなどは恐れるに足りない。木の上を飛んでいるから矢も来ない。
問題はガーゴイルなのだが……。
「右から二匹、後ろから三匹、上から二匹、正面から一匹!」
見張り役のベアトリクスが四方八方を見ながら声を上げる。どうやら囲まれた。
「ジャンヌ! 前は任せた!」
ようし。五年相当の分際で十五歳の私に正面から挑んだことを後悔させてやる。
「突っ込むぞ!」
スピードを上げた。上から来たのと後ろから来たのを置き去りにする。正面のガーゴイルとの距離がぐんぐん縮まった。
「エナジー・ボルト! エナジー・ボルト!」
ベアトリクスが右から来た奴を二匹撃墜した。
次は私だ。
十分に引き付ける。
「ホーリー!」
見事命中!
パウルさんが急上昇する。お椀の下を抜けて行ったガーゴイルは、翼が片方動かなくなった状態で木の中に突っ込んだ。一撃必殺とは行かないが、当たったところの動きを止められることくらいは、山小屋上空の空中戦で分かっている。
「そのまま、太陽目掛けて突っ込んで下さい!」
「分かっておる。任せておけ!」
そのまま、ひたすら上昇する。
付いて来るのは十匹ほどだ。
必然的に、ガーゴイルは私達の後を、つまり太陽目掛けて飛ぶことになる。
「ギャッ! ギャッ!」
両手で顔を抑えながら飛んでくる。
眩しいのだろう。月が魔物の味方なら、太陽は人間の味方だ。
「ベアトリクス! 今よ!」
「はいよ!」
ベアトリクスが巨大松ぼっくりをお椀の底から取り出した。ベアトリクスと二人で支えたやつを、パウルさんが枝を揺らさない様に時間をかけて山刀で切り取った。
そう重くは無いが十分に大きい。それをお椀の縁からゆっくりと落とす。
「パウルさん!」
「はいな!」
一瞬お椀が加速する。松ぼっくりはウィンドウ・バリアが解除され私達を飛ばす風の力で、弾かれたように後ろに飛ばされていく。
目を覆っていては避けられまい。
見事命中した。軽いからダメージが浅い。空中で急停止させさえすれば良い。後続がぶつかってきて、もつれるように落ちていった。これで距離を稼げる。
「思ったよりも上手くいったわね」
ベアトリクスがハイタッチしてくるが、問題はここからだ。いい加減上昇している。
「そろそろ降りるぞ」
ゆっくりと降りるなんてことはできない。落ちるだけだ。
「掴まっておれよ」
縁をぎゅっと握りしめる。
底が抜けないように後ろの方だけを少しずつ解体するから前には進むが、どんどん高度が下がってくる。
太陽を気にせずにすむから、ガーゴイルも追いすがってきた。数が多いので魔法で全部は倒せない。余力は残しておいた方が良い。
落ちる怖さを懸命に我慢して、ベアトリクスと二人で松ぼっくりを投げつけたり、魔法で撃墜したりして、必死になってしのいだ。
落ちる途中でまた上昇する。
ギリギリまで粘って木の枝すれすれになってから上昇した。急降下してきたガーゴイルが一匹木にぶつかった。鈍い音がしたから砕けたかも知れない。
上昇中は安心だ。ガーゴイルは太陽が眩しいから、碌に追いかけて来られない。闇雲に飛んでくる奴は松ぼっくりをぶつけて撃退できる。
上がったり下がったりしながら少しずつ数を減らし、なんとかガーゴイルを振り切った。
太陽が真南を過ぎた。
もう、一時間は飛んだ。私とベアトリクスも魔法が打ち止めに近い。
「そろそろ、休まねばならんな」
「今どの辺にいるの?」
「右の方を見てみろ」
言われて右を見ると、遥か遠くに煙が一筋立ち上っている。
「何ですか? あれは?」
「恐らく山小屋だろう。オーク共が火を付けたんだろうな」
「なんで、そんなことを」
「ここは魔物の領域だ。渓流の北に来ると、ああいうことはたまにあるんじゃ」
来る途中が安全だったので忘れていた。渓流の北はベテランの猟師も立ち入らない。
「他国から流れて来た連中が食い詰めて野盗や山賊になると言われておるが、衛兵隊も簡単には討伐に行かんだろう? 渓流の北に拠点を構えておる奴らは放っておいても魔物に食われるからな」
「じゃあ、どうして今回は?」
「攫われた者がおるかもしれんかったからだ。そういった場合は、何がなんでも助け出さねばならん。正しい弱者を守るのは衛兵隊の義務だ」
護るべき者のために……衛兵隊のモットーを思い出した。以前ブリジットさんに聞いた時、護るべき者とは町や村の人達のこと、と答えが返ってきた。
「護る、か」
ベアトリクスが呟いた。
「魔法を使う私達は、魔法を使えない人達よりは強いから、そういった人達を護らないといけないのよね」
「そうじゃ。それが魔法使いの義務だ」
「難しいわね」
「お前達はよくやっておるよ」
ベアトリクスを見ると、一生懸命に口をへの字に曲げているが、目がはにかんでいる。
「これからどうするの?」
「本来であれば、マルセロ達と合流せねばならんな」
「じゃあ、東に行くの?」
「襲撃前に何かあった場合は、状況に応じて退路を確保し、先に撤退することになっておったろう?」
「マルセロさんがどういう風に撤退したかなんて分かるの?」
「皆目分からんな」
がっくりだ。ここが地べたなら、両手を地面についているところだ。
「なので、儂らは儂らで撤退する。それはマルセロも分かっておるはずだ」
ベアトリクスと二人顔を見合わせる。どうするのだろうか?
「とりあえず飯を食おう。腹ごしらえをしてから考えよう」
「なにそれ、何も考えてなかったってことじゃない!」
「すまん。腹が減ってしもうてな。考えることができんかった」
二人して盛大にため息をつく。
「なに大丈夫じゃ。中の原のブラッディ・パウルがおるんじゃ。安心せい」
だから不安なのよ、とベアトリクスが耳元で囁いてきた。
「うん? どうした?」
「なんでもありません」
とりあえず二人して目を逸らしておいた。




