吸血城塞
ドラッケン伯爵が令嬢の首に犬歯をつきたてようとした、その瞬間、ガウンがめくれて、光のきらめきが生じた。ダシュコフの町で、ミランが女主人に贈ったネックレスである。光神教会付近の聖具屋で買った十字形護符だ。光が十文字に輝く事から、光の神バルドルの象徴であり、光神教団の聖具となっている。
伯爵は反射的に顔をそむけた。悪龍の呪いのためか、未だ原因は解明されていないが、吸血鬼は陽光の光を疎い、陽光をシンボル化した十字形護符をも苦手なのだ。
「うううぅぅ……それを……しまいなさい……」
伯爵が強く言うと、アンドレアは思わず、従いそうになる。これは吸血鬼の魔力〈強制〉だ。催眠術師の暗示にかかった被験者のように、アンドレアがネックレスの十字形護符を取ろうと手を伸ばした。が、気を強くもって、十字護符を握りしめ、伯爵の顔に向けた。護符のあたった頬が火傷をおこし、白煙があがる。
「ぐおおおおおおっ!」
伯爵はマントで顔を覆い、空中庭園の反対側に通用口から逃れて行った。侯爵令嬢は気が抜けてへたりこむ。
「はぁはぁはぁ……ミラン……ありがとう……」
アンドレアの背後の繁みの奥に庭園全体を覆うガラスの壁がある。夜に咲く花の蜜にさそわれて、白い蛾が群れていた。その近くに大きな楕円形の物体が張りついている。長く細い手足を伸ばし、指先に吸盤があった。それは人間ほどの大きさもある蛙のシルエット。大ガエルは長い舌を素早く伸ばして蛾を捕捉し、モシャモシャと咀嚼していた。大ガエルはベタリと地面に降り立つ。
「……伯爵さまに無礼な真似をするとは……許せねえだ……」
アンドレアの背後から、不気味な影が近づいていく。それは蛙が立ち上がったような異形の影法師であった――
その頃、ミランのいる部屋は吸血鬼に襲撃されていた。火事用に廊下に常備された消化斧をドアに振うスヴェトラ。ドアが破壊され、リリアナがドアを蹴り破った。吸血鬼化したことで彼女達は強靭な男性戦士以上の怪力を発揮する。
「ぬっ……いない……」
部屋のなかは蛻の殻だった。グリフェは鷲の翼を再び広げ、ミランを抱えてバルコニーを飛び越え、地上に降り立っていた。タートルもミミズクから人間体に戻っている。そして、東側の兵舎に向かって走っていた。そこに要塞司令官・総督のパワーズフッド男爵の住居の小城がある。グリフェとタートルは、いざというときのため、要塞の非常用脱出口を兵士から聞きだし、司令官の居場所も把握していた。
「ふううう……カフェインで大分、酔いが醒めたぜ……」
「それより、なんなんですか、この事態は?」
「それがな、ドラッケンの配下が襲ってきたんだ……アンドレアはすでに連れ去られたかもしれん……」
「そんな……ロドニーン要塞こそ、アンドレア様の安住の地のはずだったのに……」
「総督に吸血騎士の襲撃をおしえ、兵士たちをつかって人海戦術でアンドレアを探すんだ!」
「はいっ!」
東の小城へ進む途中、本城の大扉が開いていたので、中に入った。ここの大広間の階段から吹き抜けの二階の渡り通路を通った方が早い。広間に背中をむけた兵士が六人、モップがけをしていた。
「おい、大変だ。敵の襲撃だぞ……吸血鬼騎士がゲスト用宿舎に侵入してきた!」
「なんですって、それは大変だ……」
声をかけた兵士が振り向くと、異様に青白い肌色で、瞳が血色に染まっていた。犬歯がながく伸びている。他の五名も同様だった。
「ひええええええっ! すでに、吸血鬼になってら!」
タートルが両手をあげて悲鳴をあげる。その二人の背後に白いドレスを着た青白い肌の美女が出現した。白いドレスが死者を包みこむ埋葬布にみえる。咽喉に紅いスカーフを巻いていた。双眸が赤く燃える陰火である。
「侵入者を捕えるのですよ、わが下僕(しもべたち」
「あっ……あの方は……ドラッケン中将の側室となったベアータ様です……彼女も吸血鬼に……」
「ちっ、まだ吸血鬼がいたのか……」
ミランが吸血美女の正体をのべ、グリフェは舌打ちをする。
「ほほほほほ……さあ、生き血を吸ってやるのですよ……」
「ベアータ……こんな事はやめて……」
「ほほほほほ……アンドレア……あなたも伯爵さまの花嫁となるのですよ!」
吸血鬼兵士たちがノロノロと両手をあげてグリフェ、タートル、ミランに迫る。時間をかけて吸血鬼化させるのを、短時間で成し遂げた後遺症で、動きは鈍いようだ。だが、このままでは同じ使い魔吸血鬼にされてしまう……
「そうはいくかっ!」
グリフェが鞘から聖銀の大剣を抜き、手前の兵士から斬り下げていく。だが、吸血鬼どもの数は多く、ノロノロとゾンビのように迫ってくる。彼らは大広間を抜け、階段を駆けのぼっていく。そのあとをノロノロと吸血鬼の群れが後を追う。兵士たちは次第に増えていく……
「くそぉぉぉ……数が多すぎる……」
「グリフェ殿、タートル殿、あそこに誰かいます!」
二人のスレイヤーがミランの指差す方角を見る。階段の上は回廊になっていて、小城へ続く渡り廊下の通用口がある。そのひとつから、黒い服を着た女が駆けてきた――




