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月下の空中庭園

 その頃、アンドレアはガウンを羽織って、侍女ノエミに案内され、廊下の突き当たりにいる子爵と会った。侍女はいつの間にか消えている。 


「さあ、こちらへ、アンドレア嬢。庭園にお見せしたいものがあるのですよ……」

「庭園? ロドニーン要塞にそんなものがあるのですか? アボイル子爵さま……」

「ずっと前に着任した総督が風流な方で、都の造園業者を呼んで造らせたとか……パワーズフッド男爵も、武辺一筋に見えて、風流なところもあり、庭園を憩いの場として兵士や職員たちに開放しているのですよ……」


 貴公子が令嬢を連れ添い、空中回廊を歩んでいく。月光が二人を照らしていた。小城の一角にガラスハウスで覆われた空中庭園があった。要塞周辺の高山植物はもとおり、低地や各地方の花と植物が植えられていた。チューリップ、薔薇、水仙、オリーブ、黒百合、牡丹、菊、睡蓮、金木犀、椿、糸杉、紅葉、サンザシ、楓、デイゴ、赤松など多様な植物の楽園である。


「まあ、素敵……」

「ふふふふ……荒涼とした要塞の小城に、まさかこんなところがあるとは、意外でしょう?」


 庭園の中に四阿あずまやがあり、アボイル子爵が中に招いた。中に人影が見えた。背の高いマントを羽織った偉丈夫のようだ。彼がマントを翻して振り向く。その姿はダンディでハンサムな四十代の男であった。スタイリッシュなカーキ色を着こなし、豪華絢爛な装飾がほどこされている。


「よくぞ、参られたアンドレア・ユルコヴァー侯爵令嬢……」

「……あっ、あなたは……まさか……まさか……ドラッケン……」

「そうです。あなたをお慕いして、西の果てまで参上いたしました……」


 ギャリオッツ帝国東部に領地を持つ伯爵にして、ミアーチェ方面駐留軍司令であり、敵軍からも戦略家としても知られるドラッケン中将が、柔和な笑みで令嬢を待っていた。


「これは……どういう事ですか……アボイル子爵!」

「ふふふふふ……プラグセン王国は……いや大陸のすべての国は、いずれギャリオッツ帝国に支配される運命さ……ならば、今の内に内応して、帝国で地位を得る方が利口というものだよ、アンドレア……」

「しかし……しかし……あなたは主戦派のメンバーで……」

「戦力の劣る王国で戦争を主張すれば、軟禁されるのは分かっていたさ……こうすれば、戦地に送られて死亡する事もないだろう?」


 アボイル子爵は夜光草の花を一輪つむいで、香りを嗅いだ。


「なっ……それを計算して……なんという姑息な……」

「利口といってもらいたいなあ……ボクは野蛮な事が嫌いでね……ドラッケン伯爵には亡命貴族として、ギャリオッツで優遇されると約束されているんでだ……君には申し訳ないけれどね……」

「なんという卑劣漢……」


 己の保身のため、元婚約者を敵国に売り渡したのである。憤った令嬢はアボイル子爵の右頬を平手打ちにした。


「ひいいいいいいっ!!」


 さらに左頬をぶとうと、ふりあげた繊手は鉄の手につかまれた。ドラッケン中将である。


「まあまあ……アンドレア嬢……彼のお蔭で再会できたのだ、無下むげにあつかわないで欲しい……」

「そうだそうだ……乱暴な娘め……」


 頬を押さえたアボイル子爵がドラッケン伯爵にすり寄る。


「伯爵さま……あなた様の国で、詩と歌と文学とお洒落……ミアーチェの文化を伝えていく心算つもりです……お役に立つので是非とも、このわたくしめにお情けを……」

「わかっているアボイル子爵……きみの内通の功績は最大限に評価しているよ……私は初めて訪れる場所は誰かに案内されないと入れないものでねえ……」


 伯爵が笑顔で貴公子の肩に手を置いた。アボイル子爵は左肩にチクリと痛みがはしり、激痛となって顔をしかめた。


「うううっ……熱い……なんですかこれは……うぐぅ……ぎゃああああああああああああっ!!!」


 裏切り者の貴公子は左肩を中心に自然発火現象がはじまった。彼の肉体は高熱により灰化かいか現象を起こし、体内の水蒸気が周囲に霧散し、生きながら灰となっていった。ドラッケン伯爵の毒爪には、人間を数秒で灰燼と化す猛毒が含まれているのだ。アボイル子爵は全身から灰を振り落としながら、アンドレアの元へふらふらと歩いて行く……


「きゃあああああああああああああああああああああああああっ!!!」


 両手を口にあて、悲鳴をあげる令嬢を漆黒のマントが翻って包み込み、その風圧で灰人間は崩れていき、燃え殻が庭園の土壌に撒き散らされた。余りの怖ろしい光景に繊細な侯爵令嬢は気を失いつつある。


 屈強な腕で令嬢を受け止めたドラッケン伯爵は、血の気のうせた彼女の白い喉元をみて身震いした。


「なんと美しい……プラグセン王国は美人が多いというが、七人の側室候補のなかでもアンドレア嬢は至上の麗しさを誇る……」


 ――ああ……誰か……助けて…………


 ドラッケン伯爵の双眸が、ガラス庭園の薄闇のなかで赤く輝き、乱杭歯が伸びる。牙が白い喉元に迫り、切っ先が頸動脈に触れ、嬲るように肌を愛撫した。このまままでは、アンドレア嬢はドラッケンの毒牙にかかってしまう……


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