ダンフォース司祭
優美な曲線を描く肩甲骨……狼の紋章たる徴はどこにも無かった……修道女達は敬礼をして、退出していった。
「ふうう……上手くいったわ……肝が冷えちゃったわ……」
アンドレアがベッドにガニマタに座りなおして安堵の息を吐いた。
「ちょっと! お下品な座り方をしないで、タートルさん!」
衣装戸棚の扉が観音開きになり、中からもう一人のアンドレア・ユルコヴァーが出てきた。真っ赤になって怒っている。
「あらま、こりゃまた失礼……」
半裸のアンドレアの肉体に細波が走り、カンカン帽に縞チョッキのタートル・ピッグの姿になった。
「男の姿ではなく、女性の姿になってちょうだい!」
「ええっ? ほいきた、合点……」
アンドレアが顔を真っ赤にし、抗議するので、タートルは老婦人の姿になった。侯爵令嬢の頬の赤味が引いていった。
「うむ、それでよいのじゃ……」
「あのう……なんでこちらの姿だといいのかしら?」
「複雑な乙女心じゃ! お主も女ならわかるじゃろ?」
「なるほどぉぉ……って、あたし、本当は男ですからね!」
「そうじゃったな……しかし、お主には何故か言いやすいところがあるのでな……」
「ほほほ……あたしの仁徳かしらね。ついでにアンドレアちゃんには、老婆心ながら伝えたい事があるわ……」
「……なんじゃ?」
「どうもあなたには背中の傷だけでなく、心の傷もあるようね……表面からは見えない心の闇の奥底に……」
「……………………」
「でもね、人間だれしも皆、心の中に傷があるものなのよ。心理学者はトラウマっていうわね」
アンドレアはタートルとグリフェが亡国の徒だという事を思い出した。彼らにもトラウマがあるのだろう……
「ときどき、この心の傷はときどき疼いては、思い出して暗い気分になってしまうの……でも、皆それを抱えて生きていくものなのよ……」
「……普段から陽気なお主もか?」
「そうよ、ほほほほ……生きていく命の力は耐え忍ぶ強い心から生まれてくるんですからね!」
「タートル…………」
アンドレアは冗談ばかり言っているこの小太りの老婦人……実は、化合人間のスレイヤーが頼もしく見えた。突然、外で修道士と宿の客が揉める声がする。
「おっ、そうじゃ……隣室に戻らねば、男の修道士がいつ来るかわからぬじゃ……」
「そうでしたわ!」
タートルが慌てて、華麗な曲線の翼を持つ白鳥に変身して、窓から飛び立った。
一方、アンドレアの向かいの部屋ではグリフェが屈強な修道士二人に上半身をチェックされていた。鍛え上げられた肉体は、胸板が厚く、腕の筋肉も盛り上がっている。腹筋はチョコレート板のようだ。
「人狼の紋章はないようですが、凄まじい傷痕があちこちにありますなあ……元軍人でしたか?」
「ああ……2年半ほど軍隊の飯を食った。その後は諸国をあちこち回って、根無し草。昔は莫迦な真似もしたもんさ……今は若夫婦商人の用心棒として、西へ旅行中よ……」
「なるほど、良い旅を……」
二人の武装修道士は退出した。だが、グリフェの他にもう一人部屋にいた。ダンフォース司祭である。シャツを着ながらグリフェはジト目で見る。
「なんだよ、しげしげ見やがって、俺の裸に興味があんのか? そういや、僧侶ってのは、男色が流行っているとか聞いたなあ……おっさんもその気があんのか?」
「ふふふふ……そうではない。悪態をつく銀髪碧眼のタフガイ――お主は怪物討伐人ギルド〈EGG〉のモンスター・スレイヤー、グリフェ・ガルツァバルデスだな……」
「……よくわかったな……で、どうする俺を警察につきだして、賞金をいただく気かい?」
「何をしたか知らんが、お尋ね者なのか? いやいや、そんな気は無い。以前、ミアーチェで吸血魔鳥ブルーカ、ダモレス川の触手怪物、地下下水道のワニ人間などを退治した記事を、新聞や週刊誌で読んだ。白黒写真では金髪かと思ったが、銀髪だったとはなあ……」
「あちゃあ……そういや、そうだった……チャック・カールハウゼンとかいう記者のおっさんがまとわりついて、写真を撮られたんだった……」
額に手を当て、天を仰ぐグリフェ。ダンフォース司祭は警察にも判事にも届ける気はないと言う。
「拙僧は〈魔狼〉を倒す事にしか興味がなくてね……もはや、奴と再び会いまみえて、雌雄を決することが生き甲斐かもしれん……」
「まるで、メルヴィルの『白鯨』にでてくるエイハブ船長みたいだな……」
「ほう、意外と読書家だな……だが、拙僧はエイハブとは違う。勝って、また怪物狩りの旅を続ける。お主たちのようにな……」
「へん、お互い、因果な商売よのう……」
「どうだ、一緒に狼狩り団に参加せんか?」
「あいにく、用心棒稼業の最中だ」
それは残念と、ダンフォースが部屋を出ようとしたとき、武装修道士が入ってきた。
「ダンフォース司祭! 西門の外に〈魔狼〉が現れました!」
「なんだと! 今、行く……」
「ダンフォース司祭、武運を祈るぜ……」
司祭はニヤリと笑って、退出した。




