三馬鹿と鳩
空を自由に飛べるくせにわざわざ地面を歩く、小さなそいつのつぶらな瞳と目が合った。合ってしまった。一緒に歩いていた友人達と三人して立ち止まってしまった辺り、彼らも自分と同じ様に目が合った気がしたのだろう。鳩だな。鳩だね。と全く実の無い言葉を交わす。
「鳩ってさー。」
「うん?」
語尾を上げて続きを促しながら隣に顔を向ければ、そいつは未だ鳩を見続けていた。寧ろ睨んでいると言っても良いだろう。
「見てると無性に捕まえたくなんねぇ?」
真顔で聞かれて思わず、は、と声を上げる。正直、そう来るとは思っていなかった。実際に「別に捕まえたくなんかならないけど」と返せば、質問した本人とは別の方から「そうか?俺は真幸の言う事、何となく分かる気がするけどなぁ。」という言葉が少し驚いた様な表情と共に返ってくる。
「え、マジで?」
「おう。ほら、彼奴らって結構近くまで寄ってくるじゃん?まるで自分には何も怖いモノは無いんだぜ、って態度でさ。それに対して、こう、物申したいっていうか。」
自分が聞き返したのに対して無駄に色白な友人が悩みながら言ったその内容に、眼鏡を掛けた友人が「分かる分かる。」と大きく頷く。そして言った。
「なんつーか、ナメてんじゃねえぞゴラァっ!ってなるんだよな。」
ゴラァっ!の部分だけ強調すると同時に、少し向こうに居る鳩へと拳を向ける。そんな真幸の行動を見て、自分が狙われていると感じたのか慌ててそいつは空中へと避難していった。ばさばさっ、という羽ばたきの音を聞き、少年は思わず溜め息を吐く。相変わらずこいつの思考回路は謎すぎるな。というか、
「どんなヤンキーだよ、それ…。」
ぼそりと呟いた言葉に、自分の隣でもう一人の友人が苦笑するのが分かった。
「つーかさ、彼奴等ってこっちが捕まえようとすると逃げんじゃん。」
今みたいにさ。誰の手も届かないであろう青い空へと逃亡を果たした小さな存在を目で追いながら付け加えれば、「そうなんだよなー。殺気でも感じるのかなぁ?」と実に悔しそうな声が続く。今しがた鳩に逃げられた彼からすると不思議でしょうがないらしい。そもそも真幸の場合は殺気云々ではなく、その一挙手一投足が怪しすぎる事が問題なのだと思うけれど。彼のその考えを遠回しに肯定するかの様に「いや、殺気は違うだろ。」とテンポの良いツッコミが入った。
「つか吹雪さ、捕まえたくならないとか言ってる割にそーゆうのは知ってるんだな。実はやった事あったり?」
直後に友人から問い掛けられ、暫し沈黙する。できればあまり言いたくないのだが。どうしようか。ほんの少し悩んだものの、両脇からじっと見つめられる事に耐えられなくなり、とうとう彼は観念して口を開いた。
「…昔の話だよ?すげー小さい時にさ、近所のお姉さんが捕まえてんの見てやってみたくなったんだよね。まあ、結果、逃げられまくった挙げ句その人には爆笑されて散々だった訳だけど。」
因みに。ばたばたと忙しなく鳩を追いかけ回しては逃げられる、という行動を繰り返す幼稚園児を見て、当時小学校低学年であった彼女は爆笑し過ぎて息切れまでした上に、笑いすぎて腹筋が痛いと宣っていた。悔しさと若干の怒りとが入り混じった複雑な気持ちのお蔭か、未だにはっきりくっきり綺麗に思い出せる。しみじみとそう話した彼の言葉に対して「どんな思い出だよ、それ!」と眼鏡の友人から声が上がった。
「つか何その美味しいシチュエーションっ?近所のお姉さんとか羨まし過ぎなんですけどっ!」
ぐるりと体を反転させて睨んでくる真幸に、二人揃って呆れ顔を作る。そして同時に「反応するトコ其処かよ」と突っ込んだ。というか予想の斜め上方向に反応された為、突っ込まざるを得なかった。いきなり話があらぬ方向にぶっ飛んだ気がするんだが。
「全く。俺は普通に鳩の捕まえ方の極意の方が気になるけどなぁ。」
「うん、そっちもそっちで普通じゃないよね?」
自分の隣から溜め息と共に溢された言葉を耳にして、反射的にそう呟く。普通は気になる様なポイント等存在しないと思うんだけど。もしあったとしても爆笑された事とか鳩に逃げられ続けた事じゃないのか?そう疑問に思うものの、正解なぞ分かる筈もない。どうなんだろう、と割合真剣に悩む吹雪に向かって眼鏡の友人が何処か不満そうに口を開いた。
「馬っ鹿ヤロー!お前ら……お前ら、自分の家の近所に美人のお姉さんとか、めっちゃ萌えるじゃん!最高じゃんっ!」
「美人ってか普通だけどな。ってか別に萌えないし。こちとら幼少期から隣の家だよ?そんな要素皆無だからな?つーか寧ろ最近じゃ殆んど交流も無いし。」
友人の主張に対し間髪入れずに訂正を入れる。自分の幼馴染みはどれだけ好意的に見積もっても中の中、平々凡々な容姿であり、罷り間違っても美人と呼ばれる部類の人間ではない。そして小さい時から一緒だったお蔭で相手の残念な所もたくさん見てきている為、『萌え』なんて感情は欠片も抱いた事が無かった。まあ確かに年が少し離れていたから憧れに近い様なものはあったけれど。それもほんの少しだけだし、基本的には姉の様な感覚に近かった気がする。もしくは単なる友人か。尤も中学に上がる頃から生活時間がずれていき今では年に数回程度しか顔を合わせないので、自分の中にはかなりふわふわとした感想しか残っていなかったりする。
「あー、異性の幼馴染みってそんなもんだよなぁ。ある時期を境に疎遠になると言う…俺のトコもそうだったわー。」
しみじみとした口調で「わかるわかる」と呟かれる。見れば、自分の隣で仁王立ちした友人が腕を組んでうんうんと大きく頷いていた。そういえば彼にも幼馴染みの女子が居たんだっけ。色白な彼が「中学入ってからは学校でしか会わなかったもんなー俺も」と宣うのを見て思い出す。自分の記憶が確かならば件の彼女は元同級生であり、しかも私立に進んだ自分達とは違って地元の公立高校に入学していたはず。卒業生代表を務めた彼女の事だ、有名進学校であるかの高校でも首席に近いポジションに納まっているに違いない。どや顔を決めている元級友を想像し、つい笑いそうになった。そんな吹雪と対照的に、真幸の顔が苦々しく歪められる。
「くっそ、ブルータスお前もか!もう良いし!お前らなんか爆発すれば良いんだあぁっ!うわーん!」
いきなり叫んだかと思えば勢い良く走り出す真幸。何訳の分からない事言ってんだこいつ。そう呆気にとられている間にどんどんと彼の姿は遠くなっていく。……まあ、丁度いつも別れる場所まで後少し、といった所にたむろっていたのだから良いっちゃ良いんだけど。
「何だったんだ、あいつ…。というか何故そこまで夢見れるのか甚だ疑問なんだけど。」
自分の隣で呆然とした声で紡がれた内容に小さく頷く。全くもって何がしたいか分からない。が、そんな所が彼らしいと言えばそんな気もする。それにしても、だ。
「本当、あの妄想力は無いよなぁ。…あの情熱がほんの少しでも勉強に向かえば、もうちょっとマシな成績になるだろうに。」
心からそう呟けば、隣でぶふっ、と小さく吹き出す音がした。どうやら何かのツボに入ったらしい。正直、この友人のツボも謎なところである。「それ言えてる!」と笑いながら紡ぐ彼の姿に、吹雪は胡乱な目を向けた。
ひとしきり笑った後、「あ、そうだ」と思い出した様に友人が口を開いた。
「さっきの話だけどさ。もし今度その人に会う様だったら鳩の捕まえ方聞いといてくんない?めっちゃ気になるから。」
「…いや、もうお前が自分で聞いて来いよ。紹介してやるから。」
何かと思えばそれかよ。っていうかどれだけ気になってたんだ。心の中でツッコミを入れながら、吹雪は脱力した。
・吹雪と駆は同じ中学出身。真幸はたぶん市外から来てる。
・なんだかんだで駆もアホの子。
纏めるとそんな感じ?