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有紗は性獣  作者: 柊蓮
第一章――
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神奈川有紗という女④

 有紗先輩の言葉に、俺はふと冷静さを取り戻した。だがそれと同時に、何故有紗先輩がこんな、夜の学校という居ていいはずのない場所に居るのかという疑問が浮かんできた。そして、自分は当たり前のように私服だが、有紗先輩は、制服を着ていた。


 俺は自分の希死念慮よりも、何故だか今はその疑問の方が強くなって、有紗先輩に訊いた。


「なんで……あなたがここに居るんすか」


「ふふ、なんでだろうね。でも……なんで、ということならば、君も一緒でしょ? 君は……ここで何をしていたの?」


 俺は有紗先輩から視線を外し、真正面を見た。心地良い微風の吹く夜空はとても綺麗で、俺は一度深呼吸をすることで、肺を綺麗な空気で埋め尽くした。そうすると、何故だか急にこんな落下ギリギリの場所に居ることが怖くなりはじめた。


 俺は素を取り戻すと、たじたじになりながらその場を後退した。


 有紗先輩が近づいてくる音が背後から聞こえる。俺は屋上の際から後退しながら、有紗先輩の方を振り向いた。あの時ぶりに見る有紗先輩は、あの時と同じように、両手を後ろで組みながら、一国の姫君のような淑女そのものの佇まいで俺の方を見ていた。


 美しい、と俺は思った。


 有紗先輩の美しさはやっぱり本物で、仮に有紗先輩が本当に性の獣で、淫魔(サキュバス)だとしても、俺はそれでもいいと思いはじめた。いいや、そっちの方がいいとも思ってしまった。

 

いいや、有紗先輩は本当に淫魔(サキュバス)なのだろう。あの時の有紗先輩のことを思い返して、俺はそう思った。だって、有紗先輩は『ばーん』という一言で俺のことを射精させたのだ。あれほどまでに、現実からの解放を感じられる射精というのはこれまでの人生で一度たりともない。


俺は少し晴れやかになった感情で、できるだけ爽やかに有紗先輩に言った。


「あんたがさっき言ったのと同じ理由ですよ。俺は飛び降りて自殺しようとした。でも、あんたがそれを止めた。なんか俺の飼い主気取りの言葉を言ってね」


「うん、そうだね。私は今、大翔君の飼い主の気分を感じました。だから、飼い犬がどっか勝手に行っちゃわないように、私は君のことを引き留めたんだろうね」


すると、有紗先輩がもっと俺の方へ歩み寄ってきた。有紗先輩の匂いが、俺の全身を包み込んだ。


「ねぇ、なにがあったの? 君みたいな単細胞で何も考えていないように思える人間が死のうとするだなんて、どれほどのことがあったのか、私気になるな」


正直に言うなぁ、もっと優しく言ってくれよ、と俺は思った。だが、そんな棘のある言葉もまた美しく、魅惑的だった。


「彼女が……死んだんす……」


「へぇ……そう……」


 俺は、つむぎとの数々の思い出を思い出した。すると、気づいた時には何故だか勝手に涙が出ていた。俺は有紗先輩に馬鹿にされると思い、急いで服で涙を拭った。


 俺は涙を拭っていると、急に大きな温もりを感じた。それは、有紗先輩からのハグだった。


「大丈夫、大丈夫だよ。君みたいな馬鹿でどうしようもないくらい素直で不器用な人間でも、私は好き。手の掛かる子ほど可愛く思えるように、君みたいな不器用な人間ほど、私の目には留まる」


 俺がハグをし返すと、有紗先輩は俺のことをよりギュッと強く抱き締めてくれた。頭も撫でてくれた。


「有紗先輩は……そんなこと言ってても、どうせ……俺のことなんてすぐ見捨てるんでしょ」


「これまでの人生で誰かに捨てられたの?」


「親に……捨てられた。少なくとも俺は……そう思ってる」


 有紗先輩の良い匂い、温もり、そして誰もが触れてそして食べてみたいと思っているその柔らかい身体に抱き締められ、だからこそ俺はこのまま死んでしまいたいと強く思った。今ここで死んだら、なんて幸せに死ねるのだろうと俺は思った。


「私はね、今すっごく君のことを求めてるの。たとえそれが不純な動機だとしても、健全や不健全なんてそんな小さな物差しで人生を語ること自体がナンセンスだとも思っている。だから、さ……私とセックスしてよ」   


俺は、その言葉に何も返さなかった。返す言葉が見つからなかったし、実際今、自分が何を考え何を感じ、どうしていきたいと思っているのかが分からなかった。


 すると有紗先輩は、ゆっくりと俺とのハグを緩めた。温もりがどんどん逃げていき、それと同時にゆっくりと、自分の中の空虚な心が浮かび上がってきた。


「別に、もう今の君に私とセックスすることの障壁なんてなくなったんじゃないの? 言っちゃ悪いけど、彼女さん死んだんでしょ? じゃあもう、私とセックスしたっていいじゃん……」


 有紗先輩の声には感情が籠もっていた。これほどまでに感情の乗った有紗先輩の声を聞くのは初めてだった。そんな言葉の起伏の豊かさを目の前にして、俺は初めて有紗先輩が、自分と同じ〝人間〟という生き物であると認識できた。


「それともなに、私じゃ女としての魅力が足りないのかな」


「違う! そんなことない!」


 俺は大声で言った。自分でも自分の声の大きさに驚いた。


「有紗先輩は……性別問わず誰もが好きで、皆の憧れで、皆有紗先輩のようになりたいって思ってて、皆有紗先輩を自分のものにしたいと思ってるんです。だから……魅力は足りないんじゃなくて、逆にあり過ぎるくらいです。正直言って、俺も有紗先輩とシたい……。有紗先輩の裸見たいし、有紗先輩を自分のものにしたい……。でも、でも、でも……俺は、そう思ってしまう自分がとてつもなく嫌になってしまうんです」


 俺は、勇気を出してそう言った。自分の欲望に完璧に忠実な人間であれば、今すぐにでも有紗先輩とセックスをしてるだろう。でも、俺は健全な人間ではなかったが、そんな不健全な人間でもなかったから、これほどまでに綺麗な女性を汚してしまうのが怖くて怖くて仕方がなかった。


「じゃあ、どうしたいの? どうしたら、私は君とセックスできるわけ?」


「……久しぶりに、楽しいっていう感情を思い出したい。つむぎのことも全て、早く過去にしたい。苦しい、苦しくて早く消えたい。でもそんな俺を引き留めたのはあんただ。だから、その……」


「デート、かな」


 俺はその言葉に、まるで新しいオモチャに出会った子犬のように首を縦に振りまくった。


 すると有紗先輩は、軽く溜息を吐きながら「分かった」と言ってきた。俺は嬉しかった。嬉しいという感情を、久しぶりに思い出したような気がした。


 有紗先輩は、俺の両手を包み込むように両手で握ってきた。


「一生忘れられないセックスにしてあげる。これからの時間は全て、それまでの前戯だよ」


 有紗先輩は俺の両目をしっかりと見つめながら言ってきた。俺はその美しい有紗先輩の目に、吸い込まれるような感覚を覚えた。そのときだった。


 俺は、有紗先輩に唇を奪われた。


 それはただの口づけではなかった。まるで小鳥が果物の甘い蜜を吸い出すような、そんな軽く貪るような姿がそこにあった。


 俺は気を失いそうになった。有紗先輩のベロが俺の口の中に入ってきて、脳味噌を犯してきた。脳味噌が溶ける感覚に襲われた。脳味噌が溶け、ゲロとして出てしまいそうになった。俺は実際に吐き気を覚えていた。今すぐにでも吐いてしまいたかったが、有紗先輩の口の中に出すわけにはいかず、無理矢理にでも有紗先輩の口を俺の口から剥がさなければならなかった。


 俺は、まだ有紗先輩とベロキスしていたかったが、吐き気がもう限界に達して、有紗先輩の口を無理矢理剥がし、すぐさま屋上の端っこでゲロを吐いた。


 俺は大きな虚脱感に襲われた。立っていられなくなった俺は、その場に座り込むしかなかった。


 有紗先輩がゆっくりと俺の方へ近づいてきてくれた。俺は有紗先輩を見上げると、有紗先輩は何故だか笑いはじめた。有紗先輩は腹を抱えて笑っていた。有紗先輩がこんなに笑っているところは初めて見た。 


「ねぇ、大丈夫?」


そう言ってきた有紗先輩の声色は、特段心配などしていないような人を小馬鹿にしたような感じだったから、俺はそれに少し苛立ちを感じて、その場に立ち上がった。


「あららぁ、あまり無理しない方がいいよー。座ってなって」


勢いよく立ち上がった俺は、めまいを感じてふらついた。すると、有紗先輩の俺を小馬鹿にする声色はより一層強まった。俺は大きく息を吸って吐いて呼吸を整えると、正直に言った。


「有紗先輩……俺吐いちゃったけど、まだベロキスの続き、できないっすかね?」


有紗先輩は、大笑いした。


「な、な、な、な、なにそれっ! セックスはできないのにベロキスはできるって、なにそれっ! 変なの~まぁ、可愛いからいいけど」


 そんなに変なことか? と俺は思った。大笑いされたことはあまり腑に落ちなかったが、それでも有紗先輩の新しい一面が見れて、俺は嬉しかった。


 そうして、俺達は、誰にも見つからないうちに夜の学校を抜け出し、吐いた事と幻覚を見ていたその疲労が強かった俺は、今日はもう普通に家に帰って寝ることを提案した。


 有紗先輩は最初、その提案に対して不満顔を浮かべていたが、俺の顔が俺が思っている以上に疲れていたのか、素直にその提案に対して頷きをしてくれた。


 俺が自分の家に辿り着いた頃には、もう空は白みがかっていた。


 様々な物で溢れかえっている自宅に入ると、俺はそうしてまた現実に引き戻された。


 現実の自分は、クソだった。自分という人間がクソだとは思わないが、自分という人間を取り巻く環境、その全てがクソだと思った。普通であれば親は二人もいるらしいが、俺に父親はいない。シングルマザーの家庭に生まれた俺には、優しい親戚も居なければ、きょうだいもいない。ただ、独り、シングルマザーの子供として、母親からのおこぼれの金でなんとか生きている。


 俺はまた死にたい気持ちが浮かんできて、また学校の屋上に行ってやろうかと思ったが、あいにくそれを実現するだけの気力も体力も今の俺にはなかった。自分の部屋へ重い足取りを引きずりながら向かい、部屋のドアを開けて中を見ると、そこにはもう骨だけのバケモノは居なくなっていた。どうやら、今の俺は比較的まともらしい。


 部屋に入った俺は、すぐさまベッドに身を投げた。 


散らかった部屋の中の散らかったベッドの上で、散らかった心を持った俺が散らかった姿勢で眠りはじめた。俺が昏睡に落ちる前最後に感じていたのは、今も脳味噌をぐちょぐちょにしている有紗先輩の甘い匂いと、ベロキスの続きをしたかったなぁという素直な想いだけだった。

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