神奈川有紗という女③
黒瀬つむぎが死んだ。
黒瀬つむぎが死んでからの大部分の記憶が、俺にはない。
つむぎが死んだことを聞かされたのは、俺がつむぎに会いに病室へと行ったその翌日のことだった。つむぎの母親に電話でそのことを聞かされた俺は、よく分からなかった。電話越しに伝えられるその言葉の羅列が、実際に何をどう意味しているのか全く分からなかった。
気がつくと俺は、自宅の自分の部屋のベッドの上で、ただ茫然としていた。
スマホを開き時間を確認すると、つむぎが死んでから一週間が経っていることに気がついた。
……一週間? そんなはずがないだろ――俺はふと冷静になりそう思ったが、再度スマホを確認すると、確かに現在はつむぎが死んでから一週間が経っていた。
俺はベッドの上に起き上がった。部屋は真っ暗で、外も暗かった。部屋の中は雑多な物で埋め尽くされていて、散らかっている部屋と言えた。部屋が散らかっているのは常日頃からだ。だがそんな散らかっている部屋がこんなにも心地が良いと感じたのは今が初めてだった。部屋が散らかっているのと同じくらい、俺の心も散らかり荒んでいた。
俺は冴えない頭の中で考えた。とりあえず寝よう。今にも心が壊れそうで、壊れないと壊れてしまいそうな胸の苦しみに殺される前に、とりあえず寝よう。
俺は、再度ベッドに身を委ねた。勢いよくベッドに身体を預けると、俺はちょうど思い出して、近くの机まで、面倒臭いがベッドから起きて行った。俺は机の上にあった睡眠薬を手に取ると、水がないことに気づき、リビングまで行った。
リビングに行くと、俺は現実を思い出した。リビングは沢山のゴミなどで足の踏み場がなかった。こんな光景、毎日見るいつもの事なのに、何故だかこのときばかりは凄く胸に突き刺さった。俺の置かれてる現実、強いられてる現実、そして俺自身――全てがおかしいんだ。
そう思うと、俺は急に全てのやる気を失ってしまった。別に今も何かしらのやる気があったわけじゃないが、水を取りに行くだけの気力はあった。だけどその唯一残っていた気力までもを俺は失った。俺は、もう少しでキッチンで水にありつけるというのに、その場で、水なしで睡眠薬を頑張って飲み込んだ。
睡眠薬が腹に落ちると、その事実だけで俺は少しだけ胸が軽くなった気がした。
俺は自分の部屋のベッドの上に戻る事にした。気怠さを感じながらとぼとぼ自分の部屋に向かった。自分の部屋のドアを開けると、そこにはバケモノがいた。
それは、悪魔かはたまた神様か、どちらにしても人外であることは確かだった。そのバケモノは、骨だけの存在だった。肉などは付いてなく、明らかに人間以上の本数の肋骨が剥き出しになって見えている。人間が骨だけであった場合、普通は怖さなど感じることはない。そこに、強大さのようなものを感じることもないだろう。だが、今俺の目の前にいる、俺の部屋を占領しているそのバケモノは違う。
骨だけの存在であるのにもかかわらず、圧倒的な威圧感と強大さがそこにはあった。
でも俺は分かっていた。このバケモノは幻覚だ。今さっき飲んだ睡眠薬が俺の脳にイタズラし、俺の脳が変に反応して起こっているだけの幻覚なのだ。だが……それを分かっていても、無視などできない存在感の強さがそのバケモノにはあった。
これまで沢山睡眠薬を飲み、幻覚を見てきたが、ここまでリアルにバケモノが見えることは初めてだった。
俺は心の底からそのバケモノに恐怖を抱いた。そのバケモノは俺に何をするわけでもなかったが、ただ俺の部屋の中心にいた。俺の部屋は特別広いわけじゃないから、バケモノを無視してベッドに逃げ込むことは不可能だ。
というかそういうことができたとしても、こんなバケモノの側をするっと通ってベッドに逃げ込むなど、できるはずがなかった。だって俺は、もう既にそのバケモノに首を掴まれているのだから。
俺は気がついたときにはもうそのバケモノに首を掴まれていた。
それを認識した途端、俺は本当に首を絞められているみたいな苦しさを感じはじめた。それが幻覚であると、虚構であると分かっているのに、俺は実際に首を絞められ殺されそうになっていた。自分の首を絞めてくるバケモノの手を俺は必死に叩くと、一瞬首を絞める手が緩まった。
「ワタシが望むのは、お前の死のみ。お前が自分で自分のことを殺すというのであれば、ワタシはお前のことを殺さない。ワタシが望むのは、お前が死んだという事実だけだ。死に方は問わない」
バケモノが俺に話しかけてきた。俺はもうどうにかなりそうだった。
「……はぁ、何を迷っている。お前自身も分かっているはずだ。早く死にたい、それが本音だろう? ならばさっさと、死ぬがよい。この世界から、サヨナラしろ」
確かにな。確かにそうだ。このバケモノの言う通りだ。俺は何を今の今まで迷ってたんだろう。そうだよ……そう……さっさと、死んじまえばいいんだ。
俺は自分の部屋を飛び出た。そして家も出た。夜道を歩いて最期にふさわしい場所に向かった。そんな場所はひとつしかない。学校だ。
俺は夜の学校に向かった。家から学校まではそう遠くなく、ちょっと早歩きしたため今回は二十分ほどで辿り着いた。俺はすぐさま学校内に入り、屋上を目指した。
夜の学校は静かだった。日中と比べて少し涼しさがあるからか、一日の中で一番過ごしやすい時間帯と言えた。こんな一番心地良い時間帯に死ねるだなんて、俺は幸せ者だなと思った。
普段ならば上がることを面倒に思うような屋上までの長い階段も、今ばかりは一段一段上がるのが楽しくて仕方がなかった。そうして屋上に辿り着いた俺は、肌を撫でてきた心地良い微風に心が安らいだ。
さぁ、人生のフィナーレだ。
俺は足早に屋上の縁に立つと、一度夜空を見上げてから、飛び降りようとした。
「もし私が君の飼い主だったら、まだ君が死ぬことの許可は出さないよ」
その声には聞き覚えがあった。俺はふと振り返ると、そこには有紗先輩がいた。
「ねぇ、自殺するくらいなら最後に私とセックスしてから死んでくれないかな?」




