神奈川有紗という女②
俺は学校を出た後、電車に乗り、学校からも自宅からも少し離れたところにある病院に向かった。病院に辿り着いたのは午後六時三十分頃のことだった。
俺の彼女である黒瀬つむぎは、俺と出会った頃にはもう既に重い病気を抱えていた。
今は七月の上旬、俺がつむぎと出会ってからもうすぐ一年が経とうとしていた。つむぎとの出会いは去年の夏祭りのことだった。とある大きな夏祭りに、親友の優也と遊びに行った俺は、車椅子に座った一人の女の子に目を奪われた。一目惚れだった。
一目惚れだから、つむぎのことを好きになった理由というのはそれ以上はないのかもしれないが、一目惚れをしたように、俺の直感が間違っていなかったことはその後の幾度ものデートで確信した。デートの際は、つむぎの乗る車椅子を俺が押して、つむぎの負担にならないようにゆっくりとしたペースで色々なところを見て回った。ちなみに、デートの中でつむぎが一番印象に残っていると言っていたのは俺と初めて出会った夏祭りの日だそうだ。あれをデートと呼べるかどうかは、正直分からないが。
つむぎは静かな子だとつむぎの親は言っていた。俺はそれを聞いたとき、正直驚いた。だってつむぎは俺の前ではよく笑ってよく泣く女の子だったから。
つむぎの病室に入った俺は、ベッドの上のつむぎと目が合った。つむぎは幼い顔をしていて、まるで妹みたいな存在だ。そんなつむぎが苦しんでいるところを見るのは本当に嫌だったが、もう寿命が尽きるかもしれないつむぎとの時間は一秒たりとも無駄にはしたくなかった。
ベッドの側の椅子に俺は腰をかけた。リュックを地面に下ろすと、俺はすぐさまつむぎの頭を撫でた。
つむぎは、笑ってくれた。
つむぎには沢山の管が通っていた。そのひとつひとつが何をどう良くする管なのかは一度教えてもらったこともあったような気がするが、覚えてない。
沢山の管が通されているつむぎの姿を見る度に、俺はなんとも言えないような気持ちになってしまう。何故つむぎがこんな目に遭わなきゃならない? 何故俺はただ見ていることしかできない? ……俺は俺の無力さに、死にたくなってきた。
俺はつむぎの微かな体温をできるだけ少しでも長く感じていたかった。だから俺はずっと、つむぎの手を握り、時折頭を撫でキスをし、病院に来た際は時間が許す限り病室にいることにしていた。
つむぎの死期が近いことを知ったのは、ここ最近だ。つむぎの両親からそんなことを聞かされた日は、俺は自分の部屋の中で、疲れ果てるほど泣いた。自分が泣いたってどうにもならないというのに、涙が枯れ果てるまで泣いた。涙が枯れ果てたあと俺の中に残ったのは、ただただシンプルな虚無だけだった。
人生はクソだ。人生には自分じゃコントロールができない運の要素が多くあり過ぎる。生まれたくて生まれたわけじゃないのに、生きたくて生きているわけじゃないのに、負けたくて負けてるわけでも泣きたくて泣いてるわけでもないのに、何故だか俺の人生はずっとそうだ。
つむぎの前なのに、何で俺こんなこと考えてるんだろ……。
いや、つむぎの前だからこそか。今の俺からつむぎの存在を取ったら、他に何が残るんだ? 誰もが放棄したくなるようなクソみたいな人生、ただそれだけか。
俺は気づいたとき、つむぎの胸の中で号泣していた。さっきまでつむぎの頭を撫でていたはずなのに、今ではつむぎに頭を撫でられていた。こんなことされてちゃ駄目だ、俺が逆に撫でなきゃ――そう思ったけど、身体は一切つむぎの胸の中から動かなかった。
顔を見なくても分かる。つむぎは俺のことを見ながら微笑んでいる。こんな俺の姿までも愛してくれている。俺は自分のことが嫌いになった。こんなときでさえも俺はつむぎに助けられてるんだ。
「ごめんね……ただ側に居ることしかできなくて……」
つむぎは何も言わない。いや、何かを発することすら酷く体力を消耗するのだ。だから、ここ最近になってからつむぎが何かを発することはほとんどなかった。
そのとき、誰かが病室に入ってきた。俺はその音に慌てて顔を上げると、そこにはつむぎを担当している看護師の人がいた。俺は部屋の時計を見た。もう、こんな時間か……。
俺はリュックを拾い上げて背負い、入口付近まで行ったところで、つむぎの方を振り返った。俺の方をそっと見つめてくるつむぎは、無邪気そのもののようでなによりも愛おしかった。
俺はつむぎに軽く手を振った。本当であればさよならをするみたいで手なんて振りたくなかったが、本当に本当に、今日に限ってはそうかもしれない。何故だか、そんな直感があった。
すると、つむぎも、弱々しくではあるが、手を振り返してくれた。俺はそれに微笑んだ。
「ばいばい、ひろと」
俺はこのとき、直感が確信へと変わった。もう、これで本当にお別れなんだ。俺は、病室を出ないことにした。だってだって、この病室を出てしまったら、もう本当にそれで、それで……。
俺は再度つむぎの胸に飛び込んだ。そして、この世界が水没してしまうくらいの大粒の涙を大量に溢した。顔を見なくても分かる。つむぎはそんな俺に微笑んでくれている。……ほら、頭だって撫でてくれてる。
このあとのことは、何も覚えてない。気がつくと俺は、自宅の自分の部屋のベッドの上で、ただ茫然としているところだった。




