有紗は性獣⑨
夏休みはあっという間に終わった。
帰る場所を失い、そして有紗の家が帰る場所となった俺は、夏休みの間も勿論ずっと有紗の家で一緒に有紗と過ごしていた。夏休みの約一ヶ月の間、俺達はずっとセックスに明け暮れた。それ以外にやることもなかったというのもあったが、俺達は病的なまでにセックスを繰り返した。冷房がガンガンかかった寒い部屋の中で、セックス以外にやることと言えば、映画を観たり、アニメを観たり、一緒に漫画を読んだり。でもそれもこれも全て、最終的にはセックスに行き着くから、それまでの前戯のようなものだった。
夏休みが終わると、学校生活がまた再スタートした。
だが夏休み前までの学校生活とは全く違う。優也は、もう死んだのだ。俺からしたら、この学校の中で親友と呼べるような人間は優也しかいない。だがその唯一の親友を失った今、俺は学校での拠り所を失った――と、思っていたのだが。
学校が始まってから数日が経ったとある日のお昼頃、俺は、有紗に外階段に呼び出された。外階段と言えば、優也と昼飯を食べていた場所だったが、夏休みを挟んだこともあって俺は久しぶりにこの外階段に来た。外階段へのドアを開けた俺は、階段の踊り場に有紗を見つけると、ゆっくりと近づいた。
「学校ではできるだけ距離を取ろうって言ったの忘れたのか。なんで俺を呼び出した?」
「いや、一緒にお昼ご飯食べたいなって。そのくらいはいいでしょ」
そう言ってきた有紗は、手に手作りの弁当を持っていた。そう言えば、朝早く起きて作っていたような気がしないでもない。まぁ俺は、カップラーメンで充分だが。
「いや、駄目だ。変な噂が流れる」
「もう充分私達の変な噂は流れてるでしょ」
「………………」
俺はその言葉に、言い返すことができなかった。そうして俺の、有紗と外階段で昼飯を食べる生活が始まった。
それから三日が経つと、予想していた通り、俺と有紗に関する変な噂が学校中に流れ始めた。三日という超短い時間でこんなにも変な噂が学校中に流れるとは思ってもみなかったが、逆に、変な噂が流れてからは、もう俺も吹っ切れて、学校の中でもずっと有紗と一緒にいるようになった。
優也が死んだ今、これまで優也がいたポジションは全て、有紗が務めるようになったのだ。
とある日の放課後、有紗は用事があって先に帰った為、今日は久しぶりに一人でのご帰宅になった俺は、昇降口のところで背後から大きな声をかけられた。
その声の主は、振り返るまでもなく分かる。面倒なことになるぞ、と俺は思った。それから、逃げる術はない。大人しく素直に応じた方が、事は穏便に済むだろう。
外靴を既に履き終えていた俺だったが、上履きに再度履き替えると、俺は背後を振り返った。勿論そこにいたのは、生徒会長の椎奈先輩だった。
「なんすか、説教しに来たんすか」
この学校は生徒数が多いためいつもそうだが、大勢の生徒達が昇降口に集まっていた。靴を履き替えて外に出るのも一苦労なのだ。その為、大勢の生徒達の中で俺はちゃんと自分の声が椎奈先輩に届いたのか心配になったが、椎奈先輩はコクコクと頷いていたからちゃんと届いているようだった。
椎奈先輩は大勢の生徒達を掻き分けて俺の方へ近づいてきた。大勢の生徒達に囲まれながら、椎奈先輩は話しはじめた。
「分かってる。その君の気持ちも勿論分かってる。でも今回私は別に説教をしに来たわけじゃないの。っていうか、どうせ説教したって無駄でしょ、君みたいな性欲の塊には」
そこまでバレているのか、と俺は思った。どこから漏れたのかは分からないが、俺と有紗がドコまで進んでいるかも多分バレているらしい。なんでだよ。
性欲の塊――その言葉に、周りの昇降口に集まっている生徒達が一瞬こっちを振り向く。俺は俺を見てきた奴の方を逆に見返して、視線を飛ばして逆に視線を逸らさせた。
「性欲の塊って言うけど、そんなんこの学校にいる男みんなそうだけど。こんなこと言うのもあんまよくねぇと思いますけど、多分椎奈先輩って彼氏いないっすよね。もし彼氏がいたら、大なり小なり男が性欲に支配されていることくらい分かりますもんね」
すると、椎奈先輩から本気のビンタが飛んできた。俺の右頬は破壊された。
「痛ってぇ! 何すんだよ!」
周りの全ての生徒が俺の方を見た気がした。椎奈先輩は俺のことを睨んでいた。ゾクゾクするくらい鋭い目つきだった。いい目つきだぁ、と俺は思った。っていうか、そもそもこんな話題東京のド真ん中みたいな人混みの中で話すことではないだろうと思った。どっか人気のないところに連れて行けよ。
「あの、どこかここじゃないところに行きません? 流石にいろんな人に聞かれるのは恥ずかしいっていうか……」
「性欲の塊と人気のないところに行くなんて正気じゃない。絶対に嫌」
俺は椎奈先輩を完全に怒らせてしまったようだった。だが、怒ってムスッとした椎奈先輩の顔も可愛かった。まぁ、そんなこと言ったら更に嫌われるだろうから流石に言わなかったけど。
「……で、本題なんだけど。有紗とはどうなの? どんな感じなの?」
椎奈先輩は明らかに苛立ちを覚えているような態度を見せながら、でも仕事だから仕方がないと言わんばかりの口調で言ってきた。
「あぁ? それをあんたが知ってどうなるんだよ。まさか邪魔すんのか?」
「そんなことしない。別に、興味もない……。有紗のことだって、嫌いだし、早く死んじゃえばいいのにって思うけど……。でも……だからこそ……私は改めて忠告をしに来たの」
前回、初めて会った椎奈先輩は、前回本人が言っていた通り、生徒会長としてとか、内申点の為にとか、そういう仕方がないけど自分の為に俺の元へやってきた感があったが、今回のその〝忠告〟という言葉を発したときだけは、何故だか言葉に感情が乗っているように感じられた。今まで俺に吐いてきたどの言葉よりも、その〝忠告〟という言葉は本心に近い言葉のようだった。
でも、忠告、ねぇ……。忠告なんてされたところでもう戻れないところまで俺は進んでるんだぞ。
「忠告は説教とは違う。だからお願い……聞いて?」
椎奈先輩は、懇願するような、打算では絶対に出せないような弱々しい声色でそう言ってきた。そんな言葉に俺は……渋々頷いた。
「ありがとう。……それでね、単刀直入に言うけど、有紗ってね、これまで自分が気に入って、手に入れてきた全ての男を破滅させているの。いや、破滅なんて生易しいもんじゃない。人生を破壊されているの。実際に人を殺したことだってあるでしょあの子。そのことを全く君も知らないわけじゃないでしょ……?」
俺はその言葉に「ま、まぁ」と歯切れの悪い言葉しか出せなかった。実際に、優也を殺した犯人は有紗だろうと俺は結論づけていて、その考えは今でも変わっていない。でも、今の俺には、有紗しか……。俺は頭を抱えた。もう、どうすればいいのか分からなくなった。
「これは噂に過ぎないけど、君と仲のよかった大友優也君だって有紗に……」
「ま、まぁ……」
そのときだった。
俺は、自分の目を疑った。椎奈先輩のちょっと後ろ、俺の目線の先に、有紗がいた。
昇降口には、家路につこうとする大勢の生徒が靴を履き替える為に自分の順番を待っていたが、その中に、ここにはいるはずのない有紗の姿が見えた。有紗は用事があるからと先に帰ったはずだ。だけど、アレは完全に、有紗の姿だ。
「どうしたの、私の話聞いてる?」
椎奈先輩が、目の前の現実を受け入れられずに視線を落とした俺の顔を覗いてくる。俺は何故だか、身体が動かせなかった。首から上しか、動かせなかった。俺はゆっくりと視線を上げると、有紗が昇降口にいる大勢の人混みに紛れゆっくりと、だが着実に俺達の方へ歩み寄ってくる光景を目にした。俺はこのとき、物凄く嫌な予感に全身が包まれた。
妙な寒気が俺を襲い、身体を小刻みに震わせた。有紗は、ゆっくりと俺の方に……いや、椎奈先輩を目がけて、近づいてくる。そして、有紗が椎奈先輩の真後ろにまで近づいてくると、俺は有紗の右手に包丁が握られていることに気がついた。
そしてそれに気がついた次の瞬間、有紗は椎奈先輩の背中を包丁で一突きした。
その瞬間、昇降口に集まっていた大勢の生徒達の姿が全部消えた。
「え――」
一瞬で別世界に飛ばされたみたいな光景に、俺は頭が追いつかなかった。だが、変わったのはそれだけじゃなかった。天候も、時刻も、全てが有紗が椎奈先輩を刺したその一瞬で変わった。
時刻は、放課後の明るかった景色から一瞬にして夜のような暗さになり、天候の方も、晴天だったものが一瞬にしてザーザー降りの雨に変わった。天候がこんなにも悪化したから、時刻の方も真夜中ではないはずなのにこんなにも暗く見えるのかもしれない。
天候は悪いなんてもんじゃなかった。空を砕くような雷鳴が校舎全体に鳴り響いている。
有紗に一突きされた椎奈先輩というと、一目見ただけでももう助からないと思えるほど、大量の血を背中と腹部から流し、床に倒れ込んでいた。俺と有紗の足下に、椎奈先輩から流れ出た血によって血溜まりが形成された。俺は、足がブルブル震えはじめ、吐き気も同時に覚えはじめていた。
俺は……ゆっくりと視線を有紗に合わせ、有紗の顔を見た。
有紗は、水族館で自衛隊と戦ったときのような、まるで魔女みたいな恐ろしさも感じるような表情をしていた。血の気の通っていない、人間がしてはいけないような表情。こんな表情をする存在を、自分と同じ人間だなんて思いたくもなかった。いや……有紗は淫魔か。
「大翔」
「……っ!」
有紗の呼びかけに、俺は大きく身震いした。
「どうしたの? そんなに怖がる必要なんてないよ」
「……こ、殺した……。ひ、人を……こ、殺した……」
「殺してなんてないよ。一足早く楽にしてあげただけだよ。これはよくある殺人なんかじゃないよ。これは…………慈悲だよ」
何を言っているのか分からなかった。俺は恐怖で、頭が完全に真っ白になっていた。もう、何も考えられない。
するとそのとき、カラン、という物音がどこからともなく聞こえた。俺はその突然の物音に身体が過剰に反応し、辺り一帯を忙しなく見回した。すると、音の正体が分かった。有紗が、手に持っていた包丁を床に落としたようだった。俺は、自分の過度な緊張ぶりにより呼吸が苦しくなった。
有紗が、俺に近づいてきた。一歩、また一歩と近づいてくる有紗が、怖くて怖くて堪らなかった。
俺は、有紗のことが怖くて思わずその場にしゃがみ込んだ。有紗が俺のすぐ側で足を止めると、有紗もしゃがんだような音が聞こえた。次の瞬間、有紗に、俺はむぎゅっとされた。背中をさすられ、「大丈夫、大丈夫」と声をかけられると、俺は次第に本当に大丈夫になっていった。
まるで魔法をかけられたみたいに落ち着きを取り戻した俺は、その場に立ち上がり、改めて周りを見てみた。さっきのまでの俺は、普通に放課後を過ごしていた。だが有紗が椎奈先輩を刺したと同時、世界は一変した。校舎の外ではまるで嵐がきているみたいな暴風雨の音が聞こえる。雷が地上に何回も突き刺さる音も聞こえる。真夜中ほどは暗くないが、夕方に嵐が到来しているときみたいな暗さがそこにある。
「来た」
有紗が突然、俺の耳元でそう呟いてきた。
「な、なにが、来たの?」
俺が慌ててそう訊くと、有紗は憂いを帯びた表情をしながら言ってきた。
「……大翔、ごめんね。自衛隊が来たみたい。しかも、学校はもう全て包囲されている。ここでもうすぐ……大規模な戦闘が起こる。自衛隊が、私達を殺しにやってきた」
俺はその言葉に、この今自分が存在する世界は〝夢〟なのだと思った。だって、水族館で自衛隊がやってきたときと同じような空気感が強く漂っていたからだ。その考えに、間違いはないだろう。だけど、有紗の息遣い、そして肉体言語は、鬼気迫るものがあった。だから、今回はもしかしたら現実なのかもしれないと思いはじめてきた。
有紗は俺とのハグを解除すると、俺の両肩を掴みながら、真面目な表情で言ってきた。
「大翔は人間だから、大人しく従えば自衛隊に保護されると思う。でも私は、淫魔だから、どう足掻いても殺される」
俺はその言葉に、なんて返せばいいのか分からなかった。ただ「うん……」としか言葉が出せなかった。
「ねぇ……大翔、あなたは私と世界、どっちを取る?」
もし世界の全てが有紗の敵になろうとも、俺は有紗の味方でいられるんだろうか、ずっと有紗を愛していられるんだろうかと、俺はこれまでに何回も考えていた。
有紗と、世界。どちらを取ろうとも正直言って悔いは残るんだろうな。正直、明確な答えは未だに俺の中で出てはいない。だからそういうときは、気分で選ぶことにしている。俺のそのときの気分で、世界を取るか愛している女を取るか、決めたっていいだろう。
「俺は、有紗を取るよ。世界の全てが俺達の敵になろうとも、俺達だけは互いに味方だろ?」
「……ありがとう。これはあくまで一つの提案に過ぎないんだけどさ」
「なに?」
「大翔も、淫魔になってよ。男だから淫魔じゃなくて〝インキュバス〟だけど。男版の淫魔に、大翔もなって?」
俺はその言葉に自然と微笑みが漏れた。そんなことであれば、いくらでもやってやるよと思った。
「あぁ、いいよ。なってやるよ、インキュバスに。んで、どうすりゃなれるの?」
「首出して、噛むから」
俺は、服をグッと引っ張って首元を差し出した。そして次の瞬間、有紗は俺の両肩をがっちりと掴むと、俺の首元をガブッと吸血鬼のように噛み始めた。
俺は、体内に異物が入ってくる感覚に襲われた。その異物は、俺の身体を根底から覆してくるような痛みがあり、俺の頭はかち割れそうになった。まるで俺のDNAを書き換えようとでもしているみたいな異物の動きに、俺は強烈な吐き気に襲われた。できるだけ我慢はした。だけど駄目だった。有紗に首元を噛まれてから二十秒後、俺は床に大きなゲロ溜まりを作ってしまった。
だが、あるタイミングを境に、全身の痛みがスッと消えた。俺は苦悶の表情をしている顔を上げた。俺はこれで、本当に淫魔になれたのだろうか。
「さ、大翔、ここが正念場だよ。二人で頑張って自衛隊を返り討ちにしようね!」
そう言ってきた有紗の顔を見ると、俺はもう、実際に淫魔になっているようだった。
俺は口元のゲロを服の袖で拭いながら、その有紗の言葉に応えた。
「……おう!」




