淫魔と自衛隊⑤
月曜日、俺はいつも通り学校に行くと、教室に入った途端に優也に捕まった。
優也とはいつも一緒にいるが、朝一から優也に捕まることは久しぶりだった。いつもの俺達であれば朝は挨拶くらいしか交わさない。
そして、今日の優也の顔はどこか険しいような、どこか心配をしているような表情だった。
まだ授業が始まるまでには時間があった。俺は優也に人気のない外階段へと連れて行かれた。外階段に辿り着くまで、俺と優也の間には何一つ言葉は交わされなかったが、優也がそうした理由は自明だった。
優也は、俺と有紗先輩との関係性を問いただしたいのだ。
外階段の中段に座った俺は、いつもだったら同じように座るはずだが今は何故だか立っている、優也の顔を見上げながら言葉を待った。
「俺がここに連れてきた理由、分かるよな?」
「あぁ勿論」
「単刀直入に訊くが、有紗先輩とはどういう関係性なんだ? 金曜日、有紗先輩に捕まってどこかに連れて行かれたよな? どこに連れて行かれた? 土日の間も皆その話題で持ちきりだったよ」
金曜日の放課後、優也と下校をしようという俺を有紗先輩は捕まえ、俺は有紗先輩に学校裏手に連れて行かれた。そこで俺は、有紗先輩とデートの約束をしたのだ。
「そうか、だからか。なんか今日すげー視線感じるなって思ったんだよ。だからか」
「んで、どういう関係なんだ?」
俺は優也の話を聞きながら考えていた。他言無用だとお願いすれば、優也は誰か他人にベラベラと話したりする人間ではない。じゃあ正直に話すのが一番か? 有紗先輩と一緒に水族館デートに行ったことも? 流石に有紗先輩の下着姿を見たことは言わないけど……。
「まぁ、その……。金曜日のあの後、俺は有紗先輩に学校の裏手に連れて行かれたよ」
「どんなことを言われた?」
「言わなきゃ駄目か?」
「強制はしない。ただ……俺は、心配なんだ」
「なにが?」
「有紗先輩は魅力がある。それもどう足掻いても抵抗できない魅力がな。友達として、俺はそんな有紗先輩の甘い蜜にお前が墜ちてほしくないと思ってるだけだ」
俺はうなだれた。早くこの時間が終わってほしいと思った。
「有紗先輩のことがそんなに怖いの? 有紗先輩は普通の女の子だよ」
「お前、土日の間俺の連絡一切見てないだろ」
「連絡?」
俺はポケットからスマホを取り出して見た。そこには優也からの、俺のことを心配をしているらしい旨の連絡が幾つも入っていた。
俺は恐る恐るスマホから顔を上げた。優也の顔は怒りに満ちていた。
「何が、『有紗先輩は普通の女の子だよ』だぁ? つむぎちゃんと付き合っている時、お前が俺の連絡をこれほどまでに気づかなかった事はなかった。一応言っておくが、俺は別にお前に構ってほしいとかそういうんじゃない。ただ、友達として純粋に心配しているってだけなんだよ」
俺は手の中のスマホをギュッと握り締めた。
なんなんだろう、この気持ち。俺は、有紗先輩に好感を抱いている。いや、この学校で日々を過ごしている全ての人間が、有紗先輩に対しては好感を抱いていることだろう。だが、俺はその他大勢の生徒が抱く好感とは違う好感を抱いている。
俺は、有紗先輩とベロキスもしたしデートもしたし一緒にグレネードで死んだ仲だぞ? お前に、何が分かる……。
俺は言葉にならない感情に飲み込まれそうになっていた。優也の顔を見ることが、これほどまでに難しい時がくるなんて。
「おい、図星か? なんか言えよ。有紗先輩はやっぱり危ない女なんじゃねぇの?」
「分からない……。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない……」
「お前さぁ……。……って、あれ、なんでここにいるんですか有紗先輩」
俺は思わず顔を上げた。俺の視線の先には優也の顔があったが、優也は心底驚いている表情を浮かべていた。俺も思わず背後を振り返った。するとそこには、本当に有紗先輩がいた。
もうすぐ授業が始まる時間なのに、有紗先輩がこんなところにいるなんておかしいと俺は思った。昼休みの時や放課後であればこんなところにいてもまだ分かるが、今のような時間にここにいるのは、明らかに故意的だ。
優也もそう思ったのか、優也は俺の横を通って、勢いよく階段を上がって有紗先輩の元まで行った。優也が自分の元まで接近する中、有紗先輩は未だに外階段のドアのノブを握っていた。優也が目の前にまで来ると、有紗先輩はドアノブを手放してドアを閉めた。
「なぁ、あんた。こんな時間になんでここにいるんだ。おかしいだろ。早く自分の教室に帰りな」
「……私はたまたまここを通っただけ。そして、大翔君の声が聞こえたから来ただけ」
飄々とそう話す有紗先輩に、優也は明確に苛立ちと怒りが滲んでいた。俺は早くここから逃げ出したかった。
「たまたまって、ねぇ……。まぁ仮に本当にここをたまたま通ったとしても、何で大翔の声が聞こえたからって扉を開けてまで来る必要があるんです?」
「……大翔君のことが、好きだから」
「はぁ?」「え?」
優也だけでなく俺も思わず言葉を漏らしてしまった。
俺はこのとき驚きと共に、有紗先輩に殺意も抱いた。馬鹿正直に言い過ぎだ! と俺は思い、いたたまれない気持ちが最高潮に達した。だが、ここから逃げたらもう、有紗先輩とも優也とも関係が悪くなりそうだ……。だからもう、耐えるしかない。
「ひ、大翔のことが好きって、言いました?」
「うん。そう言った」
「……だ、駄目ですよ。あんたが大翔のことをどれだけ好きだろうが、俺は友達として大翔をあんたから遠ざける義務があるんです」
「なんで? たかが友達がなんでそんな義務を背負っているの?」
そう言った有紗先輩の口調には若干の苛立ちが見えた。
「だ、だって……大翔にはつむぎちゃんっていう彼女がいたんですけど、その子が死んで、今の大翔は明らかにおかしくなっている。強いショックによって、正常な判断ができてないんです。だから、その……もう、ハッキリ言いますね。――有紗先輩、もう金輪際大翔に近づかないでください」
俺は思わず「はぁ……?」と漏らしてしまった。だが有紗先輩は一切表情を変えず、やや口角を上げた表情で一点を見つめ続けていた。そんな有紗先輩を見て大翔はこう思っただろう『不気味すぎだ……』と。
実際、こういう時の有紗先輩は凄く不気味が過ぎる。まるで日本人形でも見ているかのようなゾクゾクした感覚を周りに与える。いや、よく見れば有紗先輩は日本人形そのものだ。
すると、有紗先輩は慎ましいながらも爽やかな表情で言った。
「ごめん、それはできない」
優也は、今にも有紗先輩を殴りそうな顔をしていた。
「何故……」
「だって、私は大翔君のことがやっぱり好きだもん。っていうか、君と大翔君の関係性って〝ただの友達〟でしょ? 私と大翔の関係性は違うよ。私と大翔は、ベロキスしたり水族館デートしたり一緒に寝た仲だけど。あなたはそれ以上なの?」
全てが終わったと思った。優也が俺の方を尋常じゃない目つきで睨んできた。
俺は、睨んできた優也にどんな表情を見せればいいのか分からず、ムッとなんとも言えないような表情をすることを努めた。
「大翔、それは本当か?」
有紗先輩と優也が喧嘩して、でも結局割を食うのは俺じゃんか……。
「あぁ、まぁ……そうかもね」
「チッ」優也の舌打ちが辺りに響き渡った。
「ねぇ、優也君……だっけ? 君さ、大翔とベロキスしたことあるの? 水族館デートは? 一緒に寝たことは?」
「……ねぇよそんなもん……」
あったら困るわ。
有紗先輩は優也のその言葉に、ニンマリ顔を浮かべた。まるで『勝った』とでも言わんばかりに、うなだれる優也の奥にいる俺のことを見てくる有紗先輩に、俺はどういう顔をすればいいのか分からなかった。
俺は覚悟していた。もう、優也は俺と仲良くしてくれないかもしれない。そうなると、昼ご飯も一人で食べることになる。俺と有紗先輩の関係性を、優也は腹いせに学校中にバラすかもしれない。いや、そんなことしない奴だとは思うけど、バラすかもしれない……。
じゃあ俺としては、本当にこれでよかったのだろうか……?
有紗先輩とベロキスしたこと、水族館デートに行ったこと、お互いに下着姿になって一緒のベッドに横たわったこと。どれもが俺にとっては夢のような時間で、今だって有紗先輩の下着姿は脳味噌に強く刻まれている。だが……俺は、そうしたことによって、失うべきではない本当に大切なものを、失ってしまうのではないか……。
「なぁ大翔、俺はもうお前に何も言わない。金輪際お前に関わらない。そゆことで」
優也は、俺にそう言ってくると、有紗先輩の横を通って校内へと戻っていった。
俺は、有紗先輩と二人外階段に取り残された。感情の整理などつかず、今にも涙が溢れそうだった。
すると、有紗先輩が俺の隣りに座ってきた。有紗先輩に、ぎゅっとされた。
「大丈夫だよ、大丈夫。世界の全てが大翔の敵になろうとも、私はずっと大翔の味方でいるから。だから、さ……世界の全てが私の敵になろうとも、大翔だけは私の味方でいてほしいな」
俺は、思わず大粒の涙を溢した。もう元に戻れない、それでも前に進むしかない状況に、泣くことしかできなかった。




