淫魔と自衛隊②
「…………ッ!」
俺は勢いよく飛び起きた。まるで今まで水中にいたかのような息苦しさに飛び起きた。
俺は、確かめた。今自分が生きているのかを。そして分かった。今確かに、俺は生きている……。
俺は深呼吸をして辺りを見渡した。そこは、意識が途切れた最後の場所である、水族館の小水槽が均等に置かれている場所だった。俺は今生きていて、さっきの自衛隊の出来事も全てが綺麗さっぱり無かったかのようにこの空間は正常に戻っている……。この状況、なんにも理解できなかった。
俺はふと側を見ると、そこには有紗先輩がいた。有紗先輩は何気ない顔で小水槽近くのベンチに座っていて、俺のことを見ていた。俺と有紗先輩との距離は近かった。ふと冷静になってみると、俺もベンチに座っていた。
この状況から察するに、俺は……有紗先輩に膝枕をされていたらしい。だけど俺は、死んだはずじゃ……。
小水槽のあるこの館内には、さっきとは打って変わって明るい雰囲気があった。先ほどまでのこの館内には、暗く人も少なく寂しい雰囲気があったが、今の館内には大勢の客の姿もあり、活気があった。
そして館内BGMも流れていた。俺はクラシック音楽なんて聴いたことはあっても名前なんて知っているはずがないのに、この館内BGMが、ショパンのノクターンの第二番であることを俺は何故だか分かっていた。
「そんなに慌ててどうしたの? 何か怖い夢でも見たの?」
辺りを見回していた俺は有紗先輩にそう言葉をかけられ、有紗先輩の方をゆっくりと見た。
怖い、夢……。俺からしたら生きてること自体が悪夢みてぇなもんだけど……そういうことじゃなくて……ええと……。
「あ、あの、有紗先輩。さっき自衛隊員が沢山来て、俺達に向かって鉛玉をぶっ放してきたじゃないですか、それで俺はすぐに死んで、で、でも有紗先輩は淫魔に変身して自衛隊員を返り討ちにして……。あ、あれは一体なんだったんです? そして、俺はなんで今生きてるんです?」
もう全てが分からなかった。思考もまとまらず、自分の言っている言葉の意味すらあんまり分かっていない中で俺はそう言った。すると、有紗先輩は、そんな俺が面白かったのか、クスクスと笑ってきた。
「な、なにがおかしい?」
俺は苛立ちを覚えながら言った。すると有紗先輩は笑い混じりに言ってきた。
「ごめんごめん! えっとね、寝ぼけすぎて変なことを言ってるのが凄く可愛いかったから、つい。……やっぱり怖い夢見てたんでしょ。隠さなくていいよ! 笑ったりしないから」
「寝ぼけてなんてないっすよ。あれはなんだったんですか? 俺達に何があったんですか?」
そう言うと、有紗先輩は困ったような表情をした。まるで未習得の言語に困惑している外国人のような困惑ぶりだった。
「えっと……大翔君? 何があったかというとね? この部屋の小水槽を私と一緒に見て回ってたじゃない? その時、突然あなたは倒れたの。それで私は、周りの人にも助けてもらってこのベンチにあなたを連れてきて、起きるまで待ってたの」
「じゃあ、あれは全部夢ってことなのか……?」
「なんのことか分からないけど、多分そうなんじゃない?」
そんなわけない! と俺は思った。でも、有紗先輩の表情を見るにその言葉に嘘は含まれていないように思えた。それに、小水槽のあるこの館内の活気のある雰囲気を見るに、俺がさっきまで存在していた物寂しい雰囲気の館内は、ホントのホントに全部変な夢だったと言われても仕方がないことだった。
でも、だったら疑問がひとつ浮かんでくる。いつからいつまでの事が夢なんだ?
俺は有紗先輩と今日、最寄り駅に集合をし、電車に乗りこの水族館デートに来ている。その記憶は確かにあるのだが、その過程も全部夢なのだろうか? いいや……違う。
今までのことが全て夢であって堪るか。あんなに鮮明なものが夢だなんて信じないぞ。
「何はともあれ、大翔君が元気を取り戻してくれてよかった。さ、デートの続きしよ?」
「ちょっと待ってください有紗先輩。俺……本当に今頭がこんがらがってて……よく分かってないんです」
「何が?」
「現実が。もしかしたら俺が見てたアレは本当に全部夢なのかもしれないけど、今まで俺の人生は全部が悪夢で、でも有紗先輩とこうして今一緒にいることは夢のように嬉しくて、だから……だから……」
すると、有紗先輩は俺の手を握ってきた。そして次の瞬間むぎゅっとされた。
「ちょっと混乱してるね。大丈夫だよ。でも何が言いたいのかはなんとなく分かった。その上で言うね――たとえ今見ている全てのものが夢だとしても、現実だとしても、自分が納得さえしているのであれば、どっちでもいいんじゃない? 夢も現実も、案外同じようなものだったりしてね」
有紗先輩の胸の温もりを感じながら、俺は、うん、と頷いた。
有紗先輩に頭を撫でられた。俺は泣きそうになっていた。慰めてくれる有紗先輩の声色は、まるで俺がこれまでの人生で感じた事のない〝母性〟が含まれているような優しいものだった。もしこれが本当に母性だとしたら、俺はこれまで本当にお母さんに愛されていなかったんだなと思う。
「さ、行こっ」
有紗先輩がベンチから立ち上がると、手を握られて俺もそのまま自然と立ち上がった。
「さ、デートの続きだよ。もっとお魚見よ」
俺は有紗先輩に連れられるがままに、まだ見ていない水槽に向かって歩き始めた。
もし、もし、もし今こうしている俺が未だ夢の中にいるのであろうとも、俺はもうそれでもいいやと思った。だって今、有紗先輩と一緒にいるこの現実が、何よりも幸福だったから。




