月と曇り空
湊は思いもよらない話の方向に、目を丸くした。
「蒼真から聞いたよ。不思議だと思ったよ。まったく接点のない2人が偶然の出会いからここにいるなんてね」
「でも、蒼真さんと俺は運命的かどうかは怪しいと思いますよ」
「確かに、それは分からないね」
笹本さんは声を上げて笑った。
「だが、蒼真が誰かを連れてるなんて初めて見たよ。余程君を気に入っているんだろう」
笹本さんが温かい目で言ってくる。
しかし、湊は今までを振り返って、ため息が出た。
「そのせいで大分振り回されてますよ」
店の中に笹本さんの笑い声が響いた。
蒼真さんが戻ってきてお昼を挟んでから、また作業を始めた。結局その後の作業も数時間続いた。
全て終わることには夕方が近づいていた。
「いや〜、ありがとう。とてもきれいになったよ」
笹本さんは本棚を見回しながらにこやかに言った。
「本当、1日で終わってよかった。湊くんがいて助かった」
蒼真さんは誰よりも重労働を買って出ていたので、疲労困憊と言った感じで椅子にどかっと座った。
「感謝するよ、蒼真。そうだ、湊くんお礼に一冊どれか好きな本を持っていきなよ」
「いや、悪いですよ。気持ちだけで大丈夫ですから」
笹本さんはお礼をしないといけないと思っているらしい。
湊からすれば、貴重な時間を過ごして楽しかったのでそんな物は必要なかった。
けれどもこれぐらいしか私から渡せるものはないからと言われ、湊は断れなかった。
蒼真さんはというと、どこから持ってきたのかもう本を手に持っていた。
どれでも好きな本といっても、ここには様々な種類の本がたくさんある。
笹本さんは、出会いを楽しんで気になったものを手に取ればいいと言っていたが、それが難しい。どれも読んだことのない本で、迷ってしまう。
蒼真さんは、椅子にもたれかかりながら笹本さんと一緒に湊を見ている。なんだか緊張してきた。
二人の視線から逃れたくて二人に背を向けて本棚の前に立つ。
ちょうど目の前の本棚に、古本なのに色鮮やかな青い背表紙の本があった。厚みがないので雑誌のようだ。タイトルは英語でつけられていた。
棚から抜き出してみると、美しい青空の写真の表紙をした写真集であった。ページを開くと、表紙と同じように空の写真が何枚も載せられていた。しかし、どれも時間帯や場所、雰囲気が全く違った空だった。
「それにするの?」
いつの間にか蒼真さんは湊の隣に立っていた。
蒼真さんの言葉に、写真集を見つめたまま黙って頷いた。
蒼真さんは湊の頭を乱暴に撫でた。
湊が見上げると、蒼真さんは眉を下げて穏やかな表情をしていた。口元はうっすら笑みを浮かべていて、その目には温かさが籠もっていた。
湊は念のため、笹本さんに確認を取ろうと手に取った写真集を持って見せに行った。
「あの、この写真集をもらってもいいですか」
「それにしたんだね。いいじゃないか。君にとってこの本を手にするのは何かの縁だったのかもね。今日ここに来たことも含めてね」
笹本さんは優しく微笑みかけた。
湊は写真集を自分の部屋の本棚に置いた。
あの部屋の中で、写真集だけが鮮やかな色を放っていた。
ピーッと審判のホイッスルがグラウンドに響き渡った。
快晴で真っ青だった空が朱色に染まっていた。今日は1日部活で、湊たちの学校で他校との練習試合だった。
他校の学生が学校から去り片付けが終わると、湊を含めた部員たちはグラウンドの隅でだらんとして座り込んだ。皆片手にはタオルと飲み物が握られていた。
「はー、マジで全然勝てなかったな」
「こっちの攻めが全く通用しない感じだったよな。守備も上手く抜けられたし」
「あ〜、力の差がありすぎでしたよね」
部員たちの言葉の端々に悔しさが滲んだ。
湊は部員たちとは違い、今回のことに動じることもなく冷静な様子であった。タオルで汗を拭いながら部員たちの話を黙って聞いていた。
「湊、どうしたんだよ。さっきから黙ってるけど」
部員の一人が湊に話を振った。
「今回のことを踏まえて次頑張れば勝てるよ」
湊は当たり障りのない答え方をした。
「お前すごいな、なんでそんなに平然といられるんだ?勉強もスポーツもできるやつは対応まで余裕かよ」
「確かに清原先輩は何でも卒なくこなすイメージありますよね。サッカーの技術はもちろん、勉強も学年で上位なんでしたっけ」
「別に余裕があるわけじゃないよ。ただ次につなげてみんなで勝ちたいなって」
「お前はいいやつだな〜」
この後すぐに話題は、関係のないゲームの話になって練習試合のことはもう触れられなかった。
だが、湊は喉まで出かかった皆に言えない気持ちがずっと残っていた。
しばらくすると暗くなり、解散することになった。
「湊、帰ろう」
いつの間にか智也が荷物を持って湊を待っていた。
「ごめん、すぐ準備する」
湊は出しっぱなしにしていたものを無造作にかばんのなかに突っ込んだ。かばんを肩にかけて智也の顔を見ると、目を丸くしていた。
湊が怪訝そうな顔をすると、智也はぶっと吹き出して笑った。
「なんでもないよ」
そう言っている間も、智也はずっと笑っていた。
家に着く頃にはすでに夜ご飯の時間で家族が湊を待っていた。ご飯を食べてから、お風呂を出てリビングに行くと、母と遥香がドラマを観ているところだった。
「あ、お兄ちゃんここ座る?」
遥香に促されるまま、ソファに腰掛けた。
テレビで流れていたのは、詐欺師が主人公のドラマで世の中の悪人たちを依頼のもとに、騙して成敗していくといった内容だった。湊は基本的にドラマや実写映画は自ら進んで観ることはない。
CMになると、遥香が湊に嬉しそうに話しかけた。
「どう?このドラマ面白くない?」
「うん、そうだね」
「本当に思ってる?適当に言ってるでしょ」
遥香は湊の返答にどこか納得がいっていない様子だ。遥香は頬を膨らませた。
「湊はあんまりドラマとか見ないものね。興味がないならそんなものじゃない?」
遥香の隣に座っている母が遥香をなだめた。
湊は決してドラマや実写映画に興味がないわけではない。むしろ、観始めれば他が目に入らないほど食い入って観ていることのほうが多い。
こういったものを観ていると胸がぎゅっと掴まれたような気持ちになることがあるから、湊は自然と避けるようになった。
CMが明けて、またドラマが再開した。
ドラマの中の俳優は悲しみや喜び、嬉しさや怒り様々な感情を表現して、観ているすべての人の意識を掻っ攫う。
演技をすることで輝く俳優たちの姿は、湊に自分の存在を強く認識することを迫る。
俳優たちと湊の間には明確な線引きがあって、湊は暗闇の中からスポットライトの光に照らされているのを遠くから見ることしかできない。
ドラマの場面が切り替わる瞬間、テレビの画面がふっと暗くなった。
その時テレビに反射する自分の顔が見えた。眉間にしわを寄せ、唇を噛んでいた。肩が少し上がり全身が固く力が入っていた。そして目には、黒く歪んだ感情が詰め込まれていた。
場面が切り替わってからは再び俳優のセリフが始まった。
湊はハッとして、自分の顔をそっとなぞった。顔の筋肉が弛緩していくのが分かでた。湊は自分の感情についていけていなかった。
そっと口元に手を添え、渋い顔をした。こっそりと遥香と母の様子を窺って、ドラマに釘付けなことを確認して、ふっと息を吐いた。
湊はもうドラマには集中できなかった。真っ黒な画面に映る自分の顔が頭からこびりついて離れない。
結局ドラマの内容はほとんど入ってこなくなって、途中で自分の部屋に来てしまった。
湊は勉強机にうつぶせになる。スマホの画面がぱっと明るくなった。
部活の仲間からのメッセージがグループにたくさん送られていた。何件も皆、今日のことを反省して次こそはという強い気持ちが伝わるような文面であった。
一通り目を通した後、湊は文字を打ち始めた。
途中でスマホを滑る指が止まってしまった。湊は大きくため息をついて、打ちかけの文字をすべて消した。
スマホを机に伏せ、カーテンを少しだけ開けた。
今日は空一面が雲に薄く覆われて月もほとんど見えず、雲と雲のわずかな隙間から光が漏れ出るだけだった。
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