特別授業で
呼吸が浅くなる。
蒼真さんの考えていることが知りたくて恐る恐る蒼真さんのいる横に瞳が動く。
湊には、蒼真さんの口が緩い弧を描いているように見えた。
「好きか分からないか。それでも続けてこられるなんてすごいね」
蒼真さんは言葉を選ぶようにして続けた。
「好きかどうか分からないものを続けることは、好きなことをやり続けるよりもずっと……難しいことだと思う。しかも団体プレーのスポーツなんて、みんなと気持ちを合わせることも必要だし、みんなのために頑張らなくちゃいけない。……簡単じゃない。湊くんは努力してきたんだな〜」
そう言って湊に笑いかけた後、缶を傾けてぐっと飲み干した。
蒼真さんが紡ぐ言葉を、心の中で反芻してぐっと熱くなる気持ちを抑えた。
「でも、無理すんなよ。嫌になったら、やめたっていい。立ち止まって自分が何したいか考えればいい」
蒼真さんと話していて分かったことがある。
蒼真さんは自分にどんな言葉を向けるべきか真剣に考えてくれている、湊はそんな気がしてならない。
自分が見逃してしまうほど自然にそっと寄り添って、自分のためにまっすぐに話してくれる。
こういうときの蒼真さんはいつものヘラヘラとした笑いではなく、考え込むような表情を見せる。
「気楽にやれよ」
湊は道端を駆けていくビニール袋を見つめながら、静かに頷いた。
夏休みに入ってそろそろ半ばに近づく頃に、湊は特別授業を受けていた。
先生は、授業開始からずっと雑談を続けていた。 先生の話に飽きた湊は、閉め切られているカーテンの隙間から窓の外を眺めていた。僅かに差し込む光が眩しくて、目を細めた。
湊の学校では、夏休みの間に数回だけだが、休み期間の勉強を促進するために特別授業がある。
部活の試合や遠征がある人は免除されるので、毎年2割くらいの人は参加していないことが多い。去年の湊もその一例だ。しかし、今年はサッカー部はたまたま部活の予定が被らず、湊も奇跡的に参加することになった。
正直、湊は部活より特別授業のほうが気楽だと思っていた。だって、座って受けていれば時間は勝手に過ぎていくから。先生に当てられなければ、必要以上に頑張る必要はない。それに、サッカーと違って、自分をずっと見られることもない。
肩肘をつきながらぼんやりしていると、先生の話はいつのまにか進路に関する話に移り変わっていた。
「いいか、2年生だからって気を緩めるなよ。3年生なるなんてあっという間だ。だから、進路について今のうちに考え始めることは大事だ」
先生はみんなの顔を見回した。
「今年のうちにオープンキャンパスとか行ってみるといいぞ。イメージだけでもあるだけで違うからな。あとは――」
先生の熱意は止まらない。それに反比例するように、湊の心には嵐が吹き荒れる前のような不気味な冷たさ広がっていく。
湊は自分の奥深くに眠るものを起こさなければならなくなる、そんな気がしてもうこれ以上考えたくない。
気を紛らわせようと、話しながら一生懸命動かされる先生の手の動きを、ひたすら目で追った。
特別授業は半日で終わるが、3限まである。英語、現代文と続き、次で最後の数学だ。その前にトイレに行きたくなり席を立った。
教室に戻ろうと廊下を歩いている時、遮るもののない青空に二筋の細長く白い線が見えた。
飛行機雲だ。どこまでも伸びていく様子を立ち止まって見続けた。
自分もこの飛行機雲のようだったら、よかったのに。
隣で、誰かの靴が摩擦して音を立てた。
「何見てるの?」
その声に、湊が視線だけ隣に移した。
湊の横に並んで窓の外を眺めながら、橋本さんは不思議そうにしていた。
橋本さんは隣のクラスの女子で普段は関わることはない、にもかかわらず話しかけられたのは今日の特別授業で隣になったからだろう。
特別授業では人数が少ないこともあってか成績を加味してクラスが分けられている。ちなみに、智也や仲の良い友達とはクラスが離れてしまった。
湊は再び窓の外に目がいった。
「空を見てた。飛行機雲がすごいでしょ」
「ホントだ。今日は雲が全然ないから綺麗だね」
橋本さんは窓枠に手をかけて呟いた。
「そうだね」
湊もまた外の空を見上げた。
「それだけ?」
「えっ?」
「だって随分、食い入るように見えたよ」
橋本さんは首をわずかに傾け、湊の方を向いた。
「そうかな?」
湊は誤魔化すようにうっすら笑む。何かを悟られてしまったのではないかと不安になる。
「こんなに晴れてるとさ、地球が丸いなって思わない?どこまでも空が広がっていく感じがしてさ」
橋本さんは窓枠に手を添え、窓に近付いて目を細め空を見た。
「確かにね」
「清原くんには何が見える?」
橋本さんは湊の顔をじっと見上げた。
眼鏡の奥に見える目は逸らされることなく自分を見ている。
言葉が一瞬詰まる。さすがに、飛行機雲になりたいなんて言えない。なんでって言われたらおしまいだ。
湊は、別のことを言うことにした。
「晴れ渡った空が真っ青なキャンバスに見える。そこに白いクレヨンで絵を描き始めた瞬間かな。飛行機雲ってクレヨンで描いた線に俺は似てると思うから」
「へ〜」
橋本さんは、湊の言葉を聞いてもう一度空を眺める。
「いいね。まさに、贅沢なお絵かきだね」
橋本さんは宝物を見つけたみたいな顔をして目を輝かせた。
湊と橋本さんはゆっくり歩き出した。
「清原くんは、サッカー部だよね?」
「そうだよ。何で知ってるの?」
湊は目を見開く。橋本さんとサッカーとの関わりが点と点で、つながらない。
「私ね、演劇部なの。部室からちょうどサッカー部が練習するグラウンドが見えるんだ。それでね、よく清原くんのこと見てたんだよ。」
橋本さんは湊を指さした後で、少し慌てる様子を見せた。
「あ、別にサボってるわけじゃないよ。ただ、演劇部って人数が少ないし兼部してる人もいるから集まり次第では活動にならなくってさ」
なぜ、自分が見られていたのかはよく分からない。
だが演劇、自分は絶対選ばないであろう部活に興味が湧いた。
「橋本さん、演劇部なんだ。橋本さんは役者? 裏方?」
「私はね〜、脚本と監督やってるんだ」
湊には同級生とは思えなくて、自然と言葉が出る。
「すごいね」
「そんなことないよ。他にもにやりたい人もいないからね。今は次にやるミステリーの脚本考えてるんだ」
橋本さんは拳にぐっと力を入れてガッツポーズをした。
あの青空のように眩しいと思った。
橋本さんの目は生き生きとして、表情からは熱意が伝わってくる。
「そういえば、橋本さんはなんで俺のこと見てたの?」
湊は忘れかけていた疑問を口にした。
「それはね、清原くんだけサッカー部の中で空気が違う感じがしたんだよね」
「空気?」
「そう。練習してるときとかはあんまり思わないけど、ふとした時に清原くんだけ一緒にいるのに別の場所にいるみたいな?」
橋本さんはその時の光景を思い出すかのように目を閉じる。
「そんなことないと思うけど」
湊は軽く笑い飛ばす。しかし、湊の瞳の奥にどろりとした何かが姿を見せる。
橋本さんはそのまま前を見ながら続けた。
「なんというかね、他のみんなが熱血スポーツ漫画の登場人物で、清原くんは少女漫画のヒーロー役的な。清原くんがより現実離れしている感じ。纏う空気が、涼しげって言えばいいのかな」
湊は顔が引きつりそうになるのをこらえる。
「う〜ん、そんなことないと思うけど。普通だよ」
曖昧な言葉しか言えない。話をうまくそらすこともできない。
「本人は納得いかないものかもね。自覚とかないだろうし。でも、私からすると大変参考になるんだよね」
橋本さんの言葉に、引っかかりを覚える。
「参考って何の?」
「脚本の。清原くんって物語に登場するキャラにぴったりなんだよね。なんでだろ」
橋本さんが湊の顔を凝視する。湊は橋本さんから視線を外した。
「たまたまじゃない?」
そう言いながら手のひらが冷たく湿っていく。
物語の登場するキャラ、この言葉が湊の中で繰り返される。
湊の鼓動はだんだんと速くなり、大きな音を立てる。
橋本さんには部室の窓から何が見えていたのだろうか。橋本さんが何に気づいていたのか。
湊にそれを知る術はなかった。
「もうチャイムが鳴っちゃう。急ごう」
「そうだね」
自分はどんな表情をしているだろう。いつも通りの自分の顔ができているだろうか。
確認する方法がないことにもどかしさを感じた。
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