いつもと違う夏休み
あれ以降、あの場所には行っていない。
あの日、家に帰り普段通りの家族と話していると、あの人との出来事は不思議に感じていた。
しかし、テストがあって忙しく、あの時のことを深く考えることもなく日々が過ぎていく――。
気付けば、夏休み前の修業式の日になっていた。
修業式が午前中に終わり部活もなかったので、午後が空いていることもあり、智也から誘われて部活のみんなと遊ぶことになった。
そんな中で、湊は途中で用事があると言って抜け出した。
湊には、息苦しくてたまらなかった。
いつものように自転車を停め、この場所を歩いてみる。
いつもと違って今日はまだ暗くなるにはまだ早い時間だ。
ネオンや街灯の明かりがなくて、行き交う人々の様子も全然違う。
自分の知らない場所のように感じて、新鮮で湊の口角が上がる。冒険に出るような気持ちで練り歩く。
そうやってしばらく歩き回ってから、フェンスに寄りかかった。そしてぼんやりとして、通りを眺める。
気付けば辺りは暗くなり、自分の知っている世界になっていた。ずいぶん時間が経っていたらしい。
湊は再び歩き出す。
一歩一歩噛みしめるように。いつも通り心地よさを感じる。
それでもヒビの入っているグラスに水を注いでいる時のように満たされることのない気持ちを紛らわせたくて仕方ない。
周りの声や音に耳を傾け、揺れ動く気持ちを静めようとする。
不意に後ろから何かを感じ、パッと振り向くと見覚えのある人物が驚いたように声を上げた。
「まさか、気づくとは思わなかったよ。エスパーかな?」
「なんでまたいるんですか、蒼真さん」
この人は前に会ったときと同じような嘘くさい笑みを浮かべていた。
しかし、湊の中で何かに引っかかった。
後ろから感じたのはこんな軽さだっただろうか。もっと、冷たくて重い、とても1人から発せられる圧とは思えないような――
「また会えてうれしいよ。ここ何日も見かけなかったから、もう来ないと思ってたよ」
「なんでですか」
「え〜、だってこの前のことがあったからさ」
蒼真さんはちょっとだけ気まずそうに頭をかいてつぶやいた。
湊は目をしばたたかせる。この人が気にしているとはなんだか意外だった。
「別に、気にしてませんけど。他人のせいで自分が遠慮するなんておかしいし」
「あっそう。じゃあ、最近来なかったのはなんで?」
「それはテストがあったからですよ。さすがにテストがあるのに遊び歩きませんよ」
「テストか。懐かしいわ」
勉強全然やらなかったからなと蒼真さんはポケットに手を突っ込みながら笑っていた。
この人のペースに乗せられてしっかり話し込んでしまった。正直この人のことは湊にはよく分からない。嘘くさい所があるが、全部が全部そうではないから困惑する。
なぜ今日も自分に話しかけてきたのか。用事なんてないはずなのに。
結局大した話もせず、何がしたいのかさっぱりだ。
湊が疑問で頭をいっぱいにしているうちに、自転車を停めていた場所まで戻ってきていた。
「俺もう帰りますね」
蒼真さんはじっと駐輪場を見つめる。
「いつもここに停めて歩いてんの?」
「そうですけど……何か?」
なぜそんなことをわざわざ確かめるのだろう。ここじゃなくても駐輪場はたくさんあるしどこでもいいじゃないか。蒼真さんが何を考えているのか理解できなかった。
「あのさ、キミが来てない間のことなんだけど。警察とか結構来てたのよ」
「え?」
「ここらへんは夜になると人も多いし、夏場になるとヤバいやつもいっぱい出るから見回りが増えるっぽいんだよね」
「そうなんですか?」
「あれ、今までそういうことなかったのかな」
蒼真さんは首を傾げた。
自分が知らないだけでそんなことになっていたとは。自分一人でこんな時間に出歩いていたら確実に警察に声をかけられることになる。
つまり、この場所に来づらくなるということ。
せっかく見つけたこの場所を夏休みの間は来られないかもしれないということに、湊は気が重くなる。
「ともかく、キミは一人でここをうろつくのはもうだめだから」
蒼真さんはそう言って、鋭い目つきをする。
湊は一瞬息が詰まりそうだったが、すぐにその視線が自分に向けられていないことに気づいた。
自分の頭越しに何かを見ている?
後ろに視線を滑らせたが、何もなかった。いつも通りの景色が広がっているだけだった。
「あの、……」
「何?」
湊が声をかけた時には、もう作り笑いに戻っていた。
さっきのことを聞いても答えてもらえない、そんな気がしていた。
「キミは学生なんだから、気を付けなきゃ。あんまりここに来ない方がいいよ〜」
念押しされなくても分かっている。
それでも、自分にとってこの場所は息がしやすい。
湊はこの場所を目に焼き付けるようにゆっくり瞬きをした。
「ここを歩きたいときは、俺がいるときだけにしなよ」
「は?」
先ほどとは打って変わった蒼真さんの台詞に、湊は反射的に声が出た。
「だから、今度からキミがいつも自転車停めてるここの近くにいるようにするから。あと、俺がいない時は、まっすぐ家に帰ること」
湊は顔をしかめて目の前にいるこの人を見上げた。親が幼い我が子に、言いつけを守らせるような言い方だ。
「なんであんたがそんなことするんですか。関係ないですよね」
「でも、ここが好きなんでしょ」
言葉が詰まる湊を見て、この人は緩く笑った。
「せっかく年上がいいって言ってるんだから、素直に甘えとけばいいのよ」
「……一緒に歩きたくはないです」
拗ねたような言い方しかできなかった。こんなにも自分に構うのはなぜだろうか。
「素直に喜べばいいのに。年上をこき使えるいい機会なんだぞ」
「自分で言ってて悲しくないですか」
なんとも情けないセリフ、しかし、蒼真さんの言葉に口を緩ませている自分がいた。
それからは、湊があの場所に行くたびに蒼真さんはいつも待っていた。
場所は毎回少しづつ違うけれど、必ず蒼真さんはいた。自分は気付けば外出する用があってもなくても、あの場所に足を運ぶようになった。
初めの頃は、蒼真さんといるより一人のほうがいいと思っていた。
蒼真さんはそんな自分の様子を感じ取ったのだろうか。無理に会話しなくてもいいと言ってくれた。
でも次第にポツポツと会話するようになって、そのうち思ったほど嫌じゃなくなった。
今では蒼真さんと他愛もない話をしていることが楽しくなっていた。
周りを観察して耳を澄ませる以上に蒼真さんと過ごす時間は心地良かった。
気付けば名前を一方的に知っている関係ではなく、お互いに呼び合うような関係になっていた。
こうして過ごしてみると、蒼真さんは第一印象とかなり違う人だった。
蒼真さんは大学生ぐらいかと思っていたが、そんなに若くはないよと笑っていた。25歳らしい。自分からしたら大して変わらないような気がしていたが、蒼真さんはそんな自分を見て、みんながキミのように捉えてくれるといいけどねとちょっぴり悲しそうであった。
ちなみに、仕事は何でも屋をやっていて猫探しや近所の困りごと解決をメインにやっているらしい。儲かるのかどうかは少しだけ謎だった。
見た目の軽そうな雰囲気とは違い、実は誰とでも飲み歩くわけでもないそうだ。なんなら、居酒屋よりも喫茶店に出入りすることが多いらしい。
「湊くんはここ最近、毎日来てるけど部活とか忙しいんじゃないの?」
蒼真さんが近くの自販機で買ったペットボトルを差し出す。湊は道端に座り込んだまま、差し出されたペットボトルの蓋に力を入れながら答えた。
「朝から晩までってわけじゃないので。慣れればどうってことないですよ」
「ふ〜ん。そういうもんか。部活の話とかあんまり聞いたことないけど、サッカーいつからやってるの?」
「中学に入ってからですかね」
飲むのをやめて、蒼真さんを見上げて言う。
「結構続けてるね。サッカー好きじゃなければ続けられないね」
なんて返せばいいのか一瞬分からなかった。
誤魔化すほうが楽なのは分かっているが、蒼真さんに嘘をつく気になれなかった。
「どうなんだろ……」
湊はしばらく言葉を置いた。
「中学からの延長で何となく続けてるだけかもしれません」
蒼真さんからすぐに反応がないので、湊は焦りを感じた。
あぁ、自分は間違えたんだ。
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