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Cross gazes  作者: 水紋
一章:関係の名前

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2/11

特異点

 7月の半ば頃、湊は暑さにやられながら自転車を漕いでいた。

 今日は部活のテスト勉強会を断って早々に家路についた。

 本当は、あの場所で人々を眺めていたかった。しかし、テスト前なので遅くまで外にいると知ったときの家族を想像したら、行くなんてできない。


 アスファルトからは湯気が立って見えるほど視界が歪んだ。

 イヤホンをして音楽を聴いているのにもかかわらず、セミの苦しげな唸り声が耳まで届く。

 湊の頬に、汗が一筋の跡を作る。


「ただいま」

 家の中は静まり返り、湊の声だけがよく通った。

 父と母はまだ仕事で、妹は今日は友達の家に行くと言っていたことを思い出す。


 靴が自分のだけしかないことを確認して、なだれ込むように玄関に腰を下ろす。

 しかし、すぐに家の中の暑さに我慢できなくなる。手を洗わずに、真っ先に自分の部屋に向かいクーラーをつけたい。


 階段を上るたびに、静かな家に階段の軋む音が響き渡る。家の中は住んでいる家族を表すようだ。4人家族でごく平凡な家庭、しかしその平凡な家庭としては完璧と言えるだろう。


 部屋のドアを開けると、目の前の窓から暑さが流れ込んで生ぬるい風が湊の脇を通り抜ける。これ以上暑くならないように、カーテンを少しだけ閉め部屋の明かりをつける。


 この部屋は湊一人で使っている。妹は隣の部屋だ。兄弟でありながら、一人部屋を幼い頃から使わせてもらっていた。このことには両親に感謝しかない。

 湊の部屋には、サッカーボールとスパイク、あとは流行りものの漫画やゲームが、生活感がないように感じるほどきっちりと仕舞われている。


 ふと、部屋の真ん中で立ち止まる。

 ずっと流しっぱなしにしていた曲は、湊の耳によく馴染んだ。


 余韻を感じながら、共感を求めてコメントを探した。やはりどのコメントも歌詞や歌声を評価する内容で溢れていた。


 だが、その中に意味がわからないコメントもいくつかあった。

 なんとなく気になってそのコメントに対する返信に目を走らせる。

 コメントの返信には思いもよらない事が書かれていて、スマホを操作している指が固まる。

 真実が知りたくてすぐに、検索サイトでそのことについて調べる。コメントの内容は正しいようだ。

 湊は検索サイトを開いたまま呆然としてしまった。


 ボーカルの人は亡くなっていた。


 4人組のバンドで、最近ではアニメやドラマの主題歌も少しずつ手がけるようになっていたらしい。 なぜ亡くなったかははっきりとは書かれていなかった。

 でも、ボーカルの人は以前から精神疾患を抱えていたそうだ。亡くなってしまったのもそういう理由なのかもしれない。

 気づいたら、またコメントを読んでいた。そこには死を嘆く声や労るような声で溢れていた。それを読んでいるうちに、不思議な気持ちになって、



 「いいな……」



と、口から何気なく言葉がこぼれた。


 そのあとで自分の出した言葉の意味をゆっくり噛み締め、理解した途端、体が芯から冷えていくように感じる。視界は揺れて自分が立っているのかどうかすら怪しくなる。

 顔がひどく歪む。いくつもの感情を無理やり詰め込まれたように胸を締め付ける。

 スマホを持つ手に力が入り肩が隆起した。

 湊は音を立ててベッドの上で弾むほど、スマホを強く投げた。


 だんだんと呼吸の仕方が分からなくなり、息が震えてうまく吸えなければ、吐けない。

 いつの間にかのどに触れていた手は、先端まで冷え切っていた。手が触れていた首筋に伝う汗も、ひんやりとしている。

 しかし部屋の中はまだクーラーが効いておらず、重苦しい空気が充満していた。


 すべてを忘れてしまいたい、湊は自分に吐き気がした。だから、そのままベッドに倒れ込んで意識を手放そうと必死で目を瞑った。

 再び目を開けたときには、帰宅した家族の生活音に囲まれていた。




 朝になってカーテンの隙間から光が漏れる。うっすら目を開けて、昨日と同じ天井を見つめる。

 湊は苦虫を噛みつぶしたような表情をした。昨日のことは一晩経って、むしろ鮮明な記憶となって湊に襲いかかってきた。


 リビングにいる家族に顔を見せてからすぐに洗面所に行く。顔を洗ってタオルを手に取りながら、湊は一点を見つめる。


 目の前の鏡に映るのは冴えない自分。すぐに忘れてしまいそうな特徴のない顔と黒髪は、良く言えば素朴な、悪く言うならどこにでもいる、そんな風貌をしている。

 鏡の中の湊からは何の感情も読めない。固く結んだ口は少しも動かない。

 鏡の中から真っすぐとこちらを見る瞳は、どこまでも底がなく光を通さない深い海を想像させる。

 唇を強く噛みしめる。

 そして深く息を吸い込んで鏡の自分から目を反らした。


洗面台で顔を拭いていると、

「お兄ちゃん、そこどいて。いつまで使ってるの〜。私も使うんだから」

と妹の遥香が後ろに立っていた。

「あ〜、ごめん」

「さぁ、退いた、退いた!」

 遥香はよく分からない決めポーズのようなものをしていた。朝から元気だった。

「はい、はい」

湊は、そうして遥香に追い出された。



 家を出て自転車を思いっ切り漕ぎ風の通り抜ける音を聞きながら、空を見上げる。

 夏の日差しが強く、湊は目を細めた。真っ青な空には、立派な入道雲が鮮明な形となっていた。


 学校に着くと、駐輪場で友達の智也が軽く手を上げる。


「お、湊じゃん、おはよ」

「おはよ。智也にしては早いね。いつもギリギリなのに」

「まぁな。テス勉が嫌んなって早く寝たからな」


 前を歩いていた智也は笑いながら、湊の顔を覗き込んだ。


「お前は? 昨日用事あるとかでサッカー部の集まり行かないで帰っちまったけど、テス勉した?」

「いや、俺も全然やってない」

「ホントか〜? お前いつも点数いいじゃんかよ」


 智也の言葉に湊は苦笑した。

 すると、智也は湊の肩を抱きながら湊の顔を穴が空きそうなほど見つめた。湊はその視線に気づいて、


「どうしたの?」


と怪訝な顔をして首を傾げた。

 しばらく智也はう〜んと唸ったが、やがて納得したように湊の背中を軽く叩いた。


「なんでもない。今日は一緒に勉強しようぜ。ほかのやつらは来ねぇけど、2人でやるぞ」

「いいよ」


と返すと、智也は今回はいい点取ってやると意気込んだ。

 それを見て湊も自然と笑みが浮かんだ。

 

 教室に着けばクラスメイトとホームルームまで談笑する。ホームルームでは連絡事項を伝えられる。授業では、発言をしてノートを欠かさず取る。

 昼休みになれば友達と昼食を食べて、余った時間は部活の仲間とサッカーをする。

 午後も授業をして、友達としゃべりながら掃除をして―。

 時折、湊の表情に陰りが見える。その瞳は誰かを捉えることはなく、ただ空虚な世界を見つめていた。



 気づけばまたあの場所に立っていた。

 湊は見えない何かに引っ張られるように歩き出した。頼りない足取りで一歩ずつ踏み出す。次第にその足取りはさらに軽くなり、全身がまるで操り人形になってしまったかのようだ。


 湊の目には辺りの店の灯りがぼんやりと映る。   周りの人はすべてスローモーションに見えて、鮮やかな色が溶けていく。湊の視界を占める世界は徐々に歪んで現実を消し去る。


 目を薄く閉じ、ゆっくりと自分の呼吸を感じ取る。胸は規則的なリズムを刻む。

 近くに流れる音楽を耳にして、昨日のことが頭によぎり、目を大きく開いたまま視線が揺れる。

 身体はわずかに震える。もうやめよう。目を背けていつも通りにすれば、きっと――。


 俯いて歩く湊の視界に、突然誰かの後退りする足が入ってきてぶつかった。俯いていたので頭を思いっ切り打ってしまい、頭をさすった。


「うっわ、ごめん」


 前にいた人が振り返って、身を屈めながら謝ってきた。


 顔を上げると、20代前半くらいの男がいた。

 謎の柄の黒いアロハシャツのようなものにだるっとしたパンツを履いている。髪はパーマがかかったような癖っ毛で、サングラスを掛けている。

 湊の下から上まで見る視線がやがて相手の顔に向けられた。


 そして、二つの視線が交差する。


 

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