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六畳一間の世界征服


 甘えるように、ロキ様は私の首筋に顔を埋めた。

 柔らかい白い髪が首筋や頬に当たるのがくすぐったい。

 古めかしい貴族服――つまり、私が良く見知っているような、けれどもう今は懐かしさを感じる服の感触が体に触れる。

 その下にある筋肉に覆われた硬い腕や体は私よりも大きくて、長い腕にすっぽりと包まれると、気恥ずかしさと共に安心感を感じる。

 私よりも少し低い体温が、触れている場所だけ私と同じぐらいあたたかくて、体の境界が曖昧になる。


「私のために、ロキ様は、色々なことをきっと、隠してくださっていますのね」


「もう、隠し事はないよ」


「良いのです、全て知りたいとは思いません。ロキ様が嘘をついているとしたら、それはきっと、優しい嘘でしょうから」


 私は寝そべるロキ様の上に乗って、その顔を覗き込んだ。

 灰色の瞳の奥底は、深くて、覗き込むと落ちていってしまいそうになる。

 曖昧に微笑むロキ様に覆い被さって、私はその唇にそっと口付けを落とした。


「……それは、反則だと思う」

 

「好きです。あなたが、好き。私のせいで沢山の人が傷つきました。私が幸せだと思うことは、間違っているのかもしれません。けれど私は、ロキ様と……最後まで、一緒に居たい」


「僕も、アンジュを愛してる」


「……嬉しい。でも、私は、……皆を不幸にしましたわね。私は、アカネさんと同じ。軽薄で、自分勝手。アカネさんのこと、責められませんわね」


「巫女は、アンジュとは、違う。きっと、どんな言葉も、届かなかった」


「それは……多分、自分の苦しみしか、見ていないからですわ。自分だけがいつでも苦しいのです。私がここに来た時、ロキ様に世界を征服して頂こうと思た時だって、そうでした」


「アンジュは、飴を食べさせたら、すぐに元気になったように見えたけどね」


「飴、美味しかったです。ロキ様の元で、違う世界を見て、箱庭を作って、箱庭の中の人々を眺めて。自分の罪を思い知って。ロキ様に、恋をして。私はロキ様に救われました」


「それは、僕も同じ」


「でも、アカネさんはずっと、苦しいままだったのではないでしょうか……苦しいと何も見えなくなってしまいますわ」


 許せないと断じてしまうのは簡単だ。

 理解はできないけれど、ただ、哀しいと思う。

 綺麗ごとかもしれないけれど――それでも、アカネさんはヴィオニス様に恋をしていたのではないのだろうかと思いたい。

 そこにはなにか、感情があったと信じたい。

 産み落とした赤児を捨てた最初の巫女様だって、きっと苦しんでいた筈だと。


「苦しいから、ずっと……湖の底で溺れるように、ずっと、水面に向かって手を伸ばしているのかもしれません。……ヴィオニス様は、私は世界が綺麗だと妄信していると、それが愚かな事のように言いましたわ。けれどロキ様。私はそれでも、世界は美しいと思うのです」


「僕もずっと、湖の底で溺れてた。アンジュが、僕を……無理やり引っ張り上げてくれた。アンジュは、僕の作った世界を綺麗だって言ってくれたよね」


「ロキ様は、深く傷ついていらっしゃるのに、世界に絶望しながら、それでも皆が自由に暮らせる世界を作り続けていますでしょう? 私にはそれは、とても美しい事だと思います。それに、ロキ様はどんなときでも私を傷つけないようにしてくださいましたわ。私の意思を、いつだって尊重してくださいました」


「でも僕は、本当は……クラウスを消してしまって、何もかもを隠してしまおうと思ったんだよ」


「それは私を守るためですよね?」


「うん。……ヴィオニスに、アンジュを奪われるのが、嫌だった。それに、アンジュが辛い思いをするのも、嫌だった。僕はアンジュが好き。……愛してる」


 愛しさに胸が震える。

 切なげに震える声で、ロキ様は言った。

 まるで臆病な少年のように、灰色の瞳が潤み揺れている。

 今にも泣きだしてしまいそうなほどに、幸せだった。


「キス、して良い? ……僕の大切な、アンジュ。ずっと、そばにいて」


「はい。……私も、ロキ様が好きです。……だから」


「……うん」


 ぐるりと世界が反転して、ロキ様が私の上に覆い被さっている。

 慎重に、唇が重なった。

 何度か軽く唇が触れたあと、そっと唇をわって熱いものが口の中へと入ってくる。

 それは熱くて、なんだか甘い。

 深い口付けに体の境界線を見失う。それはまるで、ひとつに溶け合ってしまうようだ。

 息苦しさの向こう側に、まるで蜜がしたたるように甘いなにかがある。

 どこまでも優しく深く長い口づけが終わるころ、私の体からはすっかり力が抜けていた。

 息苦しさから解放された私は、はあ、と息を深く吸い込んだ。

 涙の膜が張った視界に、ロキ様の唇と赤い舌が見える。

 細められた灰色の瞳はいつもより色が濃い。

 白い頬が僅かに上気しているのが、なんだかとても、綺麗だと思った。


「……アンジュ、大好き。もっと、したい」


 私のこめかみや、頬や額に、何度も口付けながら、ロキ様が甘く優しい声で言う。


「ねぇ、アンジュ。好きな人と触れあうと、……こんなに、幸せな気持ちになるんだね。今まで、知らなかった」


「私も、幸せです……。でも、大変、ですのね……体に力が入りませんわ」


「……アンジュ、破壊力が凄い」


 ロキ様は私の体を抱きしめて、暫くじっとしていた。

 どういうことなのか分からないけれど、私は息を整えながら目を伏せていた。

 体がふわふわする。

 あまりにも気持ち良くて眠ってしまいそうだった。

 やがて「寝ちゃっても良いよ」とロキ様が言った。

 ふかふかのお布団は、雲の上に寝転んでいるようにふかふかであたたかくて最高だった。

 ただいま、お布団。

 私は枕に頬を擦りつけた。


「あんまり無理しない方が良いよね。……今日は血も、貰っちゃったし。アンジュ、おやすみ」


「ロキ様……、おやすみなさい。……大好きです」


「うん。僕も、愛してるよ」


 一度離れると、上掛けを脱いでいつもの白い服を着たロキ様が、私の横へと体を滑り込ませる。

 私はその体に抱き着いて、いつもの触り心地のよいゆるっとした服に、頬をあてる。

 規則正しい鼓動の音がした。


 そうして、私の世界は征服された。


 六畳一間の小さな私の世界は、深い愛情と喜びと、ほんの少しの不安と期待で、煌めいている。

 ふわりと体を包み込むお布団は小舟のようで、手を繋いで眠る私達は深い底まで見渡せる透明な湖の上を揺蕩っている。

 湖の底で呼吸を詰まらせながら、水面に手を差し伸べているロキ様はもういない。

 もしロキ様が再び小舟から落ちてしまったら、私はいつだってその手をつかんで無理やり引きずりあげるだろう。

 何度でも、きっと。


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