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夢の終わり



 描きかけの血の魔方陣から、吹き出すようにして赤い血が溢れた。

 それは紐状になり折り重なり、人の形を形作る。

 醒めた灰色の瞳がふわりとした白い髪から覗いている。

 古めかしい貴族の服装に身を包んでいる魔王らしい魔王の姿。

 ――ロキ様が、血の魔方陣の上に浮かんでいる。


「良い香りがする。それは、血の匂い」


 空中に浮かび上がったロキ様が、私の方へと指を向ける。

 たったそれだけなのに、ヴィオニス様は見えない力に弾き飛ばされるようにして、壁に叩きつけられた。

 叩きつけられた壁には、その衝撃の激しさから、びしりと歪みができる。

 ヴィオニス様はうめきながらも、起き上がる。


「何故貴様がここに、貴様は、死んだだろう。それに、聖域の中には干渉できないはず」


「それは世界の仕組みかもしれないけれど、何事にも抜け道があってね」


 私の体もベッドから浮かびあがり、ロキ様は私の体をしっかりと抱きとめた。

 血のこぼれる私の手を大切そうにとって、指先に口付ける。

 私の血は、ロキ様の唇を赤く汚した。


「君は贄になることを自ら望み、ここに、僕を呼んだ。巫女の施した忌々しい封印は、未だ解けていない。僕の力を取り戻すため、この世界を征服して、壊してしまうために、君の体を、僕にくれる?」


「……ロキ様?」


 口調は優しいけれど、まるで、初対面のような口調でロキ様は言った。

 私のことなんて忘れてしまったかのように、私の名前を呼んでくれることもない。

 封印は成されて、ロキ様の記憶は失われてしまったのだろうか。

 でも、それでも、もう一度会えて良かった。

 その名前を呼んで見つめる私に、ロキ様は微笑んだ。


「君のおかげで、この世界を終わらせることができる」


 それがどういう意味なのか、私にはよく分からなかった。

 衝撃に、目を見開く。

 胸が、熱い。

 体が動かなくて、うまく呼吸をすることができない。


「ぁ……」


 ロキ様の白い肌を、赤いものが汚している。

 それは、血だ。

 胸からふきだした私の血が、まるで噴水のように、天井付近まで噴き上がって、雨のように落ちている。

 真っ赤な雨が私とロキ様を包み込んでいる。

 私の胸からは、黒い巨大な爪のようなものがはえていて、あぁ、私はーーロキ様に、血を捧げたのだなと、ぼんやりと思う。

 視界が白く濁っていく。

 もう息の仕方も忘れてしまったみたいだ。

 私は、砂漠の底へと落ちていく。まるで、深い湖の底へ、下へ下へと落ちていくみたいに。

 ロキ様が私を見つめている。どこまでも綺麗で空虚な瞳が私を湖面から見下ろしている。

 私は微笑んだ。

 あなたがいるから、私は、怖くない。


「アンジュ……! 巫女、何をしている! 封じろ、あれを、早く……!」


「僕は巫女には勝てないけれど、君たち人間は僕には勝てない。だから君たちは、巫女に縋るしかない。愚かだね。情けないことだ」


 私を抱きしめたまま、ロキ様が言う。

 いつの間にか、聖域の檻が消えている。

 城の壁が、床が、ばらばらに壊れて、無秩序に浮かび上がっている。

 剣を抜こうとしたヴィオニス様を、何本もの黒い杭のようなものが、床に繋ぎ止めた。


「……これは、悪い夢、ただの、私の夢……」


 床にうずくまったアカネさんが、うわごとのようにそう繰り返した。


「そうだよ。これは、きっと君の夢。僕を消し去ることができれば、君は目覚めることができる。そろそろ、家に帰ろう。君も、僕たちも」


「……魔王、あなたを滅ぼします」


 アカネさんが、錫杖をロキ様に向ける。

 崩れていく世界の中で、ロキ様が私をきつく抱きしめる。


「ごめんね、アンジュ。僕は、君を殺した」


 光が溢れて、ロキ様の体にぴしぴしとひびが入っていく。

 私はロキ様を抱きしめ返したかったけれど、もう動くことができない。

 最後の力をふりしぼって、唇を動かした。


「大好きです」


 伝わったかどうかは分からない。

 けれどロキ様は驚いたように私を見て、それから、綺麗に微笑んでくれた。


「うん。一緒にいこう。愛しているよ」


 何も怖くない。

 ロキ様と一緒なら、何も。

 もう話すことも動くこともできないけれど、これが終わりなら、私はーーとても、幸せだ。



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