だが為に、血を流す
ゆっくりと扉が開かれて、ヴィオニス様が姿を現した。
鎧を脱いだヴィオニス様は、上質な普段使い用の衣服に着替えていた。
私とアカネさんの姿を観察するように眺めて、真っ直ぐアカネさんの方へと歩いて行く。
ヴィオニス様もアカネさんも、まるでそこにはなにもないように、檻をすり抜ける。
聖域と言っていたから、魔族の方々にとっての脅威であって、アカネさんたちには意味を成さないものなのかもしれない。
「ヴィオニス様!」
アカネさんが、嬉しそうにヴィオニス様に手を伸ばした。
まだ、夢を見ている気でいるのかもしれない。
ヴィオニス様はベッドに座るアカネさんの髪を掴み、壁に向かって無造作に放り投げた。
アカネさんは檻の外へとはじき出されて、床に倒れる。
うめき声が聞こえる。
駆け寄ろうとした私の手を、ヴィオニス様がひねりあげるように掴んだ。
「……見張っていろと言ったはずだ、役立たずが」
アカネさんは、動かない。
ヴィオニス様はアカネさんに構わず、私の未だ指先が切れて出血をしている腕をひっぱり、ベッドに投げる。
落ちた先がベッドなので痛みこそなかったけれど、息が詰まった。
「また、魔方陣を描いていたのか? 死んだ地虫に縋るために? お前はあの男のために、自らの体に傷をつけたのか?」
私の上に覆い被さったヴィオニス様が、私の腕を強く掴んで言った。
指先から流れた血が、ベッドのシーツに染みを作っていく。
憎しみにも似た激しい感情をたたえた瞳が、私を睨み付けている。
けれどもう、怖くない。
「あの男のために血を流せるのなら、俺のためにも苦痛を受け入れることができるだろう? 指がなければ魔方陣はかけないな。……いや、指だけでは足りない。そうだな、腕がなければ良いのか」
ヴィオニス様は、私の手のひらに自分の手を、愛おしそうに重ねる。
傷口に思い切り爪を立てられて、私は喉の奥で悲鳴をあげた。
足の先から頭のてっぺんまでを突き抜けるような痛みが、全身を走り抜ける。
どくどくと、心臓の拍動にあわせて、体中が痙攣するように、痛い、痛いと訴えている。
けれど、声をあげないように奥歯を噛みしめる。
私のせいで失われた人たちは、もっと痛かっただろう。
それに、ロキ様も、私に優しくしてくれたアルジェドさんも、フィアセスさんも――
私に関わったせいで、沢山の方が不幸になってしまった。
でも――それでも、胸の中で、くすぶり続ける炎がある。
私はロキ様が好き。
だから、帰りたい。
私は今、そのために生きている。
私の命が失われるとしたら、それはロキ様の傍が良い。
「……腕を落として、足の腱を切ろう。そうすればもう逃げられないだろう。あの男のために血を流せるのなら、俺のためにはもっと、血を流せるのだろう? お前の苦痛に歪んだ顔も、悲鳴も、切り落とした腕も、全て俺のものだ」
「……私はあなたが大嫌いです」
喉の奥から声を振り絞って、苦痛に声を詰まらせながらも、なんとかそれだけを言った。
ヴィオニス様は、口角をつり上げて、歪んだ笑みを浮かべた。
「お前の感情も、意見も、どうでも良い。お前は俺のもの。俺の婚約者になった日から、お前の爪から髪の毛一本に至るまで、全て俺のものだ」
ヴィオニス様は、腰から下げていた短剣を取り出した。
鈍く光る切っ先が、押さえつけられた私の腕に向けられる。
「他の男に穢されたお前には、玩具程度の役割しかないが、それでも俺はお前を愛している。喜ぶと良い。壊れるまで、俺が飼ってやろう」
鋭利な先端が、私の腕の付け根に食い込む。
私は目を閉じて顔を背けそうになるのを叱咤して、ヴィオニス様を真っ直ぐに見上げた。
「それは愛情なんかじゃない……ただの」
「執着、だね」
涼やかな甘い声が、響く。
それは泣きたくなるほど優しい、ついさっきまで聞いていたのに、とても懐かしい声だった。




