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夢か現実か


 ――魔法陣、どんな形だったかしら。

 思い出すのよ、私。

 自室の床に描いたのはたった数日前の事。

 禁書をじっくりと見ながら、間違えないように丁寧に描いたわよね。

 だから、覚えている筈だわ。

 私は自分にそう言い聞かせながら、ぽたぽたと血の落ちる木の床を見下ろした。

 磨かれた木の床の上に、私の血が点々と落ちていく。

 心臓の音がどくん、どくんと響くように、指先がずきずきと痛んだ。

 拍動と共に新しい血が溢れては滴る。

 痛みのせいで、気がそがれる。

 うまく集中できない。

 指先を噛みちぎっただけで、こんなに痛い。

 ヴィオニス様に命を奪われた方々は、ピオフィニア家の私の家族は――きっと、とても苦しんだのだろう。

 涙が滲みそうになるのを、必死にこらえる。

 私は罪人だ。その罪を背負って、生きていく。

 指先を床にあてて、痛みに唇をかみしめながら円を描いた。

 それから、大きな五芒星。それと、文字。なんだったかしら。あれは、あれは確か――


「そっか。……なんだ。……これ、ただの夢じゃない」


 アカネさんが、ぽつりと呟いた。

 何事かと思い私は顔をあげる。

 アカネさんは黒い檻に額をこすりつけるようにして笑っている。

 その声は、小さくも無ければ恐怖に震えてもいなかった。


「あんたたち、偽物でしょ。私は特別。私だけが特別。だってこれ、私の夢だもん。なんで私が、あんたなんかの言う事を聞かなきゃいけないの? 偽物の癖に」


「どうしましたの、アカネさん」


「ばっかみたい。偽物なのに、一生懸命になって。あんた、私が目を覚ましたら消えちゃうのよ。私の夢の中の存在なのよ」


「先程も言いました。そうだとしても、私は今、生きています。あなたも私も、ここにいますでしょう」


「生きてなんてないわよ。あんたみたいな古代人が、冷蔵庫とか洗濯機とか、変なの。ま、私の夢なんだから、変な筈よね。だから全部、私の思い通りになるのよ。だって、王子も、他の男も、私のことを好きだって言ったし」


 開き直ったように、明け透けな口調で語りだしたアカネさんを私は軽く睨む。

 ここがアカネさんにとっての夢の世界でも何でも良いから、静かにしていて欲しい。

 魔法陣に何と文字を描くかが、記憶のすぐ表層まで浮かんできているのだ。

 気が散ると、記憶を掴んで引きずり出す前に、それは再び湖の底へと沈んでしまう。

 アカネさんはすり抜けるようにして、檻の中へと入ってくる。

 それからベッドに座って、自分の下腹部を摩った。


「誰の子供とか、わかんないし。そもそも私の夢なんだから、子供なんてできるわけないよね。ってことは、やっぱり、現実の私が妊娠してるのかな」


「それは、……異世界の、元々のあなたの世界の、アカネさんということですの?」


「うん。そう。嫌だな。それなら、起きたくない。向こう側も、こっち側も最低だけど、王子の妻になったら一番偉いんでしょ? だったら、こっちにいたほうがまだマシか」


「……あなたは、何か辛い思いを、されていましたの?」


「別に。彼氏がいた。それだけ。何人かいたけど、父親が誰とか、わかんない。今と一緒」


「……子供とは、愛する人との間につくるものです。勿論不幸にも、そうではなかった方もいるでしょう。けれどあなたは、少し違う。そんな気がします」


 なんとも言えない気持ち悪さを感じて、私は咎める言葉を口にした。

 アカネさんの事情は分からない。

 だから強くは言えないけれど、でも――アカネさんの言葉は、ずいぶん軽薄に聞こえる。


「真面目ぶってんじゃないわよ。私に邪魔されたくないから、私を助けるふりをしてるんでしょ、あんた。魔王も結構良い男だったし、そっちが好きになっただけでしょ。王子様、可哀想」


「……確かに、心変わりが罪な事、認めますわ。ヴィオニス様ともっときちんと話していればと、思います。でも、……全ては過去の事。私は私の気持を偽れません」


「ふぅん。じゃあ、私も私の好きにして良いでしょ。これは私の夢なんだし。お腹の子供は王子様の子供ってことにして育てて貰えば良いのよね。だって国で一番偉いんだし」


 何を馬鹿な事を言っているのかと、私は耳を疑った。

 確かにヴィオニス様は偉い。そういうお立場に生まれたからだ。

 けれど立場には責任が伴う。ヴィオニス様は重責に耐えながら今の立場に立っている。

 何も考えずに、自分が偉いと言って驕っているわけじゃない。

 私はそんなヴィオニス様を、支えて差し上げたいと思っていた。

 こんなことになる前は、ずっと。


「……口を慎みなさい。不敬ですわよ」


「そういうの知ってる。いけすかない悪役の女が言うのよ、それって。……アンジュとか言ったっけ、あんた」


「アカネさん、きちんと異界に帰してさしあげます。今のあなたはきっと、混乱しているのです」


「純粋で可憐な巫女様を演じるの、馬鹿馬鹿しくなってきたわね。私はこのままで良いって言ってるのよ。だって、目を覚ましたって最低な現実があるだけだし。ずっと夢の中にいられるなら、私の好きなようにできるじゃない。なんだ。王子が言う事きかないと私を殺すとか言うから、怯えてて損した」


「……あなた。正気、ですの? ……うまくいきますわ、きっと。だから落ち着いて。私にはあなたの言葉が本心だとはとても思えませんわ」


 アカネさんは――多分だけれど、私がロキ様のところに行ってしまった日から、ずっとヴィオニス様に脅されていたのだろう。

 体調も悪く、恐ろしい思いをして、心に不調をきたしてしまったのだろうか。


「それはまぁ、心がお綺麗ですこと!」


「……茶化さないで」


「あんたの大好きな魔王様は、私が殺したのよ? それなのに、まだ私を助けるなんて言うの? 馬鹿じゃない、あんた」


 アカネさんはおかしくてたまらないとでも言うように、お腹を押さえて笑った。

 私の指先からぼたぼた落ちる血が、折角描いた魔方陣を、赤黒く汚していった。

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