巫女との対話
私とアカネさんの間には、黒い檻がある。
黒い檻の向こう側から、アカネさんは私を見ている。
悪い獣を檻から解き放たないための兵士にしては、アカネさんは小さくて、巫女様という肩書きがなければ、私と同じ、ごく普通の若い女性に見える。
アカネさんはロキ様を傷つけたけれど、それはヴィオニス様に脅されていたから、仕方なかったのだろう。
元を正せばやはり私のせいだ。
ただひとつ分かることは、お腹の中の子供には罪はない。
それは私が、守らなければいけない。
この場所にいたら、きっと誰も幸せになれない。
「アンジュさん、ごめんなさい」
黒い檻に手を触れさせながら、アカネさんは口を開いた。
後悔と恐怖に彩られた、聞いているだけで胸が痛くなるような、小さな声だった。
「私は、ヴィオニス様が好きでした。……異世界に来て、素敵な王子様と出会って、……現実だと、思ってなかったんです。そのうち終わる夢を見てるぐらいに思ってました。皆私を特別扱いして、私に優しくしてくれて、私は――勘違い、したんです」
「それは仕方ないことと思いますわ。こちらの世界にきて、ひとりぼっちで心細かったのでしょう。素敵な方に優しくされたら、好きになってしまう気持ち、私にも分かります」
ロキ様のことを思い出す。
私を、沢山甘やかしてくれた。
大切にしてくれた。
「ヴィオニス様は私を愛してくれていると思ってました。でも、あなたが居なくなってしまってからのヴィオニス様は、まるで別人みたいだった。多くの人が殺されて、私はそれを目の前で見せられました。……言うことを聞かなければ、私も殺された人たちと同じ目に合わせると言って」
アカネさんは震えている。
余程酷い光景を見たのだろう。
私はベッドから降りて、アカネさんの元へ駆け寄った。
「一緒に逃げましょう。巫女様……いえ、アカネさん」
「……どうせいつか覚める夢だと思っていたのに、どんなに願っても、夢の終わりは来なかった。私は、元の世界には帰れない。だから私は、ヴィオニス様に頼るしかないんです」
「それは、違います」
私は檻に触れているアカネさんの手に、指先で触れる。
触れた指先は、私と同じぐらい細くて小さい。
アカネさんは、やっぱり私と同じ年の、いえそれよりもずっと幼い――ただの子供だ。
「アカネさん。……帝国は、男性の国です。女性の自由は許されていませんの。残酷な、場所です。一人きりで、苦しくて、怖かったでしょう」
「怖かった……怖かったです……ヴィオニス様は、見せしめだと言って、捕らえた人の皮を……」
「思い出させてしまってごめんなさい。アカネさん、私の好きな方は私に、他の世界の在り方を見せて下さいましたの。だから、帝国で暮らすことの苦しさに気付くことが出来ましたのよ」
「それは、魔王ですか……? でも私は、ヴィオニス様とアンジュさんの仲を、引き裂いてしまいました。ヴィオニス様は、ずっとアンジュさんを愛していたんです」
「そんなことはもうどうでも良いのです。それに、嫌ですわ。私、自分勝手で我儘な女なのです。今の私はロキ様が好き。心変わりをしましたの。変わった心は、元には戻りませんわ」
ロキ様の元へ、帰らないと。
きっと、大丈夫。
ロキ様は何度も、巫女様に封印されたふりをしていたと言っていた。
だから今回もきっと。
ロキ様はきっとまだ、生きている。
あんなに呆気なく、ロキ様達の命が失われるなんて、信じられない。
それに、たとえもし封印されてしまっていたとしても、私の血を捧げれば、封印が解ける。
アカネさんを連れて、戻ろう。
ロキ様の世界で、ゆっくりアカネさんが元の世界に戻る方法を考えれば良い。
ロキ様を封印できるのはアカネさんだけだ。アカネさんが私と共に来てくれるのなら、ヴィオニス様も帝国も、怖くない。
「ヴィオニス様が戻ってくる前に、ロキ様の元へ逃げましょう。……血の魔法陣を描きますわ」
「……駄目です。駄目。アンジュさんとヴィオニス様が上手くいけば、私は元の世界に帰れるかもしれない。私、帰りたいんです。彼氏だっていたし、家族だっているし、この世界はただの夢だもの。ゲームとか、物語とか、その程度のものでしょ、どうせ」
「アカネさん、この世界は偽物で、誰かの夢の中なのかもしれません。でも、ロキ様の街も、私のスノードームの街も、そこで暮らす方々にとっては、その世界が現実なのです」
「何の話……?」
「あなたは、ここにいます。私がここにいるように」
「それは、目が覚めないだけで……」
「心配しなくても大丈夫。私の自由を奪おうとするヴィオニス様よりも、私を傷つけようとしたことを、泣きそうな顔で謝ってくださったロキ様の方がずっと素敵ですし、魔族の国にはそれはもう素敵な男性が沢山います。アカネさんもきっと気に入りますわ。コンビニもありますし、デパートもありますのよ」
「コンビニ……?」
「はい。おにぎりも、からあげもありますわ。洗濯機も、冷蔵庫も、食洗器もありますのよ」
「……それって、私の世界じゃないの?」
「行ってみないと分からないでしょう。自分の世界に戻る方法がわかるまで、ヴィオニス様の近くで恐怖に怯えながら過ごしたいのですか? すぐ魔方陣を描きますから、待っていてくださいまし」
魔方陣を描くためには、血が必要だ。
けれど、刃物は持っていない。
刃物の変わりになりそうな物もない。
私は黒い檻から離れると、床の上に立った。
それから、自らの指先に思い切り歯を立てて、噛みちぎった。




