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恋人になって最初の夜



 明るかった中心街よりもずっと暗い、街灯の並んだ夜道を手を繋いで歩く。

 さっきはロキ様に引っ張るようにされて歩いていたけれど、今はゆっくりで、ロキ様はいつもどおり私に歩調を合わせてくれている。

 空には星がまたたいていて、冷たい風が頬を撫でる。

 ロキ様の手はあたたかくて大きくて――ぬるく居心地の良かった今までの世界の崩壊を恐れていたのが馬鹿らしくなるぐらい、今の私には、怖いものなんてなにもない気がした。


「私、自分がこんなに単純だなんて、知りませんでしたのよ。恋をしてはいけないとずっと思っていたのに、ロキ様が私を受け入れてくださった途端に、今までの悩みが全部消えてしまって……今はただ、幸せです」


「うん。……そうだね、僕も、そう。僕は今、恋人として君に触れている。今までもアンジュに触れることは沢山あったけれど、今までと今は、違う気がする」


「もう、アンジュちゃん、とは呼びませんの?」


「僕にとって、アンジュは子供じゃないから、もう呼ばない」


 ロキ様はそう言うと、困ったように眉を寄せる。


「アンジュは、僕の恋人になってくれたんだよね?」


「ええ、私でよければ、よろしくお願いいたします」


「アンジュが良い。……でも、そうするとアンジュはもうメイドじゃなくなるから、あの服、着てくれなくなるのかな。可愛くて好きだったんだけど」


「……ロキ様、メイド服お好きでしたの?」


「もの凄く好きってわけじゃないけど、アンジュが着てるのは、可愛くて好き」


「じゃあ着ますわ。たくさん買って頂いたので、普段着として着用します。それに、魔王なのに一人暮らしをしているロキ様にはメイドが必要だと思いますので、いつもどおり働かせて頂きますわ」


「メイド服は着て欲しいけど、働かなくて良いよ。これからは、恋人として僕のそばにいて。……病気になっても、具合が悪くなっても、ずっと。約束」


「ええと……分かりましたわ。でもきっとそれは、ずっと先の話ですのよ」


 先のことはまだ分からない。

 私はロキ様よりもずっと早く死んでしまうだろうし、いつまでもずっと感情が変わらないなんて思えない。

 シルベールさんは彼女と別れたと言っていた。

 ロキ様にも昔は恋人がいたらしい。

 だから、ロキ様が私の手を離すときが、いつかきっと来るはずだ。

 でも、それでも良いと思う。


「ずっと先かもしれないけど、僕はずっと、アンジュが好き。……だから、君に触れるのは、怖かった。僕には、君を愛する資格なんてない。……それどころか、君を壊してしまうかもしれないって、思って」


「どうしてそう思いますの? ロキ様はずっと、私に優しくしてくださいましたわ。それなのに」


「……僕はもっと、君のことが知りたい。僕の知らない君のこと。教えてくれる?」


「何でも聞いてくださいまし。私も、ロキ様のことが知りたいです」


「うん。そうだね。……沢山、話そう。今まで話せなかったことを、沢山」


 ロキ様は「早く帰って、お風呂に入ろ。一緒に入る?」と、どこまで本気か分からない声音で言った。

 私が真っ赤になって返答に困っているのを見て笑っていたので、多分、冗談だったのだろう。


 いつものアパートに帰って、お風呂に入った。

 着替えをして、お布団に入るのもいつも通り。

 でも、お布団に入った私は、いつもよりも大分緊張していた。

 ロキ様とはもう何日も一緒に居るのに、関係性が変わったというだけで、世界が変わって見えてしまう。

 テレビの前に置かれたスノードームの街にも夜が訪れている。

 夜になると、誰も外には出てこない。街は安全だけれど、明かりが少ないのだ。

 あの街は、私の住んでいた帝国に少し似ている。

 似ているけれど、違う。

 お布団に入りながら、アルジェドさんが言っていたことを思い出す。

 ロキ様の作った国は閉じていて――アルジェドさんたちは、もうずっと、巫女様には会っていない。

 スアレス帝国には魔王封印の伝承が残っているのに、アルジェドさん達にとって巫女様や帝国は、もう関係の無い別の世界、のようだった。

 ロキ様だけが、世界を繋いでいる。

 ロキ様が居るから、帝国もロキ様の国も存在しているような気がしてくる。

 何だかよく分からなくなってしまった。

 帝国で暮らしていた私は、幻だったような、妙な感覚がある。

 目を伏せると、光の差し込む水面が見える。

 水面はずっと遠くて、手を伸ばしても、届きそうにない。

 私は湖の底で――

 砂漠の底で――

 ずっと。


「アンジュ、もう寝ちゃった?」


「……ロキ様」


 また、妙な幻を見た。

 疲れているのかもしれない。二つに分かれた世界について考えていたからだろうか、頭が少しぼんやりする。

 ロキ様は私の隣に座ると、私の髪をそっと撫でた。


「少し話す? それとも、眠る?」


「……もうすこし、お話をしたいです。……ロキ様のこと。ロキ様が、考えていること、知りたいです」


「自分のことを話すのって、結構難しいよね。ねぇ、アンジュ。アンジュにとって、スアレス帝国って、どんな場所だった?」


「どんな場所……。あちらにいたときは、考えたこともありませんでした。でも、今は、多分……窮屈な場所だと、思いますわね」


「窮屈」


「ええ。……あの国では、私たちのような女性は、男性に従うのが当たり前でしたの。夢を持たず、自分の意見を言わず……女性から男性に好意を告げることさえ、はしたないこととされていましたのよ」


「アンジュは、僕に好きって言ってくれたよね」


「ロキ様はそれを許してくださることを、知っていたからです。……でも、勇気はいりましたのよ。幼い頃から染みついた考え方は、なかなか抜けませんから」


「うん。ありがとう。先に言わせて、ごめんね。好きだよ、アンジュ。好き、好き」


「そう何度も言われると、恥ずかしいですし、なんだか有り難みが薄れてしまいます」


 鼓膜を震わせる甘い声音に、私は顔を両手で覆った。

 ロキ様は私の手をどけると、私を覗き込んで微笑んだ。


「今まで言えなかった分、沢山言いたくなっちゃって。……赤くなってるの、可愛い」


「暗くてよく見えないと思うのですけれど」


「電気つけてよく見て良い?」


「駄目です」


 部屋の明かりは消されている。

 もう眠るばかりのすっかり準備の整った私の横に、するりとロキ様が入り込んできた。

 片手で体を引き寄せられて、胸に抱かれる。

 いつも使っているシャンプーとボディソープの良い香りがした。


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