表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

26/41

世界の終わりと恋の始まり



 お店を出ると、すっかり日が暮れていた。

 背の高い建物の間から覗く空には、星が瞬いている。

 ロキ様のつくった街は、夜でも明るい。街灯と、お店の窓から溢れる光と、色とりどりの看板の灯り。

 賑やかな夜の街を、見知らぬ方々がどこかに向かって歩いていく。

 ロキ様は私の手をひいて、アパートに向かって歩いた。

 人混みから逃れるように、中心街から離れていく。

 川沿いの道にさしかかり、小さな橋を渡る。

 川は黒々とした水をたたえていて、月明かりが川面に落ちている。


「ごめん。……痛かった?」


 橋の中央で、ロキ様は立ち止まった。

 離れそうになった手を、私は強く掴んだ。


「痛くありませんわ。ロキ様……私は」


 何を怖がっていたのだろう。

 自分の感情に気づかないようにしていた。

 ぬるくやわらかい、お布団の中に隠れているような関係が、心地良かったから、甘えていた。

 理由をつけて、言い訳をして、そうしないと――

 私は本当に、駄目で、最低で、酷い人間だと、思ってしまいそうになるから。


「私は、世界征服をしてもらおうと思って、ロキ様の元に来ましたの。復讐をしたかったのです。私を裏切った、巫女様やヴィオニス様に」


「うん、知っているよ」


「嫉妬して、恨んで、多くの人を傷つけようとしました。それがどんなことなのかさえ、まともには考えていませんでした。……私は、嫉妬深くて最低な人間なのに、ロキ様と一緒にいて、楽しくて、幸せで……」


「アンジュちゃん……」


 月明かりに照らされたロキ様はどこまでも美しくて、まるで教会で懺悔をしているような気持ちになる。

 はらりと、涙がこぼれ落ちた。

 ロキ様の固くしなやかな指先が、私の目尻を拭った。


「ロキ様は、私にいつも、選ばせてくれようとしましたわ。私の言葉を否定しないで、最後まで聞いてくれようとしました。ロキ様と一緒にいると自由で、体が、軽くて……私は、自分の残酷さを忘れてしまいそうになりますの」


「……アンジュちゃんは、残酷?」


「誰かを好きになると、また、嫉妬をするかもしれません……怖いのです。世界征服を望んだ私も、私ですもの」


 それなのに、私は。

 ロキ様のことが――好きだ。

 こちらの世界に来てから、ずっと一緒にいてくれたロキ様に、いつの間にか恋をしていた。

 ロキ様は私のことを子供だと思っているのは分かっているから、それに必死に気づかないようにしていた。

 だってきっと、いつかロキ様に素敵な恋人ができてしまったら、私の世界は――また、終わってしまう。

 今だって、そう。

 ロキ様に、フィアセス様の元へ行って良いと言われた気がして、それだけで、目の前が暗くなるような、深く暗い穴の中に真っ逆さまに落ちていくような、閉塞感と息もできない苦しさがある。


「一度だけ、誰かを憎んだり恨んだりしたら、ずっと許されないものなの? アンジュちゃんは、……自分以外のひとたちが皆、そんな感情をかけらも持っていないとでも思ってる?」


 片手を繋いで、片手を私の頬に添えたロキ様が、私の顔を見下ろしている。

 冴え冴えとした灰色の瞳が、私の心の奥まで見透かすように、私を見つめる。

 ふわりとした白い髪が、風に揺れた。


「でも、私は……」


「ねぇ、アンジュちゃん。……僕も、一緒。怖いよ。僕が、君を……傷つけてしまうんじゃないかって」


「ロキ様……?」


 苦しげに、ロキ様は微笑んだ。

 ロキ様が私を傷つける。

 よく分からない。ロキ様は優しくて、繊細で、懐の広い方だ。誰に何を言われても、本気で怒ったりはしない。

 だから他の魔族の方々も、ロキ様に気兼ねなく物を言うのだろう。

 ヴィオニス様は、そうではなかった。いつも、ヴィオニス様の周りには、どことなく緊迫した空気が流れていた。

 ロキ様とヴィオニス様は違う。

 ――比べるのはいけないことかもしれないけれど、でも、やっぱり違うと思う。

 違うから、きっと、私はロキ様の傍では安心できた。

 臆せずに、話すことができた。

 スアレス帝国にいた時の私には、それができなかった。

 ただひとこと「私を裏切ったヴィオニス様の側妃にはなりたくない」と、言えなかった。

 簡単なことなのに、けれどあの場所では、そんなことを口にしたらーー首が落とされることを、理解していた。

 だから、どうにもならなくて。

 どうすることもできないぐらいに辛くて。

 ただひとりで、死を選べばよかったのに、それもできずに――多くの人や、ロキ様を巻き込むことを選んだ。

 今ではそれは、間違っていたとわかる。

 けれど、そうしなければ私は、ロキ様に出会うことができなかった。

 例えばもう一度同じ人生を繰り返すとして――私は、ロキ様の元に来ることを、きっと選んでしまうのだろう。


「怖い。……アンジュちゃんを傷つけるのが、怖い。僕が君を欲しいと思ってしまったら、僕も、きっと」


「ロキ様……私は、……ロキ様が、好きです」


 世界が、壊れていく音がする。

 繋いだ手が震える。

 足場が急になくなって、崩れていく不安定な地面の上に立っているようだ。

 私はロキ様の、メイドだった。

 メイドとは主の世話をするもの。

 そこには感情なんて必要なくて、そう言い張っていれば、ロキ様と一緒に居ることができた。

 でも、私はそんなふわりとして曖昧で心地良い関係を、自分から壊してしまった。

 全てを失って、ロキ様しかいなかった私の、狭い部屋での心地良い世界が、崩れていく。

 でも。

 そんなものに縋って、大切な何かを失ってしまうよりも、ずっと。

 逃げないで気持ちを伝えることの方が、大切だと思える。

 逃げ続けて、逃げ続けて、後悔しないように。


「婚約者を失って、ロキ様に縋って、好きだと言うなんて、軽薄だと思われるかもしれません。けれど私は、ずっと私に優しくて、大切にしてくれて、いつも、一緒にいてくださったロキ様が好き。私をたくさん甘やかして、私を立ち直らせてくださったロキ様に……恋をしておりますわ」


「……僕は、ずっと逃げていたのに? アンジュちゃんを傷つけるのが怖くて、ずっと、子供扱いしてたのに」


「それでも良いのです。ロキ様が、子供じゃないと認めてくださるまで、頑張ります」


「そんなこと、ずっと前から分かってるよ。アンジュちゃんは子供じゃない。真面目で一生懸命で、……泣きたくなるぐらいに綺麗な、僕の……アンジュ」


 真摯な声が、耳に触れる。

 視界がぼやけて、何か柔らかいものが唇に触れた。

 ロキ様の顔が近づき、そっと離れて、そして優しく微笑んでくださる。

 もう手は震えていない。

 ――私の世界は崩壊して、そして、恋がはじまった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ